川崎の残忍な事件で、保護者がマスコミに取材を控えるよう依頼したという。
気持ちはよく分かるが、やはり過剰に至らない範囲での取材は必要だと思っている。
こうした悲惨な事件は防ぎきれない。
この犯人のようなバカ野郎は何処にでもいる。
普段は凶暴性は眠っているが、いつ目覚め、暴発するかは恐らく本人にも分かってい
ない。
眠っている凶暴性を起こさないためにも、悲惨さを伝える報道は必要だと思う。
少しはあるであろう良心に訴え、凶暴性を目覚めさせないためにも。
悲惨さを伝えるには、やはり被害者側の取材が必要となってくる。
例えば川崎で犠牲になった小学生は、近所の人たちが「笑顔の可愛い女の子」だっ
たと証言することで視聴者の加害者への怒りは増幅される。
そうした怒りを「凶暴性の目覚め」を阻止する力にしなければ、人間が我知らず有す
るかも知れない己の凶暴性を眠らせ続けることは出来ないような気がする。
本来なら被害者の顔写真も報道されるべきだと思うが、ハイエナのようなサツ周り記
者も余りの悲惨さと保護者への配慮からか、まだ公表されてはいない。
被害者の顔写真など要らないと批判する声もあるが、可愛らしい笑顔の女の子の写
真が社会に訴える力は強烈に強い。
それが犯罪予備軍の良心に何かを訴求できれば、新たな犯罪を防げるかも知れない
とメディアは願って報道するのだ。
もちろん傍若無人に土足で入り込む取材は厳禁である。
被害者遺族と真摯に向き合い、報道の必要性を理解してもらった上で伝えることが大
切であることは言うまでもない。