正直、今日の記事は僕自身の考え。誰に何と言われようと自分自身の考えで、別に読み手に賛否を求めるものでもなければ、社会に呼びかけるものでもありません。人前で演説するわけでもなく、意見広告を出すわけでもなく、自分の今の声を、忘れないように残しておこうと思いついただけのことです。表現の自由、個々の意見の自由が保証されているので可能な行為で、人は変わると言われるけれど、自分自身がこの先何年か経った時、どういう考えでいるのだろうと思い、備忘録的なものとして書いているだけです。
=不倫は許せない、離婚は認められないという方は、今日は読まないで下さい。=
誰もが心の中では自分の意見を持っています。でも、これだけネットを使って人が人を叩くことが出来るようになれば、敢えて口に出さなくなります。「自分に関係がない」「別にどうでもいい」いろんな理由で無口になる。自分を守るためには必要なことでもあります。
基本的人権の尊重、表現の自由、差別を無くそう・・ということは、僕は学校教育で学びました。その同じ学校では先生から「男は男らしく、女は女の子らしく」や「やる気が無いなら帰れ!」ということも言われたものでした。今ではセクハラ・パワハラと社会の価値観が変わって来て、昔は当たり前に言えたことが、なかなか言えなくなったものも沢山あります。これは表現の自由が奪われているのではないか?というように思うことも多々あります。
女優の広末涼子が叩きに叩かれています。所属事務所は「無期限謹慎処分」にしました。CMスポンサーはCMを止め、主演映画は撮影延期になりました。
同性婚を認めないのはおかしい!と言われる現代社会ですが、僕は思う。「人が人を自由に好きになるのは悪いことなのか?」と。日本には姦通罪がありません。キリスト教徒でなければ「十戒」も関係ありません。しかし、結婚すると大きな自由が失われてしまいます。
長い人生を振り返ると同性の友達でも、昔から長い付き合いを続けている友人は少なくなりました。異性の友人になると更に少なくなります。その理由はいろいろですが、二度と顔を見たくないという人もいれば、そもそもどうして友人になったのだろうという人もいました。結婚相手に対してそういう気持ちになることだってあります。
ところが日本では離婚したいと思っても、「何とかやり直すようにと」いう方向に裁判所も人々も意見します。欧米では逆で、「1度壊れてしまったものは仕方がない。無理して一緒にいる必要はない」と、新たな人生を歩むことを勧めます。日本では結婚する時は誰がどう反対しようと、「両性の合意」があれば結婚出来ます。しかし、離婚に対しては周囲が離婚をすすめて本人もしたいと言っても、一方が「離婚したくない」と言えば、よほどの理由が無い限り離婚は非常に困難です。別居などもありますが、嫌々自分の意思に反して我慢しなければならず、しかも婚姻関係は簡単に破棄できません。
そういう時、もし他の人を好きになり交際でもした日には「不倫」と言われ、慰謝料を求められたり失うものが出てくる危機に晒されます。離婚がせめて結婚ほど簡単に可能であるなら、不倫だのDVだので苦しむ人も少なくなる。そもそも何十年もの長きに渡って、1人の相手以外に心を向けないということが、誰にでも可能なことなのでしょうか?
人が人をもっと自由に好きになり交際出来るような世の中にはならないのか?せめてもっと離婚の権利を認めても良いのでは?同性婚を認める世の中なら、婚姻の破綻を一方が宣言すれば、もっと離婚も認められるように、人の心を自由にすべきだと思います。変に少数派の意見が、それを支持することでお金になったりする団体の後押しで世の中を席巻することも多い現代、過去の価値観の中には、もっと変化しても良さそうなものが沢山あるように思います。
離婚を自由にすれば、生活力の無い人が困る。それは正しい。でも、そもそも生活力が無い人が結婚したり子供を持ったりしているのは良いことなのでしょうか?大義名分をかざすことは出来ても、実際に子育て支援、生活保護、いろんな弱者救済が正しく行われていないと感じるケースは世の中に多々あります。生まれて来てから払った税金よりも、受け取ったお金の方が多いなんて人が出て来ても不思議ではありません。
中国で作られた税金を取り立てる為の便利なアイテム「戸籍」も、これからの世の中、マイナンバーカードで人の銀行口座まで紐づけて管理をするなら要らないとは思いませんか?戸籍もマイナンバーも、いつの世も正直に生きようとするほどに縛られ、窮屈さを感じます。