世には色々な趣味があるが・・
やはり、楽器はハードルが高い気がする
当たり前だが買うことは誰にでも出来る
問題はその後なのだ
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ある程度弾けるようになってから楽器を買うのか?
買ってから一生懸命に練習するのか?
これも初心者にとっては難しいところだと思う
私は数十年間前の自分の姿を思い出した
家に謎のクラシックギターがあったのだ
チューニングの仕方は雑誌で知ったのだ
当時はチューナーなど無い時代
音叉という金棒を小遣いで買った
弾き方は独学なのだ
とりあえず、コードを雑誌で覚えたような気がする
ある程度弾けるようになってから初めてのアコギを買ったような気がする
モーリスの3万円くらいのギターだったと記憶している
中学一年生くらいだったような気がする
とにかく大昔なので記憶も曖昧なのだ
当時はギターが流行っていたのだ
ギター業界にとっても良い時代だったと思う
憧れるような歌手や弾き手も多かった
まさに夢のような時代だった
繰り返しになるが・・
私は誰にもギターを習っていない
独学なのだ
独学故の悪い癖は大人になって矯正したのだ
ギターの弾き方を根本から変えるのは至難の業
箸の使い方を大人になって変えるような感じに近い
運転の仕方もあるレーサーの影響でかなり後になって変えた
私の良いところは柔軟な脳なのだ
間違っていることに気づけば、そのまま放置しない
結果として自分自身の為になる
特にギターは悪い癖や妙な姿勢での演奏は格好悪い
人前で弾くことを目標にしている人は鏡の前で弾いてみると良いと思う
ストラップの長さやギターの角度、指板上の指使いなど
気になりだすとキリがない
素人の場合、最終的なジャッジは自分ということになる
希にギターが上手いが姿勢が悪いという人がいる
残念ながら、動画を含めて人前では演奏きない
レコーディングプレイヤーとしてギター弾きの一生を終える
特にそれも悪いとは思わない
何でもかんでも目立てば良いものでもないと思う
独学の弾き方はある段階で限界を迎える
これは演奏上の話なのだ
運指にしても色々と無理があるのだ
難しい技術を避けていてはダメだと思う
最近は教則本を充実しているのだ
動画でレクチャーを受けることも出来る
問題はそれを自分が達成できているか?
お金と時間に余裕がある人は短期でもスクールに通った方が良い
思い込みや悪い癖が払拭できることもある
他人の話に耳を傾けられない性格の人には逆効果
まぁ、趣味のギターを掘り下げると色々と難しい部分も多い
当ブログはギターブログなのでその他の趣味に関しては多くは語らない
趣味の一つが自転車なのだ
健康維持も兼ねているので趣味と呼べるかは分からない
それでもメンテなども楽しんで行っているのだ
メンテが楽しいと感じることが出来れば趣味だといえる
パーツの交換などが追々考えるのだ
乗るということも楽しみなのだ
当たり前だが・・
自転車は基本的に誰でも乗れる
買ったその日に楽しめる
ギターとの大きな違いだと思う
”とりあえず買う・・”
で失敗したギター初心者を多く知っている
あえて、ギター弾きとは呼ばない
ギター好きはギター弾きではない
ギターが好きな人
ギターを集めることが好きな人
実際に海外でも投資目的でヴィンテージを集める人も多いという
ギターは弾けない
弾く気もないのだ
楽器弾きとしては少し悲しい気持ちになってくる
楽器屋さんは楽器を売る所・・
今も昔も変わらない
特に買った後の余計なお節介など焼かない
むしろ、放置に近い印象すら受ける
売りっぱなしなのだ
そんな業界の歪みやツケが今になって痛手として返っている
『そこまで面倒を見る必要があるの?』
は楽器業界の本音だと思う
難しいところだと思う
『ギターが弾けるからギターを買うんでしょ?』
という理屈が根底にあるのだ
半分正解で半分は不正解な気がしているのだ
繰り返しになるが・・
ギターは誰でも弾ける代物ではないのだ
生地耳が肥えている人がギターを始めるとすぐに飽きてしまう
下手な自分に嫌気がさしてしまうのだ
良くある話なのだ
意外にも音楽やギターに無知な人の方が長続きすることも多い
ギターは不思議な世界なのだ
良い意味で無知は美徳なのだ
妙な知識が邪魔をすることも多い
安いギターはダメ
安いギターじゃ上手くならない
値段が高いギターは音が良い
アンプは真空管に限る
とにかく、根拠がないあるある都市伝説が多い
何事も決めつけることは禁物だと思う
ギター弾きはストイックな性格な人が多い
とにかく、自分が信じたことや納得したことにしか首を縦に振らない
ギターを好んで弾いているとそういう性格になってしまうのか?
そういう性格の人にギターという楽器が好まれるのか?
実際のところ、私にもその辺りは良く分からない
私に周囲でもギター好きには変わり者が多い
かくいう私も変わり者の一人だと思う
ギター弾きは基本的に努力が嫌いなのだ
努力は嫌いだが負けず嫌いな性格の人が多い
どういうことなのだろうか?
「ギターが上手いですね~」
とは意地でも言わない
口が腐っても言わない
そういう性格の人が多い
何故だろうか?
「良いギターですね~」
という言葉もあまり耳にしたことがない
店頭に並ぶギターやネットで見かける第三者的なギターは賞賛する
ギター弾きは難しい
難しい性格だからギターに向いているのだろうか?
私を含めて、性格が少し屈折しているのだ
物事を斜めに見てしまうところがあるようだ
ギター弾きは練習に精を出す人が嫌いなのだ
「何でそんなにギターが好きなの?」
「そんなに弾いていてギターに飽きない?」
余計なお世話なのだ
肝心なことは言わないが余計な部分に介入したがる
これもギター好きの性格を良く表しているように思える
共に精進してギターが上手くなるという発想がないように思える
特に他人の足を引っ張るという悪さをする人もいないが
他人を賞賛するという話も聞いたことがない
以前にもお話したが・・
手本にすべきは近しい人なのだ
自分の身近にいる上手い人から学ぶ(盗む)ことが最短なのだ
残念だが・・
私を含む素人に憧れのプロから学ぶことは少ない
プロと素人の間には想像以上に高い壁が存在しているのだ
ギターの可能性という意味では大いに意義があると思う
同じ人間であるということも少ない共通点なのだ
私はジミヘンとジェフベックの大ファンなのだ
共通点はストラトを使っていることだけ
それだけで嬉しいのだ
多くは望まない
「ジェフベックのコピーだけど・・」
というだけで急に険しい顔になる
改めて一流のプロが神格化された存在であることに気づくのだ
ジミヘンもジェフベックも神なのだ
「同じフェンダーのギターを使っていたんだなぁ・・」
それで良いと思う
ジミーペイジの愛器はテレキャスだと思っているのだ
ヤードバーズの時代から愛用していた
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「ジミーペイジはレスポールでしょ?」
と一歩も譲らない人も多い
面倒臭いのだ
正直な話、どちらでも良いと思うことも多い
達人が弾けば、どんなギターでも氏の音になる
不思議だが事実なのだ
もちろん、テレキャスとレスポールという個体の差はあるが・・
その独特なトーンはジミーペイジの音なのだ
格好から入る人は楽器の種類で一歩も譲らない
ストラトでレッドツェッペリンをコピーすることを許さない
面倒臭いのだ
繰り返しになるが・・
ギター弾きは面倒臭いのだ
面倒臭い性格の人が多いのだ
私はギターの素の部分を大事にしたいと考えているのだ
特にアコギを弾くようになってその考えが強くなった
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ペイジ氏はアコギ好きで有名なのだ
しかしながら、ファンの多くはアコギを弾かない
アコギを多用していたアルバムを否定する
不思議なのだ
私はむしろ、アコギに傾倒していた時期の音が好きなのだ
氏は過去を振り返って語る
「もっとアコギを世に広めたかったんだ」
「ロックで有名になるのはその手段の一つさ」
アンプを通さないアコギの音も氏の音になっているから不思議なのだ
アコギの繊細な音にもロックの魂が溢れているのだ
エレキにもアコギにも源にブルース魂が流れているのだ
マニアな人の情報量には私の知識など足下にも及ばない
その一方で何も知らない人が多いのも事実
「ジミーペイジってレスポール使ってたよね?」
ギター好きは中間層が薄い
これも他の趣味と比較しても大きな特長だといえる
マニアックな人は徹底してディープなのだ
一方で何も知らない、何にも関心がない人は恐ろしいくらいに無知なのだ
ギター弾きにとって知識は有用なのだろうか?
それとも邪魔をするのだろうか?
私には明確な答えは出せない
中途半端な知識を有するが故に散財に苦しむ人も多く知っている
「どれだけお金使えば気が済むんだろ?」
必要な物を買う・・
不必要な物に散財する・・・
その境界線は微妙だと思う
趣味だと豪語するギターよりも自転車の値段の方が高いというアンバランス
自分でも良く分からなくなることがあるのだ
良い製品は確かに良い
品質やパーツの精度が高い自転車は素人の私が乗っても分かる
ブレーキの動作をとってみても高級感や安定感に溢れている
一方で高級といわれるギターは分かり難い
それを感じる為には弾き手に一定以上のスキルが求められる
豚に真珠・・
猫に小判・・
という悲しい結果を招くことはギターでは良くある話
「高いギターだから音がいいんだよね~」
と知識で分かっているが・・
実際に音を出してみると納得できない
「あれ? こんなショボい音しか出ない?」
「もしかして、不良品じゃね~の? どうよ?」
これもギター弾きの悪い癖
自分が納得できない物はすべて『不良』なのだ
楽器屋さんも大変なのだ
明らかにキズがある
塗装が大きく剥がれている
という不具合とは違う類いなのだ
自転車で言うならば『乗り心地』だろうか?
高級な自転車は乗り心地が良いと思っている人が多い
意外にもゴツゴツしていて不快だったりする
しかしながら、スペックは高い
場合によると自分が持っている能力以上のパフォーマンスを発揮してくれることも多い
ゴツゴツした乗り味だがスイスイと前に進んでいくのだ
ギターも高級なギターは意外に弾き難いものなのだ
ギターが弾き手を選ぶようなところがあるのだ
ネックが太かったりフレットのカーブが独特ということも多い
特に新品の場合、馴染むまでに時間がかかることも少なくない
場合によると購入から数年も要することもある
その後の伸び代は廉価のギターの比ではない
すでに馴染んだ中古の高級ギターは微妙なのだ
硬く若い時代を知らないのだ
特に初めて高級なギターに触れるような人には分かり難い
これもネットの功罪だと思う
”昔のギターの方が良い材料を使っていた・・”
今も昔もギターは木で作られているのだ
組み付けの精度を考えれば現代の方が上だといえる
私も古い時代のギターを何本か弾いたことがあるが少し想像と違っていた
意外に雑なのだ
私の心には響かなかった
これも好みだと思う
私は新品のギターを自分の手で育てたい
その経過も同時に楽しみたいのだ
ギターに希少やレア、珍品は不要だと思う
私にとってのギターは良い意味で道具なのだ
壁に飾る絵画ではない
骨董の価値も希少性も不要なのだ
今でも道具として優れているギターには興味がある
メーカーや値段はあまり関係なのだ
弾いた瞬間に相性の良さを感じるギターには心躍るのだ