上千本から降り、憧れの金峯山寺に。
御開帳の期間を狙った旅でしたが、残念ながら御本尊を目の前にすることが出来ない事態に。。。
何故かと云うと、私達が訪れた6月7日は、な、なんと、役行者(役小角)忌であったのです。
しかも、法要の時間と重なり、普段はお目に掛かることのできない金峯山寺の管長様のお話を聴くことができたのです。
役行者は634年に葛城山に生まれ、吉野で修業を積み修験道を確立。(私の記憶では638年:確か、数日前のブログにはそう書きました。)明治の廃仏毀釈で、修験道は排斥され、苦しい道のりであったようです。
管長様は、信者の皆様に「よく耐え忍びました」と、労をねぎらう言葉を掛けていらっしゃいました。
桜の苗木を植えることが修行の一つであり、その苗木を植え続けている方が、表彰されていました。
役行者は、持統天皇(鵜野のさらら)よりも9歳年上ということになります。
何度も吉野を詣でた鵜野が、修行を積んだ役行者を師と仰ぐには、丁度いい歳の差でもあるかもしれません。
役行者は、結局箕面に流され、最後は伊豆に流され亡くなったと聞いていますが、管長様はそのことには触れてはいませんでした。
能楽の「葛城」は、まさに役行者の「葛城山から橋を掛けた」という伝説と重なります。
能楽の謡曲を表から読み解くもの好し。裏から読み解くのも好し。能楽の師の謡曲解釈の説明を思い出しながら金峯山寺の境内で鳴り響くホラ貝を聴くこととなり、思いがけないホラ貝の音から道教の思想の中で命を繋いできた祖先のDNAを私の身体に強く感じました。山々に響きわたるホラ貝は、空気に浸透するが如きの音でもありました。
「個人の真実」を信じることは、我を活かしていくための大事な「確信」にも値します。
それを他者に共強要すれば、他者は違和感を感じます。真実であることに疑いが無ければ、それは我の真実となっていくのです。
修験道者である役行者の成りを見た人々は、その魅力にも取り憑かれたことでしょう。
その「成り」が未だに絶えずに人々の心を捉えているということは、魂という本質からぶれていないからなのだと、ひしひしと感じ山を降りました。
明日のブログは鵜野皇后が足繁く通った吉野「宮滝」です。
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何故かと云うと、私達が訪れた6月7日は、な、なんと、役行者(役小角)忌であったのです。
しかも、法要の時間と重なり、普段はお目に掛かることのできない金峯山寺の管長様のお話を聴くことができたのです。
役行者は634年に葛城山に生まれ、吉野で修業を積み修験道を確立。(私の記憶では638年:確か、数日前のブログにはそう書きました。)明治の廃仏毀釈で、修験道は排斥され、苦しい道のりであったようです。
管長様は、信者の皆様に「よく耐え忍びました」と、労をねぎらう言葉を掛けていらっしゃいました。
桜の苗木を植えることが修行の一つであり、その苗木を植え続けている方が、表彰されていました。
役行者は、持統天皇(鵜野のさらら)よりも9歳年上ということになります。
何度も吉野を詣でた鵜野が、修行を積んだ役行者を師と仰ぐには、丁度いい歳の差でもあるかもしれません。
役行者は、結局箕面に流され、最後は伊豆に流され亡くなったと聞いていますが、管長様はそのことには触れてはいませんでした。
能楽の「葛城」は、まさに役行者の「葛城山から橋を掛けた」という伝説と重なります。
能楽の謡曲を表から読み解くもの好し。裏から読み解くのも好し。能楽の師の謡曲解釈の説明を思い出しながら金峯山寺の境内で鳴り響くホラ貝を聴くこととなり、思いがけないホラ貝の音から道教の思想の中で命を繋いできた祖先のDNAを私の身体に強く感じました。山々に響きわたるホラ貝は、空気に浸透するが如きの音でもありました。
「個人の真実」を信じることは、我を活かしていくための大事な「確信」にも値します。
それを他者に共強要すれば、他者は違和感を感じます。真実であることに疑いが無ければ、それは我の真実となっていくのです。
修験道者である役行者の成りを見た人々は、その魅力にも取り憑かれたことでしょう。
その「成り」が未だに絶えずに人々の心を捉えているということは、魂という本質からぶれていないからなのだと、ひしひしと感じ山を降りました。
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