街を歩いていて、1番大きな変化は何かと考えれば、それは「川」と「池」ではないでしょうか?僕が子供だった昭和の時代、あちこちに「溜池」があり、田んぼの用水路や「川」が流れていました。農業の為の「池」や「川」が、人が増えて都会化して行く中で、どんどん壊されて行きました。
溜池は水の事故や宅地不足の為に埋め立てられ、マンションや学校等の公共施設に。田んぼも宅地化され、上下水道が整備されると共に、用水路や川も消えて行きました。そして、そういう大きな変化によって、「昆虫」が消え去ってしまいました。大阪は北摂、豊中~池田間では、かつては雨が降れば「アメンボ」、田んぼに行けば「オケラ」、池には「ゲンゴロウ、タガメ」、雑木林では「タマムシ、クワガタ、カブト虫」を捕まえることが出来たのに、今は日本中どこを探せば良いのだろう?という有様に。
子供も同じです。昔は男の子はみんな泳げたし、走れたし、相撲を取れました。今は泳げない、走れない、ちょっと運動すれば骨折。体育の授業や運動会の種目まで、あれもこれも禁止。環境の変化は人間を変えてしまいました。
ここは阪急・宝塚線、池田駅から川西能勢口の間にある、大阪府と兵庫県の県境を流れる猪名川に掛かる国道176号線の「呉服橋」を、池田市から川西市に向かって撮影した昭和30年代の写真です。
大雨で川が氾濫することは勿論ありましたが、普段は水泳をする子供たちが多く、魚釣りをする人々の姿は珍しくもありませんでした。写真の子供たちは附属池田中学校の生徒たちです。先生も生徒の安全を守るのが大変だったでしょうが、何と大らかな時代でしょう。
こちらが現在の同じ場所。全く違う光景になりました。良い悪いではなく、単純に景色がこんなに変わるとは、昔は誰も想像出来なかった。
子供の水の事故が増え、人口が増えるに従って、世の中がいろんな意味で変わり続け、昭和35年には上の写真のように、この場所では水泳どころか水遊びが禁止になりました。写真は池田警察署と防犯協議会が水に入らないようにとの看板を設置している様子です。ここは上の写真の撮影場所より、橋を挟んで北側です。