最近では大阪は十三(じゅうそう)と言えば、新型コロナウイルス患者の専門病院となった「大阪市立十三市民病院」が有名ですが、僕の青春時代の十三と言えば、大阪のナンバーワン公立高校である北野高校や、大阪北予備校がある街として有名でした。
受験戦争と言われた時代を僕は過ごしましたが、今思い返せば楽しかった。その頃の友人達とは今も親密な付き合いがあり、「戦友」の有難みをいつも感じています。苦しい時代を共に過ごすと言うか、同じ釜の飯を食べた者同士にか分からない価値のある何かを共有出来ることは、人生の宝物の1つです。
「大阪北予備校」が、いつも電車の窓から見えたのが懐かしい。
と同時に、ラブホテル街や映画館もある歓楽街として広く認知されており、松田優作の遺作となった「ブラックレイン」のロケ地の1つでもありました。
梅田を臨んで線路の右側には、車窓から映画の「看板」が、淀川を渡る前に見えたものです。今も忘れないのは、来日公演が無くなったポール・マッカートニー&WINGSの「ロックショウ」(1981年)の看板。
中止したコンサートのお詫びにと、日本公開版は、他の国よりも数曲多いバージョンが公開されました。
今日の写真は1980年代初頭の十三。懐かしんで頂ければ幸いです。