どっと屋Mの續・鼓腹撃壌

引き続き⋯フリーCG屋のショーモナイ日常(笑)

不在者の存在感

2017年04月30日 19時05分00秒 | 映画
久々に「麦秋」を観て、表題の意味を強く感じました。そして「この世界の片隅に」との共通点も...。

小津安二郎の描く家族には、たいてい誰かが不在なことが多いんです。

妻(母親)だったり、兄弟の一人だったり...。

それを目には見えないポッカリと空いた大きな穴として存在させ、「懐に隠された刃物」として機能させます。

「麦秋」は後期・小津作品としては珍しくカメラを横や縦(クレーンまで...)に移動させるカットを多用しているんですが、その見せ方が謎めいているんですよね。




最初の内は、誰もいないショットでなぜわざわざカメラが移動するんだろう...?って意味不明に思っていたんですけど(^_^;、ある時、あぁ..これは出征して未帰還の次兄・省二の視線なのかと感じたんです。

オカルトめいた解釈になってしまうのかもしれないんですが、ひょっとしたらこの作品全体の映像は省二の魂が見つめているものなのかもしれません。

「ニューヨークのゴースト」という映画がありましたけど、あんな感じ。死んでしまった恋人の霊が彼女に迫る危機をなんとかして救う話だったと思うんですが、もし「麦秋」もそんな設定であったとしても小津安二郎は決して霊魂を映像として見せたりしません。それは「腰巻チラチラさせてる女みたい」でダメな演出なワケです(^_^;

紀子(原節子)の上司がもってきて、長兄・康一(笠智衆)もノリノリな縁談を破談にさせ、近所に住む康一の後輩であり省二の親友だった矢部謙吉と結ばせようとしているのは省二の霊であると思えてくるんです。

教会の見える喫茶店だし...亡き人の思い出話しをする時って、その霊がそばにいるというし。




紀子はこの時点で気持ちに区切りをつけたような気がするんです。

そして物語の中で唯一、省二の霊を実感しているのが父・周吉(菅井一郎)なんです。

周吉は確信しているかのように省二の帰還を否定・断言します。


まだ帰ってくるのを信じている母・志げ(東山千栄子)が可哀相になるんですが...。

そして、これもよく話題になる有名な周吉の踏切シーンですが、


庚申塔と遮断された踏切...。

ため息を一つつき、見上げる空。


そこに省二を見て、対話している気がします。「わかった...お前のとこに行くよ」と言ってるのではないかと。

省二は戦死し、その霊をハッキリと感じている人なんだと判ると、周吉の言動が納得できるんです。

ラストシーン、まほろば・大和の国での周吉と志げ。

オカルトっぽい見方をしちゃうと、ここはもう天国にしか見えないんですね...二人はこの世の人ではないような。

麦畑を行く花嫁...まるで天界の雲間から嫁ぐ紀子を見守っているようにも...。

そして最後に横移動で雲海のような麦畑をゆっくりを見せて終わります。

下手な演出なら、ここまでの各シーンで盛大に省二の姿をオーバーラップさせるところでしょうが、絶対にそうしないのが小津安二郎の凄いところだと思います。

群生する麦は戦争で亡くなった多くの兵士なのではという解釈もありますね。戦地で病死しした山中貞雄に捧ぐ気持ちも強く込められているようです。

そして「この世界の片隅に」も共通するのが、不在者である兄・要一の存在です。

要一は幼少期で怖い兄「鬼ィちゃん」として、ちょっとだけ登場しますが、やはり出征したまま消息を絶ち、石ころが入った骨壺だけが戻され家族は生死の実感を持てないまま。

しかし、すずさんだけが無意識に「みぎて」を通じて、兄の存在を間接的に描き出しています。

バケモンとして、周作さんと縁を結ばせたのも兄だったんだなと感じ取れるんですね。

原作も映画も、そうなのだという説明も断言も一切していません。作中に点在するちょっとした描写を寄せ集めてみると、そうなのかもしれない!と思わせてくれるんです(^_^)

「麦秋」と「この世界の片隅に」、両作ともに何の説明もしていません。すべては鑑賞者の解釈に委ねています。

だから...何度でも観たくなるし、その都度いろいろ考える楽しみがあるんです(^_^)



4月29日(土)のつぶやき

2017年04月30日 04時49分58秒 | 日記

SONY純正イヤーピースを購入

2017年04月29日 20時25分00秒 | オーディオ&ビジュアル
EP-TC50M です。

「XBA-N3・N1用」とありますが、同社製のいろんなインナー型イヤホンに対応しております。

もちろん我が愛機 XBA-H3 にもバッチリ、装着も問題なしです(^_^)


2種類の硬度のシリコンゴムに独自開発シリコンフォーム素材を組み合わせた構造で、厚みもあり、ゴムの薄いフニャフニャ感はありません。

その上に水洗いも可能というのが珍しいです。

さっそく装着してみたところ...うん!納得(^_^)

高域はスッキリと伸び、低域の量感と輪郭がシッカリと耳に伝わってきて、聴き慣れた楽曲も一際楽しく響きます。

音像や定位も良くなり、ヴォーカル曲なんか耳元に近寄ってくれる感じで、コトリンゴさんの「悲しくてやりきれない」なんかハッとさせられました。Perfumeの各楽曲もキラキラと輝く感じになって新鮮に聴けました(^_^)

これまでコンプライのを付けていたけど、ここまでの変化は感じなかったなぁ...さすがSONY純正で、イヤホンとの相性がバッチリです!

局所・外形・内部と3種の追従性を謳い文句にしてますが、看板に偽りなしってところでしょうか。

外出しながらかなり長時間装着しっぱなしにしてもあまり疲労感がなく快適です。

とても満足な逸品かと(*^o^*)



4月28日(金)のつぶやき

2017年04月29日 04時47分14秒 | 日記

この世界の片隅に、27回目鑑賞

2017年04月28日 22時55分00秒 | アニメ
結果的に2連荘になってしまった(^_^;

新宿ピカデリーラスト!それも片渕さんもいらっしゃると聞けば…ね( ^ω^ )

満席完売でしたね(^_^)

ハコは9階の6番と小さめですが、思ったほどではなかったです。スクリーンサイズも音響も程よく、位置も通路から3段目の上手側、良い位置でした。

みぎてがサヨナラ〜と振った後…拍手が自然におきました。熱狂的と言う感じではなく、優しく労うかのような響きで(o^^o)

舞台には泣きの山本さん(^_^;と、片渕さん。なので今回は撮影OKで。

う〜暗いので中々キビシイ…。

片渕さんのお話は「マイマイ新子」の時からの新宿ピカデリーの思い出。その時のラスト上映は山本さんと客席だったそうです。

「この世界の片隅に」は元々ピカデリーさんでの上映予定ではなかったが、テアトルさんが一杯になってしまい急遽対応頂いたとのこと。

当時このニュースを聞き、本当に凄い事になったなと思いましたね、まさにビッグウェーブ\(^^)/

一番大きなハコで観た時はあまりの迫力で、違う作品を見ているよう(そういう感覚は色んな映画館の個性によって変化するのを如実に感じた次第)。

帰りがけにもロビーで帰り客にお見送り挨拶までされてました..。

本当にっ!こんな映画監督みたことないです(;_;)

私も握手して頂きまして「ありがとうございます、またカトリックので行きます」とか纏まりない言葉になってしまいました(^_^;

カトリックとは日本カトリック映画賞受賞記念で、来月20日(土)に中野で上映とトークのイベントがあるのです。

ってな感じで、私はまだまだ観に行く気マンマンなのです!p( ^ω^ )q

ってな事で新宿ピカデリーは4回目ですが、一先ず終了!ありがとうございましたぁ!

メガネ新調

2017年04月28日 16時40分00秒 | その他のモノ
前回の日曜日に突然ツルが折れてしまった先代のメガネ(^_^;

あわてて近所のメガネショップに駆け込み、できあがるのは早くて29日(土)か?と言われてましたが、一日早く!

さっそく引き取りに行ってきました。


先代より軽くて、掛け心地が良いです。

レンズの具合は微妙に違和感がありますが、これはいつものことで、ある程度は慣れも必要なんですよね。

でもまぁこれで一安心...。これがないと困りますからのぉ(^_^;



この世界の片隅に、26回目鑑賞

2017年04月27日 17時16分58秒 | アニメ
仕事前の合間みて(^_^;

池袋駅西口ルミネ8Fにあるシネリーブル池袋にて。


ここも初めて来た映画館ですが、音響にとても個性を感じました。

BGMにちょっと過度と思われるくらいエコーが強い!

でも人物の発する声にはエコーかけてないので聞き取りやすい工夫をしているようです。

たとえば「ごはんの支度」とか「ありこさん」みたいなリズミカルなのは音がダブって凄い感じになります(^_^;

まぁ変わってて面白かったですけどね( ^ω^ )

シート位置は中央のちょっと後ろの方。

後ろ半分くらいは傾斜がついていて、スクリーンとの距離も適度で観やすかったです。