青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

服部 ~お行儀の良い庶民の町

2024-10-23 | 昭和・懐かしい北摂の風景

服部天神。僕が高校受験のために通っていた塾があったり、母親の勤める洋裁店があったことから、服部駅は子供の頃からお馴染みの駅です。服部天神は、最初は「えべっさん」の賑やかで明るい駅前の雰囲気につられて、物心がついたかどうかの子供の頃に足を運びました。賑やかな音楽が境内に鳴り響き、飾りの付いた笹が売っていたり、初詣から1週間足らずでのイベントに驚きました。高校~大学~社会人と過ごした中で、基本「えべっさん」は、関西人だけが知るイベントでした。

服部天神は、菅原道真公がここで足の病からご回復、太宰府まで無事到着されたことにちなんで「足の神社」として知られています。でも、僕はえべっさんの方を先に知ってしまったのです。普通の神社だと分かったのは中学を卒業するころでした。後にこの神社の宮司さんが、友人のお兄さんだと判明して驚きました(笑)それ以来、厄払いなどをここでお願いして来ました。いつも静かな綺麗な神社です。

ここは服部天神の西側の路地を北に見ています。昭和50年(1975年)の町並みが分かります。右手前に服部店神宮の入り口が見え、この道を真っすぐに進むと、服部駅東商店街に出ます。

同じ場所の現在の風景がこれ。沢山あったお店も無くなってしまいました。

寂しげに見えますが、天神さんの東側は国道176号線。そもそも駅周辺は全て服部店神宮の敷地だったのですが、阪急・宝塚線がその敷地の真ん中を通過したことによって、現在のような形になってしまったのです。

その証拠に、服部天神のご神木は今も元々の位置、服部天神駅のホームに残されています。

門前町であったため、服部駅の商店街はお店が減ったとは言え、今も沢山のお店が並んでいます。昭和の時代の賑わいが嘘のようですが、住宅地と商店、神社が同居する場所で、1つ北の駅である高級住宅地で知られる「曽根」と、1つ南のごみごみした戸籍を持たない人が昭和30年代に溢れた「庄内」との間にあり、まさにお行儀の良い庶民の町でした。

 



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