私的美遊空間

美しく愛しいものたちへのつぶやき

2016初春の赤穂大石神社骨董市の賑わい

2016年01月16日 | 時空を超えて来たものたち


~ 昨日は、赤穂市にある大石神社の骨董市に行って来ました ~

あまりに寒かったので 少しゆっくりと出て、到着が9時頃になると駐車場は満車状態、
でも心配はありません、大駐車場ですから一台くらいはたいてい停められますし、
もうそのくらいの時間になると、悠々と戦利品を抱えてご帰還の方も多いからです。

ざっとナンバープレートを見ると、東は滋賀から西は福岡までと
遠方からの車が既に駐車しており、骨董のためなら寒さも早起きも厭わず
骨董にかける意気込みが半端でないと感じられるようでした。




~ 磯貝十郎左衛門正久邸跡 ~

会場の大石神社は赤穂城の城跡に建られており、駐車場から神社までには、
赤穂義士たちの住居跡を示す看板が建てられています。

* * *

磯貝十郎左衛門正久は生れつきの美男で、幼い頃より能や琴などの遊芸に優れるなど
聡明でもあったため、浅野内匠頭長矩公の小姓として寵愛された。

また美男であったので、討ち入りの前には吉良邸の女中に近づき内情を探り、
討ち入り当日には、暗くて進退のままならない仲間のため、吉良家の台所頭を脅し
蝋燭を出させて邸内に明かりを灯すなど、討ち入り成功のために大きな役割を果たした。

そして、その後の取り調べにおいて、江戸幕府大目付.仙石久尚は
その機転を大いに褒めた、とのことである。

※ 以上、看板の赤穂義士会の説明書き、ウィキぺディア参考




~ 大石神社の参道 ~

両脇には四十七士の石像が並んでいます。
この突き当りが本殿、境内には大石内蔵助邸跡長屋門、
庭園があり見学することが出来ます。




~ この日は大石神社のとんど祭があり、その残り火で暖をとっています ~

とんど祭のために、骨董市のメイン会場であるこの駐車場の中央は使用出来ません。
普通ならこのエリアに出店する店は、今回はほどんどがお休みのようで、
その分、全体の店数は三割くらい少ないようでした。




そんな状況でしたが、私が会場に着いた頃にはもう沢山の人で賑わっていました。
今回のお目当ては「李朝」か「古伊万里」の花入れと季節の絵柄の短冊か色紙です。
その他に気に入ったものがあればその場で考えることにします。




お花屋さんは相変わらず女性に大人気です。
樹木や鉢物などがあり、カラフルな花が会場で人目を引いていました。




いろいろありますねえ♪
ふむふむ、、人が見ている物が気になります。




荷物を開けずに、こんな状態でも大丈夫!
ここから引っ張り出して来るのも楽しーいんですからね♪




骨董品と言ってもいろいろです。
昭和期の懐かしいおもちゃもあります。




何を一生懸命見ているのでしょうね。
こちらは駐車場の外側のブースです。




こちらは端切れや着物のお店です。
沢山の品数で、見ているだけでも楽しめます。




寒いのにもかかわらず、本当に沢山のお客さんです。
ツアー客もガイドさんに引率されて入って来ました。




道路を挟んで向い側にもお店が並んでいます。
こちらのブースでは「朝鮮唐津」の花入れと青磁の猫の置物が気になり、
しばらく動けませんでしたが、もう一つ「ビビッとくる」ものがなくて断念。

花入れの方は、あればあったで重宝に使えそうな花入れでしたから、
今でもちょっぴり残念な思いがしますが、あと一ひねりの不足が気になるところでした。

* * *

なかなか気に入る物とは出会いませんが、骨董市は見ているだけでも楽しく、
時を忘れて没頭できるところがたまりません。
それに、こんなに沢山の仲間がいるというのも嬉しいことです。

また皆さん!会場でお会いしましょう!


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古い銅の花入れに茶花を入れてみました

2016年01月13日 | 時空を超えて来たものたち
~ 古い銅の花入れ ~

肩から足元にかけての曲線と、すっとした立ち姿が美しい花入れである。
元々の用途、作者、制作年代等、全て不明

口辺はわずかに反り返り、肩にはくっきりと三本の筋彫りが施され、
やわらかな中にもきりっと引き締まった雰囲気が感じられる。

これも骨董市で出会ったもの
店内の多くの品物の中でオーラを放っていた。
迷うことなく購入して連れ帰ったものである。




~ 花は芽出し庭ナナカマドと胡蝶侘助 ~

立ち姿が端正なので、枝物を使ってきちんとしたイメージで活けてみました。
花が入ることによって器が生き生きとしてきました。

表面の染みは単なる汚れではなく、景色の一つとして魅力を添えています。
ここが古いものが持つ素敵なところ
わざわざ付けた染みではなく、時が付けたのですから、
いくらお金を積んでも手に入れられない「模様」ということですね。




~ 床全体の姿です ~
花入れはお軸の重みに負けていません。

* * *

そこらに転がして置けば、ただの不燃ごみのように見えるものでも
こうして使ってあげると実に生き生きと輝いてきます。
骨董市や骨董屋さんでそんな物を探すのが楽しみであり、
持ち帰ってどう使いこなすかを考えるのも大きな楽しみなのです。

15日は赤穂大石神社の骨董市
今回はどんな出会いがあるでしょうか。
張り切って行って来たいと思います。


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用の美・小鹿田焼きの壺を水指に

2016年01月11日 | 時空を超えて来たものたち


これは大分県日田市で焼かれている小鹿田焼 (おんたやき)

小鹿田焼は今から約280年前、筑前 (現、福岡県北部、西部)の
小石原焼から分かれた窯場である。
今でもこの土地の土を使い、昔ながらの技法で作られているため、
その作陶技法は国の重要無形文化財に指定されている。



小鹿田焼は皿や茶碗など、あくまでも生活のための生活雑器であり、
がっしりとしておおらかで、温かみのあるところが何とも魅力的な焼物である。

この壺は骨董市のある店の奥から私に気を送っていたもので、
小さいけれど重量感のある姿と、とろんとした色味に魅せられて購入したものである。

店主の話では江戸後期のものだと、そうだとすればこの壺はもう150年もの時を
その時代の人たちと生活の中で共に過ごして来たことになる。
小鹿田焼の特徴である飛びかんな櫛模様に染みついた色にも
長い時間を過ごしたこの壺の歴史の重みが感じられるのである。

※ 飛びかんなー小鹿田焼の特徴の一つで、器を回しながら鋼製のかんなで施す装飾。




~ 塗蓋を乗せて水指に使ってみました ~

茶入れを入れた仕覆は名物裂の本能寺緞子
この壺はその仕覆と風格の上では負けず劣らずの力を感じさせる。


ー 薄茶用の取り合わせ ー



棗は三合棗 (裏千家14代、淡々斎好み)
茶碗は福字茶碗



茶碗は雲鶴茶碗



茶碗は猫柳絵茶碗

* * *

骨董品は仕舞い込んでおくと顔色が悪くなると言われる。
久々に出して見ると、手に入れた時の魅力が感じられなくなってしまうからだ。
手に入れたものは目の届くところに出して可愛がってあげないといけないのである。
特にこの壺のように人と共に生きてきた道具などは使われてこその美しさなのだから。

※ 参考 ウィキぺディア、美しいやきものの里を訪ねる (実業之日本社)


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蓄財の神・骨董市で巡り合った大黒様の短冊

2016年01月07日 | 時空を超えて来たものたち

この短冊はもう10年くらい前になるだろうか、大石神社の骨董市で巡り合ったものである。

大黒様が俵の上で木槌と右足を振り上げ、小さいながらも躍動感があり、
ふくよかで穏やかな表情と、画面からはみ出した姿も、おおらかで、豊かで
毎年お正月に登場して嬉しい気分にさせてくれる短冊である。

~ * ~ * ~ * ~

大黒様の元々の姿は、ヒンズー教の三最高神の一柱であるシヴァ神の化身であり、
黒くて恐ろしい姿の「大黒天」と呼ばれる神であった。
それが中国に入ると厨房の神として祀られ、さらには最澄が中国より日本にもたらし、
寺院内の円満を願って厨房に祀ったことから、いつしか出雲神話の「大国主命」と
重なって「穀物の神」「食の神」「蓄財の神」となり、七福神に入れられたのである。

※ 以上 参考 ウィキぺディア・仏像の話 (すずき出版)

~ * ~ * ~

最近はこのような気に入る短冊に出会わなくなった。
それでもまだ、こうした季節の行事や風物詩的な絵柄のものが欲しいと思っている。
今月の骨董市はどんな様子だろう、、ここは張り切って行って来るとしようか。


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大石神社骨董市で姫路城古材を掘り出して来ました♪

2015年10月16日 | 時空を超えて来たものたち
ー これは姫路城昭和の大修理の時に出た古材 ー

はーい♪昨日の骨董市、久しぶりに行って来ましたよ♪
今回のお目当ては香炉台です。
気に入るのが見つかるかな、、ワクワクしながら突撃!

~ * ~

父から譲り受けた香炉に台が欲しいと、ずっと探していましたが、
中々見つからずに私の手元に来てからもう40年近くになりました。
もとは花梨の曲木(まげき)の香炉台が合わせられていたのですが、
それがどうも気に入らなくて外したままにしていたのです。

昨日も、会場を鵜の目鷹の目で探すと、何やら古そうな板が、、
何だろう?と手に取って見ると、木目が黒柿のように美しく、ずっしりと重く
そこには「姫路城古材の印」と焼き印がありました。




ー これは裏側 (実際にはこちらの面を表としていたんでしょうね)) ー

この貫禄、この大きさ
これだな!
そう感じて聞いてみると、この古材は昭和の大修理の時に出たものとのこと。
そうでしたか、、貫禄があるわけですね。
この古材なら我が家の香炉に負けないな!

購入を決断して交渉に入ると、なんとなんと周囲のおじさま方が応援に入ってくれて
「しゃーないな!じゃあ、これでいいよ!」ということになって、嬉しい価格になりました♪
まあ、本当はこれが定価かも知れませんが、骨董市の楽しみはこんなところにもありますからね。

周囲も参加して、やんやとやるのが面白いんです。
すると、売る方も買う方も段々楽しくなって気分が良くなる、、
副次的にお値段が下がる
これが醍醐味ですねえ♪




早速きれいにして香炉を乗せて見ると、
わあ!重量感ある香炉に負けていない、反対に勝ってるわ!
姫路城の古材はさすがの貫禄でした。




ー こちらは犬絵香合 ー

配色の良さと表情の可愛らしさが気に入りました。
それとお値段もね♪




ー 金地に鶴、松、扇の織り込みの端切れ ー

地味ながら華やかさのある生地です。
結構張りがあるので手持ちのバッグでも作れそうです。
出来るかどうか自信はありませんが、、希望としてね。




拡大してみました。




ー 額入りの銅版画 ー

昨日は銅版画の状態のいいものが数点ありました。
ついでにもう一枚買っておけば良かったのに、、とちょっと残念な気分。
もう来月にはないだろうなあ、、




この日、主人は「俺はなにも買う物はない!」と言って会場入りしましたが、
出てきて見るといろいろと買っていました♪
これは、明治時代の尋常小学校の教科書です。
まとめて安くしてもらったようでした。

このページには、吉備真備が支那に渡って漢学を修めて日本に持ち帰って広めたことや、
空海がその数十年後に支那に渡り仏教を修めたことなどが印刷されていました。
今では高校の日本史で習うようなことですから、昔の子供たちは偉かったですね。




これも主人の買い物の古銭です。
まさかこんな物まで買っているとは知りませんでした。
一緒に行動してみて初めて分かることが今でもあるんだと、ある意味新鮮な気分でした。

~ * ~

昨日の骨董市は姫路城の古材を掘り出してきて大満足です。
他人が見ればゴミのような物でも、自分が気に入れば宝物。
人生の幸せはこんな自己満足でいいのかも知れません。


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五匹のねずみと古い銅の茶托

2015年09月27日 | 時空を超えて来たものたち

~ この茶托は物心ついた時には家にあったもの ~

経年の変化で表面は赤、黒、金、茶と様々な色を見せ
ねずみの体も、文字も、角がとれて丸くなっている。

~ 。* 。* 。~

古物の好きな父が古道具屋で買ってきたものと思うが
我が家に来るまでにどれほどの年月を過ごしてきたのだろうか、、

手に持つとずしりと重く、結構な貫禄がある。
そして、上には文字が書かれ、下には五匹のねずみが配されていて、
遊び心のある、なかなかに面白い茶托である。

ところが、このねずみたち、何やら怖ろしいものを見たのか、
恐怖におののき一目散に逃げ出しているように見える。

その恐ろしいものは、上側に書かれた文字なのだろうか、、
ねずみが見て逃げ出すほど怖ろしいこととは、
一体この文字にはどんな意味が込められているのか、、

その謎が解けたらもっと面白くこのねずみたちを
見ることができるかも知れない。

~ 。* 。* 。~

そしてもう一つ考えてみたことは、五匹に見えるねずみは
実は一匹のねずみで、その連続描写なのでは?ということだ。

~ 信貴山絵巻じゃないけれど、右側から始まり左側で終わるとすれば、

一番右側のねずみがその怖いものを発見!二番目のねずみがギョッとする、

そして三番目のねずみは怖いものを目で捉えながら背を向けて逃げ出す。

四番目のねずみはひたすら逃げて、五番目のねずみは「もうこれでいいか?」と

恐る恐る振り返って確認している ~ そんな風に見えなくもない。

~ 。 * 。* 。~

どちらにせよ、この茶托は製作者の思いがはっきりと込められたものなのだろう。
そしてその思いが分かれば、ねずみが五匹か一匹かも、分かるかも知れない。
この作者の思い、何とか知ってみたいと思う。

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明治の遺産・赤レンガと蔦のアイビースクエア

2015年07月07日 | 時空を超えて来たものたち
蔦に覆われた窓



こちらは明治22年に建てられた倉敷紡績所創業の旧工場
イギリスの工場をモデルにして建てられた明治の遺産です。
平成19年に経済産業省により「近代産業遺産」に認定されました。


建物を覆う蔦



赤レンガの外壁を覆う蔦は「自然と調和しながら健康的な労働環境を」という
信念のもと植えられ、夏は葉を茂らせ直射日光を遮り、冬は葉を落として
日光を当てて、見事に内部の温度調節を果たしたそうです。

自然の日よけ、自然の空調、、
中で働く労働者の健康にまで気を配って
機能面や効率優先の現代の建物にはない優しさを感じますね。


アイビースクエア



工場、倉庫は昭和48年に改修され、ホテル、レストランや文化施設などの
複合施設として再生されました。

古い物を壊さずに大事に再生する、その心に感動します。
「文化とは何か?」その答えがここにあるように思えました。

メタセコイア



メタセコイアという木は、1941年に日本で化石で発見され、
当時は絶滅したと考えられていたそうです。
それが、1945年に中国四川省で初めて発見され、1949年に
アメリカを経て日本に入ってきたとのこと。

高さが35m、胸の高さでの直径が2~3mにもなる高木ですが、
このアイビースクエアの広場ではのびのびと育つことが出来ますね。

クイーンメタセコイア



この建物はメタセコイア広場に立つ英国式チャペルです。
赤レンガを基調としてアイビースクエアの中できれいに調和しています。
このチャペルでの結婚式では、美しいオルゴールの音色が響き渡るそうです♪

オルゴールミュゼ・メタセコイア



こちらは大正時代に建てられた紡績工場の事務所です。
今では、アンティークオルゴールを一堂に集めオルゴールの
コンサートを楽しむ博物館として使われています。
100年前の音色を聴きながらお茶を頂くことが出来るそうです。
こちらは次回の楽しみにとっておくことにしましょう。

コンサートは10時から一時間ごとに行われ(正午除く)最終は17時です。
土曜コンサートは、第三土曜19時半~20時40分。
大人800円、子供(大~小)600円

※前日までに予約すると貸し切りOKだそうです。
そして自分だけのオルゴールも作ってくれます。
彼女にオルゴールを作ってプロポーズ、、きっと大成功でしょう♪

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昭和初期・大連大和ホテルの華燭の典

2015年05月30日 | 時空を超えて来たものたち




この写真は昭和13年2月3日に行われた結婚式の写真です。

縦21cm、横27cmの大きな写真で保存状態がよいため出席者の顔がよくわかります。
もう77年前の写真ですからこの中で存命の方はほとんどいないでしょう。

見知らぬ人々が居並ぶ中で、主人の祖父母が新郎新婦の脇に立っているのがわかりました。
位置的にみると、どうやら仲人として出席したようです。

天井が高く重厚な趣の室内、丸髷を結った女性、丸眼鏡やちょび髭、ポマードで整髪した男性、、
この写真から古き良き時代の雰囲気が感じられます。

義母が昨年施設に入居してから主人の実家は無人となってしまいました。
時々帰っては家の中の整理をしているのですが、今回はこの写真を含む
たくさんの古い写真を発見して持って帰って来ました。

この写真の時期には主人の祖父母家族は中国の大連にいましたから、ひょっとすると
この式場となった会場は大連の大和ホテルではないかと思い調べてみますとやはりそうでした。




こちらの写真は「大連賓館公式ホームページ」からお借りしました。

比べてみますと、壁の装飾、暖炉のデザイン、暖炉の脇の大きな絵画、窓の形、丸テーブル、
椅子のデザイン、壁に掛けられたランプの下の扇風機も同じく、しかもアングルもほとんど同じでした。

この大和ホテルは1914年の3月に竣工して、同年8月に営業が開始されましたから、今年で101年になります。
現在では「大連賓館」と名を変えましたが、今でも現役のホテルとして営業が続けられています。

2002年に大連生まれの主人の叔父を伴い訪れたことがあります。その時にはこの写真の存在を知らず、
まさか祖父母と同じホテルの一角に佇んだなどとは思いもよらずにいました。
知っていれば、もっと深い感慨を持って同じ空間を楽しむことが出来たでしょうね。

それにしても、時の流れをしみじみと感じさせるこの古い写真の数々、
歴史の一幕を語るものとして、後世に残すべき貴重な資料になるのかも知れませんね。



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昨日の戦利品・総桐の小箪笥

2015年04月16日 | 時空を超えて来たものたち

昨日は久しぶりに大石神社の骨董市に出かけた。
お目当ては、青磁か染付の花入れと香炉台。
そう思って出陣したが、戦利品はこの小箪笥。



総桐で金具がすっきりと美しかった。
一番下の引き出しは柄杓を入れるのにちょうどよさそうだ。
柄杓は柄が長く収納に困っていたから、この幅は願ってもないサイズ。
それに茶道具のこまごました物も都合良く仕舞える。
しかも、いずれ欲しいと思っていた小箪笥だし、、
そう思いつつも



こんな大きな物(小箪笥といえど)は早々には売れないだろう、、
そう期待半分、不安半分の気持ちで場内を一応、一巡することに、、
こんな時には、自分の不在中に売れた場合「縁がなかった」と
すっぱり諦めることにしているから、ある意味、運試しでもあり
この物との縁の深さを測るテストでもある。

他の店では火色のきれいな備前の花入れや、状態の良い波千鳥の水次などあったが
ああだこうだ、と自分の中で難癖つけて、それらを頭の中から払拭して
先ほどの小箪笥を最後の検討のため店に戻った。

するとこの箪笥は、店主の笑顔と共にまだそこにあった。
その間、三時間もあったのに残っていたか、、
「連れてって!」と箪笥から声が聞こえる。
そうか、そうか、、「おじさん!この箪笥下さい!」



代金を払って、うんこらと運んでいると、入口の向こうで主人が笑って見ていた。
「また、そんな物を買って、、困った奴だ、、」そんな声が聞こえるようだった。
「三時間も無料でこんなに楽しめて、骨董市っていいもんだね♪」
「そうだね、、」そんな会話をしながら、ほくほく気分で帰宅。

妻を幸せにさせる術を知った夫とそれにどっぷり甘える妻。
骨董市はいろんなものをもたらせてくれる、やはり私にとっては良く効くビタミン剤なのである。
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骨董市の付録が美品だった件

2015年04月15日 | 時空を超えて来たものたち

藤の花見る人を招く文



この消息文は、自宅の藤のお花見に知人を招待している文である。

何年か前の骨董市で買ったお茶碗の箱にクッションとして入っていたものだ。
その丸められた和紙を広げてみると、なんとそれは、候文の美しい手習いの紙だった。

* * *

待ちつけし花もいつしか散りてはや藤の時節と
は相成りまいらせ候 邸内のも躬恒の我がやどに
ふじなみと詠みつるまでにはまいらず候へども往来の
人の足を緩め候ほど咲きそろひ候間明日御一同様
御遊覧下されたく候

※凡河内躬恒(おおしこうしみつね)の
「わがやどにさける藤波立ち帰り
すぎかてにのみ人の見るらん」を引用している。

藤の花の宴

返辞



案内申上げまいらせ候
かしこ

* * *

右返辞

御庭前の藤の花最早見事ならんと推して
拝見を願はしく思ひつづけおり候をりから
わざわざ御招きに預り有りがたくぞんじあげまいらせ候
何事を捨置きても参上つかまつるべくかのたちかへり

* ~ * ~ *

藤のお花見の招待の文

あんなにも待っていた桜はいつの間にか散ってしまい
もう藤の花の季節になってしまいました
我が家の藤が、躬恒の「我がやどに咲るふじなみ、、」と
詠むほどではありませんが、道行く人々の足をゆっくりと
させるほどには咲きましたので、明日に皆様お揃いで
どうか御遊覧下さいますよう御案内申し上げます
かしこ

* * *

右のお返事

あなた様の御庭の藤の花はもう見事な姿になっていることと思い
拝見させて頂きたいと願っておりましたところ
この度御丁寧にお招きに預り有り難く思っております
この上は何事もさて置きお伺い致します


この美しい文に接して、自分の心の中に爽やかにやわらかい空気が広がったようでした。
手に入れたお茶碗もなかなかの物と満足していますが、さらに、この文が付いていたことによって
思いがけず得難いものを得たという喜びが広がり、益々骨董市への楽しみが増したのでありました。

※私なりの解釈ですので間違いや、読み切れていない箇所など多くあると思います。
自信のない箇所もそのままにしてありますので、御教え頂けましたら幸いです。

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桜と明治ロマンの赤穂市立民俗資料館

2015年04月03日 | 時空を超えて来たものたち
昨日は雲一つない気持ちの良い晴天、お花見を兼ねて赤穂市立民俗資料館へ行って来ました。

この建物は、明治41年(1908)に建てられた旧大蔵省塩務局庁舎です。
明治の洋風建築として優れた意匠、工法が随所に使われています。
現存する塩務局庁舎としては日本最古で、兵庫県の指定重要有形文化財に指定されています。



日本専売公社赤穂支店の移転にともない、専売公社より赤穂市が建物、土地の譲渡を受け
昭和57年に建物の全面補修整備を経て、昭和58年1月より民俗資料館として一般公開されました。



木造一部二階建てのこの建物は、各所にアール・ヌーボの趣が見られ
外壁の淡いペパーミントグリーンとよくマッチしていて、とても美しく魅力的です。

館内は旧塩務局の部屋割りをそのまま生かして、江戸時代から昭和にかけての
農耕、生産用具や厨房用具、照明用具などの日用品、古い教科書や玩具などの民俗資料
美術工芸品、8000点が展示されており見どころ満載です。
*近畿産業考古学会「赤穂の産業遺産」参考
休館日、入館料、特別な催し等は資料館のホームページをご覧ください。

なお、12月20~25日にはクリスマスライトアップがされとてもきれいです。
昨年の様子は12月24日「もろびとこぞりて」の記事をご覧下さい。

~ * ~ * ~
こういった美しい建物が残され、その上、現役で活用されていることは本当に嬉しいことです。
木造建築は維持するために多くの費用や努力が必要ですが、いったん壊してしまえば
その当時のものとは二度と会えなくなってしまいます。

この美しい民俗資料館の建物が、ずっとずっと後世までに
伝えられていきますよう心から願ってやみません。
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赤煉瓦の美しい姫路市立美術館

2015年03月28日 | 時空を超えて来たものたち

26日、ブルーインパルスの祝賀飛行観覧の後で、
竹内栖鳳、生誕150年記念展を観るために、お城に隣接する姫路市立美術館に寄りました。
展覧会は未公開のものも多く見応えのあるものでしたし、私にとってはこの美術館そのものも鑑賞の対象ですので
展覧会の前後にゆっくりとこの建物と周囲の銅像や雰囲気などを楽しみ、両方で心の風船が一気に膨らむような満足感でした。




1905年~終戦
この美術館の前身は「旧陸軍第10師団」の被服庫・兵器庫でした。
西館は1905年、北館は1913年に建設され、終戦まで軍隊の倉庫時代を過ごしました。

1947年~80年
姫路市役所がこの建物に移転し、33年間市庁舎時代を過ごしました。

1980年~82年
大改修工事が始まり、煉瓦の補強工事を急ピッチで進められました。

1983年
姫路市立美術館開館。赤煉瓦の美しい姿を現しました。

*姫路市立美術館パンフレット参考
2003年、国の登録有形文化財認定


~ * ~* ~

それにしても、この美しい建物が100年もの昔に建てられたもので
しかも、軍隊の倉庫だったということに感動してしまいます。
この倉庫のデザインや設計を担当した方の美意識や、それを許した軍部や
政府の高い見識を垣間見ることが出来るように思うからです。

また、軍隊の倉庫だったということのみで、この建物を破壊したりせずに
市庁舎に利用し、さらに美術館に転身させようという、姫路市の美しいものに
対する敬虔な気持ちや、落ち着いた良識を感じずにはいられません。

古くても、美しく、価値のあるものを見る目が、こうした素晴らしいものを
後世につなげていく力になるんでしょうね。


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須田菁華作かも梅小皿と魯山人寓居

2015年03月10日 | 時空を超えて来たものたち

8日の日曜日、お茶の準備のために洗面所にいると「ホーホ、ケキョ、、ホーホ、ケッ、、」
と外から聞こえてきた。「ああ、、うぐいすの声だ、、」
なんと、やさしくのどかな歌声なのだろう、、心にぽっと光がさしたようだった。

そう言えば、先週の始め頃から庭の木にやって来ていたが、
姿を見せるばかりで声はしていなかった。
ようやくの一声、春の声。
我が家での「初音」である。




さて、この小皿、直径13cmで梅の一枝がたおやかに描かれ
蕾もふっくりとしていて愛らしいお皿である。
奈良の骨董屋さんから手に入れたものだが、特に作者を尋ねることもなく
家に持ち帰ってから裏面を見ると、砧形の中に「せいか」と平仮名で
陶印があるのに気づいた。
その時には単純に「せいか窯」か「せいか」という名の女性の作品だと思っていた。



ところが、ある時、須田菁華の作品を眺めていると、有名な紙風船を描いた箸置きに
その砧形の「せいか」が押されていたのを発見したのである。
通常の菁華作の陶印は丸に漢字で「菁華」なので、びっくりして何度も見直したし
虫眼鏡で拡大して見たりしたが、やはり、どう見ても「せいか」とあった。

この小皿は骨董屋で売られていたということを考えると、少なくても当代や三代目ではなく
初代か二代目作ではなかろうか、、と欲目に思ったり、、
と、その前にこの小皿が本当に菁華窯製なのか知りたいところである。



須田菁華は石川県の山代温泉郷の中心に登り窯と店舗を持つ九谷焼の作家である。
初代菁華は、染付、祥瑞、呉須赤絵、古赤絵や古九谷の倣古作品を得意とし、
大正4年に菁華窯を訪れた北大路魯山人がその作品に触れ、陶芸に開眼したことでも有名である。
現在は4代目となったが、当時と同じ所で同じ手法で多くの作品を生み出している。



この湯呑茶碗の「赤玉」と言われる模様は須田菁華の代名詞のような模様である。
こっくりとした赤色で大胆な日の丸模様が描かれ、縁の緑でさらに強調し引き締めている。

ここからは、初代の弟子となった魯山人がらみのお話。
菁華窯の近くには、魯山人が滞在した「寓居」が記念館として一般に公開されている。
そこでは、見学の頃合いをみて、職員の方がこの赤玉の湯呑でお茶を出してくれる。
お干菓子付きで、一客1万円なりの赤玉の湯呑を楽しませてくれる太っ腹記念館である。



ここは魯山人の作業場。有名ないくつかの看板はここで作成された。



朱塗の座卓に青磁の手あぶり、当時のままを再現している。
書家でもあった魯山人はここに座って手紙など書いていたのだろう、、
そう想像しながら自分でもこの座布団に座ってみた。



鯉のついた自在に囲炉裏、釣り釜からは湯気が出ている。
まわりには座布団が置かれ、ここで過ごした魯山人の
楽しそうな姿が目に浮かぶようである。

*~*~*

5年前に山代温泉を訪ねた時に、須田菁華窯の店舗に寄った。
展示室は畳敷きで靴を脱いで上がるため、畳に座ってゆっくりと鑑賞できる。
さすがに、気軽に買えるお値段ではないが、その多岐に渡る作品の数々を
見せて頂くだけでも、菁華ファンには夢見心地になれる場所である。



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ブルービゼンのふくら雀香合

2015年01月24日 | 時空を超えて来たものたち

これは骨董市で見つけたふくら雀の香合
初めて見た時、その雀は小首をかしげてこちらを見ていた。
愛らしいまなざしで何か語りかけてくるような、
今にも「チュンチュン」と寄って来そうな雰囲気だった。

* ・ * ・ *

ふくら雀は、厳寒の頃、寒さをしのぐために羽毛を膨らませた雀のことをいい
そのぷくぷくとした姿から「福来雀」や「福良雀」などの縁起の良い字を当ててもらっている。
この雀も、まりのように膨れていて、小さいけれど充分に福を運んで来てくれそうである。

* ・ * ・ *

普通、備前焼と言えば茶褐色を思い浮かべるが、これは青灰色をした青備前と言われるもの。
店主の話によると、江戸後期に焼かれたもので、今ではこのような色を出すのは難しいとのことだった。
そして、現代の作家さんでも焼く人はいるが、焼く時のリスクが高くロスも多いので、作品としての数は
非常に少なくて、数ある焼物の中でも稀少なものだということだった。

この香合は表面がとても滑らかで硬くて、石を彫ったような美しさがある。
それと、灰色に青と緑を混ぜたような複雑で深みのある色合いも魅力的だし、
小さいけれどずっしりとした重みがあって結構な貫禄が感じられるところも良かった。
店主の話を鵜呑みには出来ないが、なかなか良い出会いだったと満足している。
結局、骨董品の良し悪しは誰にも責任はなくて、自己満足でいいのだという結論である。




これは100円で買った桐箱

同じ店でちょうどよく、桐の小箱を売っていた。
香合を入れるとぴったりだったのでついでに買って帰った。
この蓋に「青備前 福来雀」と達筆で表書きがあれば
どれほど立派になることだろう。


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心で買った伊万里焼八角皿

2015年01月13日 | 時空を超えて来たものたち


骨董市での出会いは「一期一会」、その時に気になった物との出会いは二度とない。
そんな思いを毎回強くする。
会場内を一巡しただけで、もう二度と手にすることができない。そんなことが度々あった。
だから、骨董市で気に入った物を手に入れると言うことは、即断即決を要する「真剣勝負」なのである。

そして、最近思うことだが、迷うような物は買ってはいけない!ということである。
人間には「見る」「聞く」「嗅ぐ」「味わう」「触れる」という五感の他に第六感というものがあって、
どうやら骨董品の即断即決の基準となるものはこの第六感ではないか、、と思うようになった。

* ~ * ~ *

父の遺伝で、若い時から陶磁器や古い物に興味があって、その頃は迷うことなく「欲しい!」という気持ちのまま買い物をしていた。
そして、その時に手に入れた物は今でも見ていて気持ちがいいのである。

ところが、いろいろと勉強する内に、その知識で物を見るようになって、あれこれと迷うようになった。
そして、その時迷った末に買った物は時間をかけて選んだわりには、その後あまり魅力を感じなくなってしまうのである。
さらに傍にあると目ざわりになったり、気持ち悪いとさえ思えてくる。これはどこからくるのか、、

考えてみると、知識を持って頭で買った物は自分の感性に沿った物ではなかったということだったのだと思う。
第六感とは、「鋭くものの本質をつかむ心の動き」と辞書にあった。
そうか!物の本質を瞬時につかみ、自分の感性に合った物を選ぶ、これが大事なんだ!
第六感を大事にすること。
これは当たり前かも知れないが、いろいろと失敗してきた中で、ようやく私が気づいたことである。

* ~ * ~ *

この八角皿はひと目で気に入った第六感物である。骨董屋の説明によると幕末から明治初め頃の伊万里焼とのこと。
まるで陶工が遊んでいるかのように、描き、堀り、塗っている。
元気が良くって大胆、はみ出しも気にしない、梅はふわっと、軸はサーっと器面に広がり、波に遊ぶ千鳥、、
どれも脈絡のないものの寄せ集めのようだが、何の違和感もない。
よくここまで遊びましたね!そう言って拍手を送りたいくらいである。
どんな陶工さんが作ったのか、、私の第六感に訴えた陶工さん、会えるものなら会ってみたいものである。




八角皿の裏銘
「丸にキ」印
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