五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

横浜炒飯

2018年07月12日 | 第2章 五感と体感


横浜炒飯   2018年7月12日

横浜の下町、中区から内陸に位置する南区、横浜橋商店街の山側に三吉演芸場があります。桂歌丸師匠はこのあたりのご出身です。
戦後の闇市が商店街へと移り変わり、横浜で一番長いアーケードとしても知られています。
元祖ハマッ子の地域でもありましょう。
私自身も12歳から横浜に住んでいるので、ハマッ子の仲間入りをしたいところですが、この周辺を歩くとアウェー感が湧きたち、いやいや私はハマッ子じゃないんだ、と痛感させられる場所でもあります。
この横浜橋商店街をもう少し南に行くと磯子という町があり、美空ひばりさんは、現在のコンビ―ナートではなく、埋め立てをされていないノリの養殖で活気のあった頃の浜辺で育っています。
どちらにせよ、ハマッ子地域に育った私は、実家と自宅の間にあるこの地域がとても好きです。下町あり、山手あり、港ありで、多様な風情を楽しむことができ、後になってからできたみなとみらいから山下町、中華街、元町のエチゾチックな雰囲気も好きです。

横浜関内は、吉田新田と呼ばれ、江戸時代には海でした。東海道も現在の一号線は新しい道路であり、昔は、坂本龍馬や桂小五郎も縁のあった料亭田中屋の狭い道が本来の一号線です。
海の上に線路を作り、強引ともいえる埋め立てをしながら、現在の横浜が作りあげられてきました。

明治維新、関東大震災、第二次世界大戦、そして、戦後は米軍キャンプが横浜の一等地を占領し、変換された後は、新興住宅地となり、今は、みなとみらい地区が新しい横浜の顔として象徴化されています。
私の出身高校は、三渓園の山の上にあり、そこから見える風景は、三島由紀夫が磯子を舞台に描いた「午後の曳航」と重なり、教室の窓から広がる東京湾のキラキラした海を「午後のエイコー。。。」と呟きながら机に伏して寝ていた事ばかりが思い出されます。横浜らしさ溢れる雰囲気ばかりに気を取られ、身になる勉強なんぞは、そっちのけでした(笑)

戦後、皆が苦労して復興してきた横浜の街と、桂歌丸師匠が重なるのは、私の個人的な想いであるのはわかっているのですが、なんといっても歌丸師匠は横浜が生んだ偉大な落語家であることに、誇りを感じます。
このたび、有難い事に私が住まう街の日蓮宗のお寺で葬儀が行われました。
日蓮さんのお寺、ということも、民衆を意識されていたのか否かはわかりませんが、とても嬉しく思いました。



横浜のシウマイで有名な崎陽軒の横浜炒飯は、食が細くなっても歌丸師匠のお気に入りのお弁当だったそうです。
そのようなわけで、昨晩は、横浜炒飯を頂き、民衆の一人である私も偲ぶ時間を持たせていただきました。

ハマッ子とはちょっと違ったイメージの粋な兄さんという印象の歌丸師匠に合掌。


コメント
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