中村勘三郎さんに続いて、またまた歌舞伎界の巨星が落ちた。白血病という大病を克服したと思っていた市川団十郎さんの死は、熱烈な歌舞伎ファンとはいえない僕にとっても、勘三郎さん同様、残念である。
勘三郎さんも団十郎さんも、まだ勘九郎、海老蔵時代に舞台を見たことがある。当時の団十郎さんは、籠りがちな口跡が気になったが、後にテレビで見る限り、あのやさしさの中にある目力と共に、重く響くような声音(こわね)が魅力になっていた。

お二方とも浅草には所縁(ゆかり)も深く、勘三郎さんは先日も紹介したように、浅草での平成中村座を立ち上げ、団十郎さんは九代目団十郎の『暫』の銅像が浅草寺裏に建つ。

その銅像の前で行われる泣き相撲では、学生力士に抱き上げられた赤ちゃん同士の対戦の審査員も務める団十郎さんを、間近で撮影したこともある。

あの日の元気な姿と優しい笑顔が印象的であるが、二度とあの笑顔を見ることができないのは寂しくもあり、我がPCに遺された画像をもう一度ここで紹介して、哀悼の意を表そうと思った次第である。

合掌
勘三郎さんも団十郎さんも、まだ勘九郎、海老蔵時代に舞台を見たことがある。当時の団十郎さんは、籠りがちな口跡が気になったが、後にテレビで見る限り、あのやさしさの中にある目力と共に、重く響くような声音(こわね)が魅力になっていた。

お二方とも浅草には所縁(ゆかり)も深く、勘三郎さんは先日も紹介したように、浅草での平成中村座を立ち上げ、団十郎さんは九代目団十郎の『暫』の銅像が浅草寺裏に建つ。

その銅像の前で行われる泣き相撲では、学生力士に抱き上げられた赤ちゃん同士の対戦の審査員も務める団十郎さんを、間近で撮影したこともある。

あの日の元気な姿と優しい笑顔が印象的であるが、二度とあの笑顔を見ることができないのは寂しくもあり、我がPCに遺された画像をもう一度ここで紹介して、哀悼の意を表そうと思った次第である。

合掌