ブランデーグラスの似合う街「キタ新地」は、東京の銀座と肩を並べる大阪の代表的な「夜の街」です。現在では新地本通り等のわずか3~4本の通りと、その周辺にクラブ、スナック、飲食店など約3,000軒が集まっていると言われています。今日の写真は全て1985年撮影のキタ新地です。
昼間はただネズミが走り回るだけの寂しい町が、夜になると様相が一変し、ネオンがきらめく。僕がこの辺りのお店に頻繁に連れて行ってもらったのは、1985~7年。1985年から1991年までの日本で起こったバブル景気の前期でしたが、当時は会社の接待用の高級クラブと、安いスナックという両極のお店が常に満席でした。
駅前第1~第3ビルが並ぶ国道2号線は、週末ともなれば3車線の内2車線が客待ちのタクシーで溢れかえり、夜の大阪駅周辺はごったがえしていたものです。しかもそのタクシーはほとんどが予約車だったので、下っ端のサラリーマンは空車を捕まえに走り回っていました。今では想像も出来ない光景が夜な夜な繰り広げられていました。
少し場所は違いますが、上の夜の街が嘘のような同じ新地の昼間の光景です。閑散としていますが、夕方が近くなって来ると、お店に食材を搬入する車や自転車で、この狭い道路が寿司詰め状態になり、ホステスさん達が出勤、そして夜の姿にこの街が変身しました。
「ルーマーハウス・アスク」は佐川満男氏のお店で、佐川さんが行けばいるし、松崎しげる、伊藤ゆかりといったタレントも見かけました。そばの老舗「喜庵」、ジャンボオムレツの「菱富」、「ボン」「ブロント」といった洋食店も懐かしく思い出されます。
ここは東映会館の南隣の「梅新一番館」。4階にあったディスコクラブ「クロス北店」は、ダンスフロアの足元から煙が漂い、全体に大人の雰囲気が溢れたディスコでした。ダンスフロアはガラスで囲まれていたので、静かにお酒を飲むことも出来ました。
その1つ下の3階にあったライブとディスコの店「スタジオ・ムッシュ」は、かまやつひろしらがプロデュースしていて、いろんなミュージシャンの生演奏が楽しめました。このお店は、商品がドル単位になっていて、フライドポテト6ドル、ピザ8ドル、フルーツは10ドルでした。また、女性同士か男女のペアでないと入店出来ませんでした。男同士や男1人でナンパをしようという輩が入れない店が、当時は沢山ありました。