2003年にストーンズのコンサートが開催されることが決定した後、業界の友人から、「ストーンズに会いたいなら、手配するよ」とのメールを貰いました。僕はすぐにお願いしました。そしてラッキーなことに、この時のスポンサーはサントリー。サントリーとはCMで関係もあったので、両面からのアプローチでストーンズに会う事が出来ることになったのです。2003年3月7日、東京・目白のフォーシーズンズ・ホテルが会見場所でした。
この時の来日では、2003年3月10日が日本武道館でのコンサート。1973年の初来日が中止になり、それから30年目にしてようやく日本武道館での公演が実現。公演のSS席チケットは22,000円で、それまでのストーンズの公演に比べ料金が上昇しました。(ちなみにこの後、2006年の公演では、バンドサイドから高額のギャランティを要求された結果、それまでの招聘元であったウドー音楽事務所が手を引いてしまいました。)
さて遂にストーンズの部屋に通され、メンバー達と会う事になりました。ミック・ジャガーが気さくに「まあ、入れよ」と迎えてくれました。笑顔を浮かべたビジネスマンという印象でした。「おや、1人?ああ、〇〇の友人だったな。」取材待ちのマスコミ各社に混じっての会見でした。僕はまず自分が、ストーンズとして来日出来なかった時の、ミックのソロ・コンサート(1988年)大阪公演が、彼の風邪で延期になった時の犠牲者だというジョークから話を始めました。ミックは大笑い。「武道館、大阪、2度で30年も待たせて悪かったな」と彼から握手してくれたのです。
この間、チャーリーとロンは2人で話をしており、キースは1人で不気味に座っていました。ミックが気を利かせて「キースと話してもいいんだぜ」と言ってくれたので質問しました。「先ほどからタバコをずっと吸っていますね。アメリカ公演ではステージでも吸っていましたが、日本のステージでも吸うのですか?」彼の返事は「当たり前だろ。ショーの一部だろ」でした。
僕はチャーリー・ワッツに「僕もドラム演奏をしますが、あなたはなぜどんな大きな会場でも、ドラムセットの太鼓は4つだけなのですか」と質問しました。「必要最低限の音で演奏する。」寡黙な英国紳士の回答は、かすかに表情が変わるだけでした。僕は長年の質問をどうしてもしたくて、尋ねました。「ストーンズの真のリーダーはあなたではないですか?ミックでもキースでもなく、あなたがリーダーなのではありませんか?」これにはミックが答えました。「バンドの最終的な決定はチャーリーがするんだ。俺もキースもチャーリーのOKなしでは動けないんだ」。
最後に「ストーンズとビートルズのメンバーは、エリック・クラプトンとは共演しますね。ストーンズがビートルズのメンバーと共演することはあり得ませんか?」と聞きました。ミックは「俺はそんなに急いで、彼(レノン)とセッションはしたくないな。」と笑いました。「ニューヨークのMSGでコンサートがあった時には、セントラル・パークのストロベリー・フィールズ・フォーエバーに、花束を置くようにしてるよ。」チャーリーのこの答えに私は感動して、部屋を後にしました。これが僕とストーンズの会見の全てです。
*ストロベリー・フィールズ・フォーエバー=セントラル・パーク内のジョン・レノンのメモリアル・サークルの名前。
2003/3/10(月) 日本武道館
March 10 at the Budokan
1.Jumping Jack Flash
2.You Got Me Rocking
3.Live With Me
4.Let It Bleed
5.No Expectations
6.Rocks Off
7.Everybody Needs Somebody To Love
8.Worried About You
9.Midnight Rambler
10.Slipping Away
11.Before They Make Me Run
12.Start Me Up
13.It's Only Rock'n Roll
14.Rock Me Baby
15.Can't You Hear Me Knocking
16.Honky Tonk Women
17.Tumbling Dice
18.Brown Sugar
19.Satisfaction (encore)