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2024年5月1日 奥飛騨旅行 二日目 その1(ひだ宇宙科学館 カミオカラボ)

2024年05月14日 19時15分48秒 | 旅行

旅行二日目。

今日は天気が回復することを期待したのですが、残念ながら今日も天気は良くないようです。

 

 

まずは槍見館の朝食です。

 

 

奥飛騨といえば朴葉みそ。

 

奥飛騨はトマトも名産です。トマトジュースはそのままトマトです。

 

岩魚の開き。川魚の開きは結構珍しいかも。

 

これも奥飛騨名物 こも豆腐。 塩でいただきます。

 

 

ヨーグルトも濃いです。

 

 

朝食の後、貸切露天風呂に入り、朝九時からの餅つき大会を見たりして、チェックアウトします。

10時少し前にチェックアウトしたのですが、この時間になると日帰り入浴の客が次々とやってきます。

なのでフロントは結構待っている人がいたのですが、延々とフロントで話し込んでいる客がいて、お得意様なのかもしれませんが、あれはどうかと思いました。

客も客ですが、話し相手になる宿のスタッフもどうなのかと思います。

 

 

槍見館に宿泊した感想ですが、評判にたがわず良い宿だと思います。

温泉は非常に良く、食事もレベルが高いです。建物、部屋はあまり余裕はないですが、問題があるレベルではないです。アメニティ類は充実しているとは言えませんが、余計なサービスを省いて値段を抑えている感じで、宿の値段を考えると充分満足できる宿だと思います。

スタッフの対応も非常に良かったです。

 

ただ、館内の移動に階段や段差が多く、かつ露天風呂に行くのに石段を歩いていかないといけないのが大変なのがネックですかね。それを含めて楽しめるのであれば、非常に良い宿だと思います。

 

宿の売店でお土産を購入し、二日目の目的地に向けて出発します。

 

 

 

さて、今日は少し足を伸ばして、飛騨古川に行ってみようと思います。

 

 

 

途中、神岡の道の駅 スカイドーム神岡に立ち寄ります。

 

神岡は奥飛騨からの高原川沿いにある山あいの町です。高原側はこの先、猪谷で高山からの宮川が合流し、合流した川は神通川と名前を変え、富山平野を通り富山湾に注ぎます。

 

室町時代にこの地を支配したのは江馬氏、江馬の祖は伊豆で北条時政に養育され、その地の名をとって江馬と名乗ったとのことです。

伊豆の江間は、4月に訪れた願成就院の近く、狩野川さくら公園の対岸のあたりになります。

 

その後飛騨にやってきて神岡周辺を領有しますが、飛騨の三木氏に敗れ配下となり、さらに織田に攻められ江馬氏は滅亡します。

 

 

 

神岡といえば鉱業が有名ですが、鉱山の歴史は古く、秀吉配下となった金森長近により銀鉱として発展します。

その後、明治になると三井が周辺の鉱山を買収し、亜鉛、鉛鉱山として2001年まで稼働を続けました。

国鉄神岡線は神岡鉱山の鉱石を輸送するために建設され、その後第三セクター神岡鉄道に転換されましたが、貨物輸送終了に伴い廃止され、現在では廃線跡の一部がレールマウンテンバイクとして活用され、結構人気があるようです。

 

神岡鉱山で忘れてはならないのは、公害病の原因となったことで、鉱山から川に排出された排水に含まれるカドミウムが、下流の富山平野のイタイイタイ病の原因となりました。

 

 

現在の神岡は、日本の宇宙物理学の中心地と言って良い状況になっています。

 

鉱山の跡地にカミオカンデ、スーパーカミオカンデが建設され、その施設での研究成果により、小柴教授、梶田教授がノーベル賞を受賞しました。

 

これらの施設は通常非公開なのですが、道の駅にこれらの施設の科学館がある、ということで、楽しみにしてやってきました。

 

 

残念ながら休館日でした。

 

入口の展示物は見ることができます。

 

 

 

 

 

仕方ないので、パンフレットとおみやげを購入します。

 

少し、宇宙について勉強してみようという気になりました。

いつか、ぜひここにはもう一度来てみたいと思います。

 

 

                                    <その2に続く>

 

 

 

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