過ちて改めざる これを過ちという
今年のニュースを振り返ると、謝罪をする映像が多かった。企業のトップ、学校長、教師、教育委員会、政治家、警察官、公務員、etc.数え上げたらきりがない。中には金儲けが何故悪いと開き直る御仁もいたようだが。
キュスターの久米宏さんが、10年前のテレビでの発言に謝罪したそうだ。「ニュースステーション」での「外人の日本語は片言のほうがいいよね」との発言に「今頃何をとお思いでしょうが、心からおわびします」と。
「日本語を必死に勉強し、日本社会に溶け込もうとしている外国人もいる、とても不愉快」との抗議を最近ネット上でたまたま知り、「よく考えてみると、これはかなり失礼な発言だと思います。視野の狭さと反省しています」と抗議の主に謝罪のメールが届いたという。
10年前はこのことを知らなかったそうだが、抗議の主は「驚いたが、久米さんのように影響力のある人が過去の発言を放置せず、修正しようとしてくれてうれしい」と話している。(朝日新聞から)
自分の非を認め謝るということは勇気のいること。謝ることは自分の価値を落とすと思いがちだがそうではない。素直に非を認め謝罪する姿は、その人の価値を上げることでもある。
しかしである、嘘をいい、言い訳ばかりで隠し通せなくなり世論に負け、仕方なく謝罪する姿を嫌というほど見せつけられてきた。そこに反省の気持ちなど微塵も感じられない。謝ればそれで済む、そんな態度が見え見えの謝罪、心のこもらない謝罪など聞きたくない。
そんな中での久米さんの謝罪は一服の清涼剤に感じられた。自分にも持ち合わせがない素直に謝る心、心がけてみようと思うが、できるかな?
2006.12.22