アントニオ猪木と「昭和の巌流島」と呼ばれる名勝負を繰り広げたストロング小林こと小林省三さんが、昨年12月31日午前7時21分、東京・青梅市内の病院でのう肺のため亡くなったことが6日、分かった。81歳だった。また1人、熱き昭和プロレスの立役者がお亡くなりになり、寂しく思います。合掌。
小林さんの訃報を受け、1974年3月19日に蔵前国技館で歴史に残る戦いを残したアントニオ猪木氏が追悼コメント発表した。「ストロング小林選手のご冥福を心よりお祈り致します。小林選手との一戦は『昭和の巌流島』と呼ばれ、入り切れない程の多くの観衆に観て頂きました。小林選手もこの試合を人生最高の試合と言ってくれ、私も格別な思いがあります。お互い、若くベストな時に勝負が出来た事が走馬灯のように思い出されます。ストロング小林選手、ありがとう」。
新日本にとって今年は旗揚げ50周年のメモリアルイヤー。坂口征二氏は歴史を築いてきた盟友たちとの再会を望んでいた矢先なだった。偉大なOBの訃報に「また一人去ってしまったなと。ありがとうございましただよね。まあいろいろタッグ組んで試合してね。この前も言ったけど、新日本で頑張ったみんなにありがとうって言いたいよね。貢献してくれてご苦労様でした、ありがとうございました」と感謝の言葉を繰り返していた。
歴史に残る闘いを企画した元新日本プロレス専務取締役の新間寿氏は「私のプロレス人生でアントニオ猪木さんとストロング小林さんの試合ほど心に響いた試合はありません。まぶたを閉じると今もあの日の激闘が浮かんでまいります。その小林さんがお亡くなりになりまさに不世出のレスラーに贈る言葉は出てきません…それほどの方でした、小林さんは」と追悼していた。
小林さんは、芸能活動を引退後に脊髄損傷の重傷を負い、その影響から下半身麻痺になり、3年前の2018年から寝たきりの生活であることが明かされていました。ストロング小林本人は取材を断っていましたが、介護している親族より「プロレス界にストロング小林がいたっていうことを残してもらいたい」という希望で、令和2年にインタビューを受けていました。
それが全て掲載されているのがこの本で、筆者と共に小林さんが伝説の猪木戦のDVDを見て、試合についていろいろな思い出を語っていますし、他にもいろいろな質問に答えられています。猪木ー小林戦を軸に、昭和の日本人対決に迫った渾身のノンフィクションの1冊は、熱く面白く分厚い!このブログでは以前から右サイドバーでご紹介していましたが、売り切れる前にどうぞ。