リンさんのエピソードをザックリと削った分、今回の作品は嫁・すずさんと、小姑・径子さんの心の動きと機微を丁寧に深く描いていますよね。
それを表す良いシーンは、やはり家事をしているところで...。
どちらのシーンも、右手を失ったすずさんが、苦心しながら洗濯したり、米をといだりしているところに径子さんが急に出て来て(何も言わず)交替するシチュエーション。
いずれも原作には無い描写ですが、二人の距離感と関係性が変わったんだなと見て取れる重要な見せ場だと思うんです。
洗濯のシーンは、仕事を奪われ、居場所も無いのだと呆然とし後ずさりするすずさん。
でも米とぎのシーンでは、径子の行動に助けの気持ちがあると理解し、「素直に見つめるすず」とあるように納得の表情をしています。
おそらく気持ちの変化をしているのはすずさんだけで、径子さんは洗濯シーンの段階で、助けの気持ちになっているんだけど、伝わっていない。
作品の前半で、ゆったりマイペースで煮干しの処理をしているすずさんにイラッときて仕事を奪う径子さんとは全然違うのです(^_^)
映画監督・吉田喜重さんが、小津安二郎作品の特徴として揚げる「反復とズレ」がここにあり、ジワ〜ときてしまうのです(´;ω;`)
同じようなシーンを繰り返し見せ、そこに微細な変化を刷り込む...本作演出の素晴らしい一環となっています。
それを表す良いシーンは、やはり家事をしているところで...。
どちらのシーンも、右手を失ったすずさんが、苦心しながら洗濯したり、米をといだりしているところに径子さんが急に出て来て(何も言わず)交替するシチュエーション。
いずれも原作には無い描写ですが、二人の距離感と関係性が変わったんだなと見て取れる重要な見せ場だと思うんです。
洗濯のシーンは、仕事を奪われ、居場所も無いのだと呆然とし後ずさりするすずさん。
でも米とぎのシーンでは、径子の行動に助けの気持ちがあると理解し、「素直に見つめるすず」とあるように納得の表情をしています。
おそらく気持ちの変化をしているのはすずさんだけで、径子さんは洗濯シーンの段階で、助けの気持ちになっているんだけど、伝わっていない。
作品の前半で、ゆったりマイペースで煮干しの処理をしているすずさんにイラッときて仕事を奪う径子さんとは全然違うのです(^_^)
映画監督・吉田喜重さんが、小津安二郎作品の特徴として揚げる「反復とズレ」がここにあり、ジワ〜ときてしまうのです(´;ω;`)
同じようなシーンを繰り返し見せ、そこに微細な変化を刷り込む...本作演出の素晴らしい一環となっています。