日本のトイレは世界一だと言われます。そう言われてもう何十年も経ちますが、本当にそうでしょうか?ウォシュレットやいろんな機能の付いたトイレばかりが話題になりますが、違う視点からトイレのお話を。
僕が豊中市に住んでいた子供時代、家のトイレがそれまでの「汲み取りトイレ」(ボットントイレとも言いました)から、下水道が整備されて水洗トイレになったのが、昭和40年代の半ばでした。その後バキュームカーが来ることは無くなりました。
同じ豊中市でも、昭和50年代に入っても水洗化されなかった家に住んでいた友人は、「友達に家に来てもらうのが恥ずかしかった」と、当時を思い出します。
写真は昭和59年(1984年)の吹田市。バキュームカーでの汲み取り作業中の様子。昭和の終わり近くになっても、大阪府の住宅地でまだ汲み取りが必要な場所はあちこちにありました。狭い道路で作業車を停めての作業。道路右奥には「整友会診療所」の看板が見えます。
でも、大阪府の中でも都会で育った僕には水洗トイレが当たり前でも、田舎や地方に行けば汲み取りトイレが普通でした。平成、1990年代に入ってからのこと。会社の先輩が「もうすぐ僕の町でも下水道整備が始まり、水洗トイレになる」という話をした時、「え?どういうことですか?僕の家は小学生の時から水洗トイレですけど・・」とつい言ってしまい、先輩から「どこでもそうだと思うな」とえらく怒られました。場所が兵庫県川西市(田舎ではない)の普通の住宅地だったので、平成の今になって水洗トイレではないということに驚いたのです。
そこから更に10年後。大阪府の北摂で新興住宅地の一戸建てを買おうとした時、僕が驚いたのはその新築物件。住宅の設備に「浄化槽」という文字。ガレージの下が浄化槽になっているというのですが、要は汲み取りトイレだという事。更に飲み水も井戸水。家の横に貯水槽があるわけではなく、宅地の中にいくつかの貯水槽があり、そこから何十軒かの家に水を供給するのです。マンションと同じようなものですよと言われましたが、いつ水源が枯れるかは誰にも分からないし、事実枯れていた水源もありました。水道代もべら棒に高い。このすぐ後に阪神淡路大震災があり、水道は井戸なので止まりませんでしたが、水が泥水のように濁ってしまい使い物にならなかった。更に言えば地下水の流れも変わり、水の量も変わってしまいました。
行政は地域によってまるで違う。住みやすい町とそうでない町があるということを、僕は若い時は意識出来ていませんでした。
昭和~平成の僕らの時代、就職し、結婚し、子供を持って、マイカー、マイホームを購入するのは当たり前、それで一人前だと世間に見なされました。世の中の流行で、会社から遠くても広い一戸建て等と言われました。しかし、郊外に家を求めるのは価格が安いからで、安いから上水道の不便さもあれば、バスを使わないと最寄りの鉄道の駅まで出れない。令和になって、そういう住宅街へのバスは本数が減ったり、廃線となったり、スーパーも閉店で無くなったりしています。地方の田舎の話ではなくとも、過疎化が進んでいる所もあります。家自体の値段に差はあっても、光熱費や交通費、税金等を合計すると、安い家も高い家も、実はそう大差は無かった。便利な場所の高額な物件の方が、あれから何十年も経った今でも資産価値があり、安かったものは資産価値ゼロという物件がいくらでもあります。
若い人に言いたいのは、世の中のブームに流されないで!ということ。交通の便が良く、通勤時間もかからない、ハザードマップにもかからない綺麗な賃貸物件に住めばいいのです。転勤や転職の足枷にもなりませんし、隣に変な人が来たら引越しもお手軽です。被災しても修理する義務もなく転居すればいい。手枷足枷の無い生活は、選択肢を広げてくれますよ。ただ、誰かに依存するような、30超えても親との同居(親の介護の必要もないのに)であるとか、お試し同棲、家賃が払えないためのシェアハウスというのは、僕は反対です。