私は体験したがり屋です。体験主義、というのか好奇心旺盛というのか・・・。
親から貰うお小遣いの中からやりくりをして、美術館巡りをしていた中学生、高校生の頃は、海外から有名な絵画がやってくると、それを見たさに、超満員状態の美術館に頻繁に通いました。
その頃は「観る。ではなく、見る。」だったようです。
有名絵画に群がる人混みの美術館の息苦しさは、かつての日本の美術館の象徴でもあったように思います。
大人になり、行動に束縛がなくなると、私はひたすら旅をしました。
自分の目で見たもの、味わったもの、聴いたもの、匂い、触覚、これらは、体験を通してでないと、なかなか身になるものではありません。
今、フィレンツェのウイッツィー美術館に所蔵されているレオナルド・ダビンチ「受胎告知」が上野で公開されています。
私は、この「受胎告知」をどうしても観たくて、ウィッツィー美術館を訪れたことがあります。夏休みのシーズンでしたが、美術館の広さが観客を分散させ、絵画鑑賞にゆったりと浸ることができました。フィレンツェの街自体が美術館のようで、方々にある有名な彫刻もすっかり街の風景に溶け込んでいます。
まだ背丈の低いその頃小学生一年生だった息子が、さんざん歩いた末、「ぼく、彫刻のおちんちんしか見えないよ!」確かにしゃがんで息子の目線になってみると、ダビデやメディチの像など、目に飛び込んでくるのは彫刻のおちんちんばかりです。
これは、息子がリアルに体験した、五感と体感にほかなりません。
さて、この「受胎告知」、フィレンツェの空気に交わりながら堪能したことはしたのですが、有名な絵画はそればかりではないので、意気込んで行ったわりには強烈な記憶がないのです。
強烈な記憶といえば、上記の息子の一言。そしてその一言を言った場所、ウィッツィー美術館前の広場と降り注ぐ太陽の光が同時に再現されるのです。
私の「体験主義」というのは、どうも、目的を果たすために行動し、そこで体験したこと、感じ取ったことが、一番大切なことのようです。
「絵画鑑賞」、そして、「観光」は、対象物をただ見るだけではありません。
むしろ、そこから見えてくる「見えないもの」を感じ取ることに意味があるのだと思います。特別なことを感じ取るというのではなく、友と美術館巡りをしながら、交わす何気ない会話。それこそ立派な絵画鑑賞体験です。
お出かけに相応しい季節。書を捨てて街に出よう~愉しもう~。
はるばる海を越えてやってきた「受胎告知」。私が観たらどんなふうに映るのでしょう。

人気blogランキングへ
親から貰うお小遣いの中からやりくりをして、美術館巡りをしていた中学生、高校生の頃は、海外から有名な絵画がやってくると、それを見たさに、超満員状態の美術館に頻繁に通いました。
その頃は「観る。ではなく、見る。」だったようです。
有名絵画に群がる人混みの美術館の息苦しさは、かつての日本の美術館の象徴でもあったように思います。
大人になり、行動に束縛がなくなると、私はひたすら旅をしました。
自分の目で見たもの、味わったもの、聴いたもの、匂い、触覚、これらは、体験を通してでないと、なかなか身になるものではありません。
今、フィレンツェのウイッツィー美術館に所蔵されているレオナルド・ダビンチ「受胎告知」が上野で公開されています。
私は、この「受胎告知」をどうしても観たくて、ウィッツィー美術館を訪れたことがあります。夏休みのシーズンでしたが、美術館の広さが観客を分散させ、絵画鑑賞にゆったりと浸ることができました。フィレンツェの街自体が美術館のようで、方々にある有名な彫刻もすっかり街の風景に溶け込んでいます。
まだ背丈の低いその頃小学生一年生だった息子が、さんざん歩いた末、「ぼく、彫刻のおちんちんしか見えないよ!」確かにしゃがんで息子の目線になってみると、ダビデやメディチの像など、目に飛び込んでくるのは彫刻のおちんちんばかりです。
これは、息子がリアルに体験した、五感と体感にほかなりません。
さて、この「受胎告知」、フィレンツェの空気に交わりながら堪能したことはしたのですが、有名な絵画はそればかりではないので、意気込んで行ったわりには強烈な記憶がないのです。
強烈な記憶といえば、上記の息子の一言。そしてその一言を言った場所、ウィッツィー美術館前の広場と降り注ぐ太陽の光が同時に再現されるのです。
私の「体験主義」というのは、どうも、目的を果たすために行動し、そこで体験したこと、感じ取ったことが、一番大切なことのようです。
「絵画鑑賞」、そして、「観光」は、対象物をただ見るだけではありません。
むしろ、そこから見えてくる「見えないもの」を感じ取ることに意味があるのだと思います。特別なことを感じ取るというのではなく、友と美術館巡りをしながら、交わす何気ない会話。それこそ立派な絵画鑑賞体験です。
お出かけに相応しい季節。書を捨てて街に出よう~愉しもう~。
はるばる海を越えてやってきた「受胎告知」。私が観たらどんなふうに映るのでしょう。

人気blogランキングへ