英語を理解するには、英語を話す国々の文化を学ぶことは必須です。その中でも最も重要でありながら、まず学ぶ機会がないのが、「キリスト教」についてだと思います。キリスト教という宗教がどういうものであるかを理解していないと、英米文学についてのみならず、英語や欧米人を理解することは困難になります。
アーネスト・ヘミングウエイの「老人と海」と、キリスト教を切り離しては、その文学的価値が全く理解できませんし、モダンホラー作家と呼ばれる、映画でおなじみのスティーブン・キングの作品、例えば「ショーシャンクの空に」においてさえ、キリスト教との繋がりを読み取ることなしに、本当の楽しみはありません。
僕はそういうことを、大学時代に欧米の教授に学び、ある時期、教会のボランティアに関わりながら、社会人になってからは、海外に行けば向こうの友人たちと共に教会に足を運び、キリスト教について理解を深めて来ました。僕自身はクリスチャンではありませんし、我が家は神道です。しかし、日本のほとんどの方の宗教は、多神教であり、キリスト教やイスラム教のように一神教ではありません。
だからこそ我々日本人は、世界のいろいろな国の文化の良さを理解し、楽しむことができるのです。キリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒の観光客たちは、日本を訪れ神社仏閣を訪れても、手を合わせて拝むということをしません。彼らにとっては神は、彼らが信じる神だけが唯一神であり、それ以外は神ではありません。だから宗教についての論争では、譲歩する余地が全くありません。ゼロです。「日本で神社に行ってきたけど、~~という名の学問の神がいて」とか「~~という縁結びの神様が日本にはいて」なんてことは絶対に認めません。地球上のあらゆるものを創ったのは、彼らの創造主「だけ」なのです。
向こうの宗教って、厳しいんだな~
そう思って当然ですが、実はそうではありません!(勿論ある意味、排他的ではありますが)そこを皆さんにご理解頂ければ、異なる文化の国々がこれまで以上に楽しめること請け合いです。幸い我々日本人の多くは多神教であり、八百万の神を信じることができますし、キリストもアラーもブッタも尊重できる人種です。ぜひ、キリスト教の神様についても、学びましょう!
そのために持って来いの映画があります。「オー!ゴッド」です。
主役を演じるのは、僕の年代でなくても知っている人は多い、カントリー歌手のジョン・デンバー。そして、上の映画のチラシの左のおじいちゃんに見えるのが・・・「神」です。この映画は、アメリカ人が神についてどう考えているのかを学ぶのに、本当にふさわしい映画です。
ストーリーは簡単。現代に神様が現れ、アシスタントを通じて世直しをするという話。神様のアシスタントに、「十戒のモーゼ」のように選ばれたのが、ジョン・デンバー扮する普通の人ジェリー。職業はスーパーの副店長。彼は神のメッセージを伝えようとして、世間から気が狂った男とされてしまう。マスコミは面白がり、聖職者は彼を批判する。そしてジェリーが聖職者をインチキ呼ばわりしたことで、ついに神の存在をめぐり裁判になる。そして、遂に神が裁判所に現れる!1977年の映画ですが、その後パート2、パート3も作られたヒット作で、大人も子供も宗教に偏見なく観ることが出来ます。
日本で神様と言えば、一般的に「困った時の神頼み」とも言われますが、自分で頑張って、それでもどうしようもない時にお願いしたり、日々きちんと生活している人に優しいのが神様というイメージを、私たちは持ちがちです。
ところが欧米人の神様へのイメージはそうではありません。勿論時には恐れを感じたり、威厳を感じますが、間違いを恐れずに敢えて言葉を選べば、神は欧米人にとっては友達、両親のような身近な温かい存在です。敬虔なクリスチャンの人ほどそう言います。僕の友人は、神の存在をいつも身近に感じると言います。
ある人は毎朝、神と一緒にジョギングをしていると言います。ある人は曲を作っている時、「なかなかいい曲じゃないか」と神が見てくれていると言います。冗談ではなく、彼らはそう感じると話してくれます。心の病んでいる人の言葉ではありません。
キリスト教における神様は、“さびしがりや”さんで、“常に人間に話しかけてもらいたい。頼みごとをしてもらいたい”と思っているそうです。これはカトリックのれっきとした神父さんの言葉です。更に言えば“いかなることも神は許す”そうで、だからこそ世界中に広まったのでしょう。これ以上詳しいことは、宗教を述べるブログではないので止めますが、キリスト教の教えを知ることで、アメリカ文学、アメリカ映画、アメリカ・ポピュラーソング、アメリカ人の意見などが、僕には分かりやすく楽しめるものになりました。これは事実です。そして、英語においても、だから日本語と違ってこういう表現をするんだということにも気が付きました。
例えば
“I was surprised.”
自分の感情を表す英語を頭に描いてみて下さい。ほとんどが「受動態」でしょう?それは、人がそういう気持ちになるのは、神様の配慮が原因だからです。神様が人をそういう気持ちにさせるからです。だから、受動態で表される。“神によって”ということは、クリスチャンにとっては言わなくても分かることなので、“by God”は常に省略されているのです。