小津安二郎の描く家族には、たいてい誰かが不在なことが多いんです。
妻(母親)だったり、兄弟の一人だったり...。
それを目には見えないポッカリと空いた大きな穴として存在させ、「懐に隠された刃物」として機能させます。
「麦秋」は後期・小津作品としては珍しくカメラを横や縦(クレーンまで...)に移動させるカットを多用しているんですが、その見せ方が謎めいているんですよね。
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最初の内は、誰もいないショットでなぜわざわざカメラが移動するんだろう...?って意味不明に思っていたんですけど(^_^;、ある時、あぁ..これは出征して未帰還の次兄・省二の視線なのかと感じたんです。
オカルトめいた解釈になってしまうのかもしれないんですが、ひょっとしたらこの作品全体の映像は省二の魂が見つめているものなのかもしれません。
「ニューヨークのゴースト」という映画がありましたけど、あんな感じ。死んでしまった恋人の霊が彼女に迫る危機をなんとかして救う話だったと思うんですが、もし「麦秋」もそんな設定であったとしても小津安二郎は決して霊魂を映像として見せたりしません。それは「腰巻チラチラさせてる女みたい」でダメな演出なワケです(^_^;
紀子(原節子)の上司がもってきて、長兄・康一(笠智衆)もノリノリな縁談を破談にさせ、近所に住む康一の後輩であり省二の親友だった矢部謙吉と結ばせようとしているのは省二の霊であると思えてくるんです。
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教会の見える喫茶店だし...亡き人の思い出話しをする時って、その霊がそばにいるというし。
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紀子はこの時点で気持ちに区切りをつけたような気がするんです。
そして物語の中で唯一、省二の霊を実感しているのが父・周吉(菅井一郎)なんです。
周吉は確信しているかのように省二の帰還を否定・断言します。
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まだ帰ってくるのを信じている母・志げ(東山千栄子)が可哀相になるんですが...。
そして、これもよく話題になる有名な周吉の踏切シーンですが、
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庚申塔と遮断された踏切...。
ため息を一つつき、見上げる空。
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そこに省二を見て、対話している気がします。「わかった...お前のとこに行くよ」と言ってるのではないかと。
省二は戦死し、その霊をハッキリと感じている人なんだと判ると、周吉の言動が納得できるんです。
ラストシーン、まほろば・大和の国での周吉と志げ。
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オカルトっぽい見方をしちゃうと、ここはもう天国にしか見えないんですね...二人はこの世の人ではないような。
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麦畑を行く花嫁...まるで天界の雲間から嫁ぐ紀子を見守っているようにも...。
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そして最後に横移動で雲海のような麦畑をゆっくりを見せて終わります。
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下手な演出なら、ここまでの各シーンで盛大に省二の姿をオーバーラップさせるところでしょうが、絶対にそうしないのが小津安二郎の凄いところだと思います。
群生する麦は戦争で亡くなった多くの兵士なのではという解釈もありますね。戦地で病死しした山中貞雄に捧ぐ気持ちも強く込められているようです。
そして「この世界の片隅に」も共通するのが、不在者である兄・要一の存在です。
要一は幼少期で怖い兄「鬼ィちゃん」として、ちょっとだけ登場しますが、やはり出征したまま消息を絶ち、石ころが入った骨壺だけが戻され家族は生死の実感を持てないまま。
しかし、すずさんだけが無意識に「みぎて」を通じて、兄の存在を間接的に描き出しています。
バケモンとして、周作さんと縁を結ばせたのも兄だったんだなと感じ取れるんですね。
原作も映画も、そうなのだという説明も断言も一切していません。作中に点在するちょっとした描写を寄せ集めてみると、そうなのかもしれない!と思わせてくれるんです(^_^)
「麦秋」と「この世界の片隅に」、両作ともに何の説明もしていません。すべては鑑賞者の解釈に委ねています。
だから...何度でも観たくなるし、その都度いろいろ考える楽しみがあるんです(^_^)
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