五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

生き甲斐の心理学ってなぁに?

2012年07月15日 | 第2章 五感と体感
生き甲斐の心理学をわかりやすく説明してみると、

「地球には現在70億人以上の人が住んでいます。この70億人は、それぞれ違う個性を持っています。ひとりひとりに与えられた個性を大切に、活き活きと生きていくことを目的に、心理療法の基礎を学びながら自分自身のために学んでいただく勉強です」

私達の団体NPO法人キュールカリタスカウンセリング学会の「キュール・CULL」は「生き甲斐のある長寿」という英語の単語を略してCULLと名付けています。

自分が幸せになると、自分と繋がる誰かも幸せになっていくはずです。

心理学の知識を知っていただくことで、ご自分の中にある不安を解消し、明るく健やかな生活を目指します。
そして、自分自身の生き甲斐とは、何かを思い巡らす場として使って頂ければ、と願っています。

つまり、自分自身が活き活きと生きるための勉強なのです。



NPOの勉強会は、ニコニコ明るく、楽しくをモットーにしています。
参加者の方々の健やかな笑い声を聞かせていただくことが、私の生き甲斐かもしれません。


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問題の取り組み方

2012年07月14日 | 第2章 五感と体感
自分の身に起こる問題は、案外同じパターン解釈していることが多いように思います。

自分に降りかかる問題についても、人間関係にしても、自分自身が感じ、考え、行動しているので、同じようなパターンで解釈してしまうのは、自分自身の傾向や性格に繋がってくるので、仕様がないことかもしれません。

私は私であって私以外の何者でもありません。

自分の考え方の傾向が、さっぱりわからないと思うのであれば、自分一人がぽーんと放り投げられた時、どんな感情が湧いてくるのかを実際体感してみるのもよいかもしれません。

自分の内に宿っている答えが必ず見えてくることを信じているか、否か。
感情の湧き出し方、考え方、行動に、自分が期待しているものが見えて。

与えられた問題に取り組む場合、自分が取り組むべき問題だと粛々と遂行している人の愚痴と、そうでない人との愚痴も、ずいぶん違いを感じます。

自分の人生、悔いなく生きるためには、自分の問題を自分自身がどう取り組んでいくかの傾向と直結しているようにも思います。

自分自身の問題に対する取り組み方。。。今一度、点検し直してみるのも自分の健康的な生活の一歩であるかもしれません。

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美しい人

2012年07月13日 | 第2章 五感と体感
毎年この時期に会食するお友達がいます。昨晩、いつもと同じレストランで再会しました。

アメリカ在住だったり、北海道在住だったり、住まいはバラバラですし、やっていることも違いますが、かつて同じ職場にいたことだけが共通点です。一番年下の私は美しいお姉さま方にプチ憧れを抱きながら、いろいろ学ばせて頂いたことも多々あります。

毎年、年に一度だけのお食事会ですが、四半世紀経っても年月の経過を感じさせないのは、彼女たちの中に真にある自立心かもしれないな、と、思いました。

いろいろあるけれど、問題と向き合っているし、関わっているし、そして何よりも芯が太さを皆さまから感じるのです。
その上、美しい。。。

見た目も美しいのですが、醸し出すものが美しい。

身体の正中線と心のバランスは、比例しているのかもしれません。

取り繕うと剥がれてしまい、剥がれると鈍く汚い面が再び表れます。そして、ますます醜くなります。

でも正直さは水晶の柱みたいに透き通ります。その中にある決してぶれない安定感が投影され、表出されるものに美しさを感じるように思うのです。

そんなことをつらつら想いながら昨日は帰路につきました。

「何が美しいか」を考えてみる事は、大切なことだと思います。

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東急セミナーBEの講座について

2012年07月12日 | 第2章 五感と体感
東急セミナーBE雪谷校で「生き甲斐の心理学講座」を始めて丁度10カ月になります。
四月からはたまプラーザ校で講座を開設させていただき、「生き甲斐の心理学」の教育普及が東急セミナーさんによって広がってきたように思います。

ほんとうにありがたいことだ、、、と、思います。

何度もブログに書いていることですが、日本にはカウンセラーの国家資格がありません。国家資格は法で守られますが、個人でカウンセリングを行うにはとても難しいのが現状です。

病院や学校や会社等に雇われてその傘下に自分の身を置くことが、この仕事の絶対的な条件といっても過言ではないと解釈しています。
私自身、実際に一対一のカウンセリングを行っているのは雇ってくださっている学校の中だけです。

私達のNPO法人キュールカリタスカウンセリング学会は、通信講座で学び3級の資格を取得した講座生が講師となり、テキスト「生き甲斐の心理学」の内容を教育することを目的としています。

自分自身を題材に、そして自分自身の生育史を大切にしながら、理論を学び自分の内にある答えを自分自身で見つけていく
のが、この講座の目的です。
参加者の皆様が、それぞれのことだま「言葉」に対し、否定も肯定もせず、温かく見守りながら勉強会が進行していきます。

自己肯定・他者肯定を意識し、他者批判をすることをしないことを条件に勉強会に参加していただきますので、私が言うのもなんですが、和やかで楽しい勉強会を繰り広げております。

来週16日に青葉区中心に発信しているFMサルースにお呼びがかかりました。台本を作ってくださるとのことで安心はしておりますが、いやはや、おっちょこちょいの私が何かやらかすのではないかと、不安でもあります(苦笑)
台本を書いてくださる方に、少しでも私の仕事内容を理解していただくために、今日はちょこっと固い話題でブログを書かせていただきました。当日よろしくお願いいたします。

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好きと嫌いを意識する

2012年07月11日 | 第2章 五感と体感
他者に感じる違和感によって、いろいろな感情が湧いてきます。

他者と自分を比べた時も、いろいろな感情が湧いてきます。

その「いろいろな感情」は、自分自身にしか解らない自分自身の個性から湧きあがってくるものです。

原初感情である「好き」と「嫌い」が、自分の感情のベースであるとしたら、好きだから湧いてくる感情なのか、嫌いだから湧いてくる感情なのかは、判別できるはずです。

でも、自分の感情とは裏腹に、他者に対して対応していることだって良くあることです。

好きなのに、相手を攻撃したり、無視したり、

嫌いなのに、付き合いを深めたり、好意を装ったり…、嫌っちゃいけないという思いに囚われたり、、、

どちらにしても自分の感情と行動が伴わない生活していると、どんどんと心の奥底で「理想と現実のギャップ」が大きくなっていくのです。

好きと嫌いを意識して、行動しているならまだしも、本当の感情がどこかにいってしまい、自分の「行動」や「~せばならない」だけが表層的に行われていることが続いていくと、自分の本当の感情が意識化できなくなっていくようです。

ほんとうの自分とはなんぞや・・・
ここで、また、哲学的な問いをしてしまいますが、せめて、心の中で「これが好き、これは嫌い」を判別できているかの点検ぐらいはしてみると良いかもしれません。

きっと、好きだけど、でも、こうでああで… …とか、嫌いだけど、、そんなこと口に出して言えないし等、、、自分の心の中で、建前と本音が渦巻いていくことでしょう。でも、心の中は自由です。口に出さず、心の中で巡らせてみる時間を大切にしたいものです。
「こういうものが好き、こういうものが嫌い」という単純であり一番大切な判別は、できるようにしておくと、自分の中の対処方法が変わっていくようにも思います。

なぜ、好きなのか、
なぜ、嫌いなのか、、、

自分の生育史を紐解いてみると、自ずから理由に気付くこともありそうです。

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Face to face

2012年07月10日 | 第2章 五感と体感
インターネットを使ってのコミュニケーションは、とてもありがたいものです。

でも、実際に会って話をすることに勝るものはありません。

他者との連絡方法が便利になればなるほど、他者との関係が希薄になることもあるように思います。

体感する自分の感覚は、やはり実際に顔と顔を突き合わせない限り感じ得ないものかもしれません。

「結局は、最後は人の手でしょ。。。」
というのが、今回の大震災の私が得た教訓でもあります。

互いに感じ合う信頼感はネット上の言葉の羅列だけでは深める事はなかなか難しいものです。

会って話をするということは、互いの五感と体感をすべて使うわけです。
そこから得る微妙な感覚を互いに感じ取ることで、コミュニケーションが深まるのです。
…もしかしたら、直に会ってみて嫌になることもあるかもしれません。

どちらにしても、会わなくては解らないことのほうが多そうです。

face to faceを大切にしていきたいものです。 

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生き甲斐の心理学を学ぶということは…

2012年07月09日 | 第2章 五感と体感
私は生き甲斐の心理学の学びを始めてから、ずっとこの学びとともに生きているわけですが、干支が一巡りした最近になって、目の前が開けてきたような感じがしています。

生き甲斐の心理学ではテキストを使い心理療法の基礎を学ぶわけですが、自分の解釈の狭さが学びの理解を阻んている事もあったり、自分自身の思い込みが学びを深くしていなかったり、ともかく理屈をいくら学んでも、自分自身の「状態」が学びの深さと理解度を左右しているわけで、五感と体感である体感で体得していかない限り、自分のものとして感じ取ることは至難なことであり、防衛機制の連続かもしれません。

厳しいことを書いているかもしれませんが、実際にそうだな、と思うのです。

この学びを続けている方々を見ていると、私を含め自分のものにしたいという欲や学問への探究心という「情動」が学び続ける原動力になっているのは確かです。

源氏物語や平家物語を読み、チベットの死者の書を読み、聖書、経典を読み、折りにふれ様々な宗教や風習を学びながら、日本人である自分のアイデンティティを中心に学んでいくと、ますます自分を成り立たせている遺伝・環境・経験を慈しむことができるようになっている自分に気付きます。

自分の生まれ育った環境が自分を阻んでいると思うとしたら、阻ませている自分の解釈を変えていくことで変わっていくことを信じる事ができるか想い浮かべてみるとよいかもしれません。もし、信じられない思いが湧いてきたら、何故自分は信じられないのか。。。という、問いかけを自分自身にしてみることから始めてみると、この学びの意味が徐々に見えてくるように思います。

私は何のために生きているのか?
私の生き甲斐は何か?
私は心と魂と身体を大切にしているか?

この三つの問いは、息を引き取る瞬間まで自分に問いかけ続ける問いであるように思います。

町田での3日間、カールロジャーズの19の命題を自己事例に置き換えてみました。年に一度のロジャーズの徹底的な学びは、やはり心理療法を学び続ける私達には必要な理論です。
「答えは自分の内にあり」、どのような環境が整うとその答えが見出されていくか。。。身を持って体感する勉強会は貴重なものです。他者を批判すること、他者を指摘すること、他者を分析し理詰めで勉強することが、いかに虚しいことであるか、それを解って頂けるだけでも、一歩踏み出した証拠であるように思います。

7月の公開講座は7月17日四ツ谷(植村先生)
20日東急セミナーBE雪谷 27日東急セミナーたまプラーザです。

晴天の月曜日。爽やかに一週間が過ごせますよう。
試験が終われば夏休みです!

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一学期の締めくくり

2012年07月06日 | 第2章 五感と体感
そろそろ学期末の試験が始まる頃ですね。
試験が終われば夏休み。

4月から新しい環境で頑張ってきた一年生は、ここでようやく一息。

一息つく時間は、身体と心を休めるために必要です。身体と心を休めると次が見えてくるようです。

子育ての指針とか考え方は大事でしょうが子の具体的な目標は親が立てるものではないと私は思っています。

親の視野は、案外子の視野よりも既に狭いものになっているかもしれません。

子供の目標を誘導する前に、親である私達自身が「どう生きたいか?」という問いに改めて考えを巡らすことが大事なように思うのです。

一学期の締めくくりは、子供だけの課題に翻弄されず、親も一息ついてみる必要がありそうです。

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自信を感じる時

2012年07月05日 | 第2章 五感と体感
一つの仕事を一所懸命していると、他者は見ていてくれているものです。

一所懸命の的が外れていると人は寄り付きません。
一所懸命の的が当たっているように見えると人が近づいてきます。

先日、友人から職場が変わる知らせを受けました。

職場が変わり、より良い条件で働くことができるようになることも嬉しいのですが、職場を紹介してくださった方が彼女の様子を見ていていてくれていたことが、何より嬉しいのです。

同じ業種で働いていなくては、答えが見い出せないことは沢山あります。勿論、知恵だって回りません。

他者が温かく身守ってくれていたことが、こうやってよい方向に実現していくことは、友人の人柄だけでなく、実力を認めてくれている証でもあるわけです。

こうやって他者との関わりと繋がりで何かが動いていくと自信も増していきます。

何にもできないけれど、私も出来る事を関わっていければ、それで良し^^/と、思います。
お互いに持ちつ持たれつ、知恵を出し合いながら、末長くよろしくお願いします~!

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パリからの元気な知らせ

2012年07月04日 | 第2章 五感と体感
昨日、姉のような存在であるパリの友人から久しぶりに電話が入りました。
こちらから電話することが多いので、何事かと思いきや、インターネットを始めたとのこと。

一つ始めたら勢いが止まらなくなるのが彼女のスゴイところです。新しい道具を使い自らの役割をひたすら遂行中のようです。

元気な声を聞き、生き甲斐に満ちた生活をしていることが直ぐに伝わりました。

人生は嵐もあれば凪ぎもあるわけですが、波に任せて自分自身の感情に素直に向き合うことは、なんと素晴らしい事よ・・・と、つらつら思います。

やりたいことはやったほうがいいし、
嫌なことはやらないほうがよいし、
嫌ななことでも後悔したくなければやればよいし、

自分の感情に素直であれば、苦しむことだって多いはずだけど自分で決めた路を進んでいくことの信念ほど強いものはないように思います。

強さと弱さは表裏一体です。それを思いっきり体感して、悔いなく生きようとしている人の姿は美しいです。

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多角的に気分転換

2012年07月02日 | 第2章 五感と体感
仕事と表装作業(いよいよ江戸表具の会作品展まであと一カ月…)をひたすら繰り返して過ごしていたら、さすがに身体がシャットダウン。そんなわけで昨日は表装の師匠から新たな技術を学ぶための講座に出がてら、渋谷にできたヒカリエで気分転換してきました。

ヒカリエの7階までは店舗と飲食店ですが、8階から11階は、渋谷区行政関係のコーナーやフリースペース、ギャラリーがあり、ホールもあります。
ゆったりとお茶をするなら8階以上に上がったほうが眺望も良く広さが確保されているので落ち着きます。

東横線と銀座線、山の手線が交差している渋谷駅。

ヒカリエのガラス張りから一望できる渋谷周辺は、なんだかとってもノスタルジックです。真下には銀座線が駅に出入りしてくのが見え、代々木体育館の屋根がふんわりと浮かび、幼い頃の渋谷駅周辺をふと思い出し、半世紀で変貌してきた街の姿を改めて思い返しました。

銀座線の屋根を高い所からぼんやりと見降ろし眺める時代が来るとは思いもよらなかったことです。
ジオラマを愉しみ、シースルーエレベーターで一気に二階に下り東横線で岐路につきました。

普段見ている風景を違う角度で観てみると、心の中まで違うものが見えてきて気分転換には最適です。

梅雨の後半じとじとした気候の中、体調に気をつけながら過ごしたいものです。

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正直な感情と思考と行動

2012年07月01日 | 第2章 五感と体感
昨日は、ケセン語で聖書の一部を書かれた山浦玄嗣氏の講演会を拝聴してきました。

東京の大森山王で生まれた大船渡育ちのお医者さんです。

幼い頃、疎開(推測です)をした村の耶蘇教(キリスト教)の信者は、山浦さんの家族だけ。つまりお母様と息子のみ。

耶蘇!耶蘇!といじめられ、馬糞を牛糞を投げられ虐められた経験が、いつしかケセン語、つまり大船渡の言葉で聖書を書こうと思うきっかけになったそうです。

山浦氏の講演は、最初から最後まで聴講者600人は笑いっぱなしでした。

自分の生育史をこれだけ笑わせながら人の心を掴み、自分の考えや感情を正直に表現していく話しっぷりに終始感心しっぱなしででした。

一定の土地の風土の個性は、異なるものと交わらなくては、違いを感じません。その違いを否定的に捉えていては、否定的な感情しか湧かないはずです。異なるものを比べ考察する力を育んできた山浦氏を育てられたお母様のお話もぜひお聞きしてみたいと思いました。

「ガリラヤのイエシュー・山浦玄嗣訳」イー・ピックス出版 2.520円 (直接販売のみですが、キリスト教の本を扱う本屋さんには置かれてあるそうです) 

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