青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

ニノミヤムセン ~Windows前史のパソコン店

2023-05-03 | 昭和・思い出は色褪せない

1980年代に入った頃は、パソコンショップ通いと言えば、奇人・変人であり、偏執狂であり、ネクラと言われたもので、そう誰もが言ったものでした。それが84年頃には遠い過去の話になり、遊び感覚で楽しむのがパソコンとなっていました。流行れば便利で使いやすい機種も出て来るし、値段もお手頃になり、マニアだけに遊ばせるのはもったいないという流れに。

Windowsが登場する遥か以前の大阪・デンデンタウン日本橋には、パソコンショップがひしめいていました。ミナミのなんばCITYのすぐ横に、83年7月にオープンしたのが、ニノミヤムセンのパソコン専門ショップ「パソコンランド」。当時僕はオープニングからこのお店で、アルバイトをしていました。

入口にはデモンストレーションの機器がズラリと並び、常に若者が遊んでいました。縦長のビルの3~5Fがパソコンランド。3Fホビーパソコン、4Fビジネスパソコン、5Fがワープロ、ソフト関係のフロアとなっていました。

正直当時の僕は、こんなに高額な機械でゲームをする?と、この若者たちを理解することはありませんでした。柔道部で汗を流す僕が、パソコンオタクを理解するのは無理でした。写真のような若者が何時間も店頭で遊ぶ。そんな体力があったら、勉強でも運動でもしろよ!と。

しかし、Windowsは無くても、時代はどんどんパソコンを求めるようになって行く。僕もそこには気が付いていました。

4Fには約2,000冊のパソコン関係の本がありましたので、そこで僕も少しは学んだものでした。ハード、ソフトを揃えても、ゲームだけではなくパソコンを使おうと思えば、やはり学習は必要でした。

ニノミヤではこの他にも、ジャンボニノミヤや、梅田の駅前第4ビル地下にも店舗を展開。パソコンオタク向けにパソコン説明は無理、何も分からないおじさん達に1から説明するのもだるかった僕は、第4ビル店でオーディオ・ビデオ担当として楽しく働き、後に阪急ファイブ2階のレコード店「大月5」念願の洋楽担当のアルバイトをすることに

ニノミヤムセンは当時、上新電機と並び「日本橋の雄」と言われ、最大で近畿各地と社長の出身地である岡山に20数店舗を有していました。僕がアルバイトを辞めて数年後の87年には、屋号が「ニノミヤムセン」から「Ninomiya」へ変わりました。バブル経済崩壊後の消費不振やコジマやヤマダ電機等の関東の大手家電量販店の近畿への進出。更には上新電機やミドリ電化等の成長により売り上げは低迷。2000年代に入ると赤いマークのお店は次第に見られなくなり、閉店となりました。

僕がアルバイトをしていた当時働いていた社員の人の多くは中卒・高卒者で、社長の出身である岡山から集団就職で大阪に出て来て、ニノミヤの寮で生活をされていました。「都会に出て来ても土日は仕事で、女の子と知り合う機会もなく、まるで奴隷だよ」と休憩時間に話すのを聞き、やっぱり仕事は大卒で大手上場企業が良い等と考えていました。

 



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