この場所が、1980年10月24日にナビオ阪急になり、現在は「HEP NAVIO」と呼ばれている場所です。僕は中学1年の春休み、1976年の3月、かの悪名高き「グレートハンティング」を、ここで観ました。そして、それが僕の初の「自腹を切って」の鑑賞だった・・かも知れません。(よく覚えていないので)また、中学3年の6月に、ここで「史上最大の作戦」のリバイバルを観たことも、よく覚えています。
大劇場で、リバイバルが当たり前にあった時代でした。
僕が知っている、大阪「北野劇場」の最古の写真は、下の写真です。
大阪に出て来た母親が、ここでアラン・ドロンの「太陽がいっぱい」を、僕が生まれる前に観た!と。調べてみると、1960年(昭和35年)のことです。
僕は、この北野劇場と並んで建っていたスカラ座や梅田劇場に、中学1年から映画のチラシを貰いに通っていたので、ナビオが建つ以前の風景の方が、今でも記憶に残っています。