仕事が忙しく自転車に乗る時間がない
帰宅するとかなり遅い時間になっていることも多い
奮発したそこそこ良さげなクロスバイクなのだ
パーツ交換でロードにも転向できるハイグレードなバイクなのだ
使用頻度が低いのでまったくもって改造には至らない
ドノーマル状態なのだ
「休日には久しぶりに乗るかな?」
と楽しみにしていても連日の雨模様
まぁ、それが梅雨なのだが・・・
少しだけモヤモヤした感情が募る
本日は雨も上がったので少し離れた床屋さんへ行ってきたのだ
すこし離れているのが良いのだ
最近は格安の床屋さんを利用することが多い
洗髪もひげ剃りもないがそれで良いと思えるようになってきた
汚いのは嫌だが自分の身なりに少し無頓着になってきた
それが中年おじさんなのだ
今更、良からぬ欲などないのだ
むしろ、それに反するように芸術的な欲求が増してきたのだ
内面を高めたいような欲なのだ
ルックスは良いが中身がない人は微妙だと思う
良いギターを持っているのに色々と微妙な人に通じる部分がある
人間はバランスが大事だと思う
私は『身の丈』という言葉が大好きなのだ
何事においても分相応が良いと思う
ギターを良く知らなかった頃は意味もなく高価なギターに憧れていた
読者の皆さんにもそんな経験があると思う
ある頃から理由は不明だがそんな意味がない物欲が減退した
ギターの技術向上を自覚し始めた時期と重複しているように思う
ギターを憧れの楽器から道具と見られるようになったのだ
DIYの道具や仕事の道具などでも高価な道具に悪いものはない
しかしながら、時と場合によるとそれを持て余すことも多々ある
自分に相応しくない道具はむしろ使い難いものなのだ
ギターも一緒なのだ
好ましくは自分の成長に合わせて相応しいギターに買い換えるべきだと思う
改造ではダメなのか?
物足りなさを感じ始めているギターに改造を加えてもその感情は払拭されない
モヤモヤした感情が残るのだ
やはり、素直に買い換えることが良いと思う
そして、今までお世話になったギターをサブギターとして使うのだ
これは私の経験に基づく流れなのだ
分相応のギターに買い換えるだけで少しだけ上手くなる
これは本当の話なのだ
自分にとって良いギターは馴染むまでに少し時間がかかる
馴染んでからは劇的に弾き易くなるのだ
恥ずかしながら、
私はUSA製のギターを買ったのはかなりおじさんになってからなのだ
それまでの私は特にギターの価格に拘ったことがなかった
気にしたこともなかった
正直な話をすると数十万円もするギターは少し勿体無いと感じていた
ちなみに現在はそんな考え方も変わってきた
読者の中にも30万円前後のギターに違和感を覚える方も多いと思う
特に間違いではないと思う
経済的な部分を考慮すれば、むしろ正常な考え方だと思う
10万円のギターと30万円のギターが同じだとは言わない
しかしながら、すべてのギター弾きに30万円を超えるギターが必要か?
は微妙な話だと思う
結論から先に述べるならば、欲しく買える状況ならば買えば良いと思う
長期のローンも苦にならないならば、選択肢も増える
買うという行動に理由など不要なのだ
繰り返しのなるが欲しいならば買えば良いと思う
買った後に後悔する可能性があるならば、もう少し考えた方が良いと思う
無駄遣いが過ぎる人や小金持ちな人にとってはたかが30万円
しかしながら、私を含む庶民にとっては30万円はとても価値があるお金
ギターに30万円を投入すべきか?
少しくらい考える方が正常だと思う
正常な経済観念を持った人ということになる
私は周囲の人間の影響が大きかった
海外製のギターを持っていないのは私だけだった
振り返れば、非常に単純で安直な理由なのだ
”中年おじさんは少し良いギターを持つべし・・”
何の根拠もない言葉が一人歩きしているのだ
世間的にもそんな風潮のように感じる
以前に遊び用のベースを探していることがあった
出先のベース専門店を覗いたことがある
「何かお探しですか?」
「遊び用のベースを探しているんです」
専門店の店員さんには『遊び用』という概念が伝わり難いように感じる
「遊び用ですか?」
まぁ、私の使い方も少し変わっているのだ
サブで使う楽器はかなり過酷な条件下で使うことも多い
炎天下で駐車している愛車のトランクの中に放置することもある
雨降りの屋外で弾くこともある
凍り付くような真冬も基本的にはトランクの中に放置しているのだ
「何でそんな使い方するの?」
という声も聞こえてきそうだが・・・
読者の皆さんにも諸事情があるように私にも楽器事情があるのだ
とにかく過酷な使い方なのだ
本音を言えば、ストラトもドラゴンテレもあまり気にしていないのだ
仲良しの楽器屋さんから止められているのだ
「車の中に放置ってダメですよ」
「お勧めできませんよ~ ダメです」
そんなことは私も承知しているのだ
廉価の楽器はとにかくタフなのだ
丈夫も性能だと思う
最近買った1万円チョイのアコギは関心するほど丈夫なのだ
先に述べたような過酷な状況下ながらネックはビクともしない
サドルを作る時に微調整してからまったく触っていない
弦も一回交換しただけなのだ
購入時には動きが渋かったペグもむしろ動くようになった
ガチャガチャと使うのもブルースだと思う
ブルースは良い意味で泥臭い
生活に密着しているギターこそカッコいい
私はそう思う
読者のみなさんは如何お考えだろうか?
ギターを邪険に扱うということではないのだ
ギターは良い意味で道具であるべき
日々の生活や心を豊かにしてくれる道具だと思う
身の丈に合わないギターを無理して買うことはストレスになる
「あっ キズがついちゃったよ~」
「なんか音悪いわ 何でだよ~」
「ハズレの個体なのかな?」
良くない思いが頭を交錯する
私が初めてストラトを買った時にまさにそんな感じだった
やがて、それらすべての原因や要因が自分自身にあることを知るのだ
ギターに弾かされるようではダメなのだ
ギターに気持ちで負けているようでは上手くならない
読者の皆さんは如何だろうか?
ちなみに私は手持ちのギターと一体化しているのだ
というか気持ち的には手中に収めているような気持ちで弾いているのだ
よそ行きのような気遣いはまったくないのだ
私はギターを磨かない
普段履きのスニーカーのような感覚で接しているのだ
以前はクリーナーなどを買ってみたこともあるが・・
ギター磨きは性に合わないと気づいたのだ
たまに磨くのは指板くらいのだ
磨くというよりは保湿の要素が大きいと思う
そもそも、家弾きのギターは汚れない
汚れるギターは過酷なロードを歩んできたギターだけ
プロは言うほど神経質にギターを磨いたりしないと思う
良い意味で道具なのだ
必要な手入れは当たり前
その辺の線引きが曖昧な素人さんも少なくない
私が知る限り、ギターがピカピカの人に上手い人はいない
車も同じなのだ
毎週のように洗車しているご近所さんがいる
とにかく輝いているのだ
洗っている姿は頻繁に見かけるが・・・
走っている姿を見たことがない
「良い天気ですね~」
「洗車日和ですよね」
話を合わせるのも大人のマナーなのだ
運転が上手いのか?下手のか?
謎なのだ
まぁ、どうでも良いが・・・
ギター弾きに関しては磨き好きに上手い人はいないは割りと浸透している事実なのだ
ギターを弾くことが楽しいと感じる人は磨いている暇がない
そんなところだろうか?
これは私の周囲の人々に共通している事実なのだ
行きつけの楽器屋の店員さんのギターもお世辞にもキレイだといえない
単に汚いというよりは味があるという感じ
私の似非レリック加工が恥ずかしくなってくるほど使い込まれたギターなのだ
共に歩んできたギターには貫禄が感じられる
「大学時代から使っているんですよ」
逆算すればかれこれ四半世紀にもなる
カッコいい! 羨ましい!!
私にはそんなギターがないのだ
ストラトとジャズベがギリギリで10年選手という感じなのだ
比較すれば浅い
年季が足りない
「それだけ弾き込んでいれば十分ですよ」
「むしろ、僕のギターよりも貫禄を感じますよ」
と私を気持ち良くさせてくれるのだ
リアル楽器店にはある意味で居心地の良さを感じる
「1円でも安く買うぜ~」
という無機質で無味乾燥な世界とは区別したい
何というか・・
私はギターに何か熱いものを感じるのだ
値段が高いから良い、珍しいから良いではない
”自分に合っているか?”
私にとって重要なことはそれだけなのだ
以前に勢いで買ってしまったレスポールは合わなかった
実際に買ってみなければ分からないこともある
机上の空論には何の意味もない
ギターを買っただけで弾けた気になる人も少なくない
これも広義の意味では机上の空論に近い発想だと思う
”実際に音を出す・・”
簡単なようで実は難しい
ここでいう音とは音楽という意味
楽器店での試奏とは区別したい
音楽的にギターを鳴らせる人がどのくらいいるだろうか?
そんなことを言っている私も修業の身なのだ
ギターは奥深い
知れば知るほどに難しく感じる
「俺って下手になったんじゃないかな?」
ということが良くある
割と頻繁に弾いているはずなのだ
色々な事が見えるようになった証なのだ
自身を客観視出来るようになったということ
むしろ、良いことだと受け止めるべきなのだ
私は長らくギターを弾いているが自分の音に満足したことがない
良い線までいっている気はするが・・
何かが足りないような感じがする
自分の演奏に物足りなさを感じる
物欲の類いは完全に消滅したが・・
向上心はまだ消えていない気がするのだ
上手くなりたいという欲があるのだ
上手くなりたいという欲と弾きたいという欲求が止まらない
自分でも不思議な感じなのだ
ギターに飽きるということもないのだ
とりわけ新鮮な気持ちもないが飽きもしないという感じなのだ
ギター心のギアが滑ることはないのだ
読者のみなさんにもスランプがあると思う
ギターは毎日弾くべき
これだけは断言できる
気分が乗らない日にも弾くべき
面倒臭く感じる時にこそアコギが活躍するのだ
そんな使い方でも良いと思う
エレキ弾きがアコギを上手く弾こうとすることに無理がある
私はそんな感じでアコギに接しているのだ
アコギ以上エレキ未満という気分の時がある
就寝前の数分でもかなり癒やされる
ギターを手にしたことで落ち着くのだ
良くも悪くもギター依存だと思う
それで良いのだ
誰にも迷惑をかけていない
傍らにギターがあるだけで落ち着く
読者の皆さんはギターとどのような関係性を構築しているだろうか?
ギターを弾くことを日課、義務、苦労だと感じているうちはダメなのだ
何と言うかもっと自然な関係が望ましい
身の丈に合ったギターとは親友のような関係になれる
家族のような気楽さがあるのだ
高額なギターが100点満点ではないところがギターの深いところ
”高価なギター=良いギター・・”
は流行らない
良いギターは自分にとって良いギターであること
ギターの売り買いを生業にしている人は別だが・・
プレイヤーである自覚がある人はその辺りを落とし込むと良いと思う
私は廉価なギターに萌える
理由は不明だが・・
萌える・・
そして燃えるのだ
沸々と熱いものがこみ上げてくるのだ
何かと手がかかるところも愛おしい
エレキも含めて、廉価のギターをデフォルトの状態で使ったことがない
何かしら手をかけているのだ
それを面倒臭いと感じさせないところが廉価な魅力なのだ
高価なギターに不具合があったなら?
悔しくて夜も眠れないと思う
「高い金出して買ったのによ~」
「何かダメじゃね?何がダメなの?」
そもそも、試奏の段階で気付きそうなものだが・・
楽器店での試奏では意外に見落とす部分も多い
外野の目も気になる
妙なアドレナリンが噴出している
ハイになっているのだ
気持ちが高揚しているのだ
読者の皆さんにも少なからず経験があると思う
廉価のギターにはそんな気負いもない
そもそも色々と期待していないのだ
まだまだ言いたいことはあるが・・
長くなるのでこの辺で・・😉