<o:p> 水俣からの帰り、疲れたので抹茶アイスを。 </o:p>
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M叔母さんの葬式と初7日が無事に終わって、昨月曜日遅くに我が家に帰りついた。四国と九州、さすがに遠い。海が間に入っているものだから、どこで海を超すかがポイントだ。これが前もって分かっているのなら、少々渡航時間がかかっても楽な船旅を選択できるのだろうが、今回は時間との勝負だったので、フェリーの便が多くて、時間も短い「佐賀関―三崎」間の九四フェリーを利用した。<o:p></o:p>
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大降りの雨の中、我が家を七時前に出発して、目的地のお寺に着いたのが葬式の始まる20分前の14時40分。ぎりぎり間に合った。M叔父さんの家を訪ねるのは20年ぶりだが、すっかり変わってしまっていた。国道沿いに田圃があって、その外れに叔父さんの家があったのだが、家が密集して、車の量も多く、分かりにくかったが、カーナビが役に立った。
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葬儀にはやはり20年ぶりに顔を見たU叔父さんも来ていた。15年くらい前に、引っ越したとは聞いていたが、まさかここで逢うとは思っていなかったので、びっくりするやらで嬉しかった。
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M叔母さんは、写真の中からにこやかにほほ笑みかけており、とても亡くなったとは思えなかった。M叔父さんの落胆ぶりは察するに余りあり、元気を出すようにと励ましたが、これからひとりの生活だ。74歳でまだまだ元気とは言うものの、心配だ。
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私のお袋が亡くなった時に、お世話になったお隣のDおばあちゃんの所にも顔を出した。84歳になり耳が遠くなって、痛風のため歩くのがしんどい、と言っていたが元気そうだったので安心した。旦那さんのおじいちゃんも元気に笑顔を見せてくれた。地元名物の闘牛が生きがいで、自分でも牛を飼っていて、その牛が大関までなったと聞いていたが、今は世話ができないのでやめたそうだ。なんだか寂しかった。
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その晩はU叔父さん夫妻と遅くまで飲んで、昔話に花が咲いた。母の妹であるおばさんは、昔の母の面影を残しており、お袋にあったような気さえして、感傷にふけったりもした。帰る時には趣味の盆栽を持って行け、と車に詰め込んでくれたりした。<o:p></o:p>
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月曜日に初7日の法要が終わって、帰路に着いた。1時に発って、我が家には8時に帰り着く予定だったが、大分で高速道路が濃霧で交通止め。結局一般道を通るしかなくなって、帰りついたのが夜の10時前。疲れました。<o:p></o:p>
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仕事のほうも、このところなぜか引き合いが集中して、今日は朝早くから水俣へ。 明日も大分で、来週は四国の新居浜と出張が目白押し。だから、ゆっくりとブログを楽しむことができません。何とか時間をやりくりしたいとは思ってますが。
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