ディナーの後、1等船客の多くは、隣の応接室へ行って濃いコーヒーをデミタスで飲みながら、タイタニックのオーケストラが奏でる、軽いクラシック音楽やポピュラー音楽に耳を傾けながらパーティーを楽しんでいました。沈没数日前の、貴重な写真も掲載されていました。モノクロ画像がその写真です。「4月11日の昼食の場景と思われる」と記してありました。
この豪華客船の乗客たちの胃袋を満たす為に、80人のスタッフが、24時間体制で日に6000食もの食事を用意し続けていたと言います。
使用されていた陶食器類全てには、同じ絵柄が描かれていたようです。
4月といえば、まだ寒かったのでしょうね。凍てつく入水のシーンが思い出されます。
そうなんです。偶然のことにちょっとビックリ!4月のはいえ、どんなに冷たかったことでしょうね。手元のビデオもう一度見ようと思います。
会社勤めの時は愛知県知多市に本社があり、合計で約15年愛知県に住んでいました。岐阜も良く行きましたよ。飛騨高山や白川郷など良い所がいっぱいありますね。また伺います。
とても興味をそそられました。
それにしても、豪華メニュー
こうして活字にすることで、さらにその豪華さが、想像されますね。
「最後の晩餐」という言葉には、いろんな運命を感じさせるものがあります。
それが4月14日だったとは・・・
まだまだ寒い時期だったんですね。
いろいろと映画のシーンを思い出させていただきました
今後ともよろしくお付き合いくださいませ。
すばらしいブログ・・・(ブログってこう言うものなのだ)びっくり、感心で拝読、拝見しております。思えばず~~っと前に、写真展だったと思いますが、そこですでにびっくり、感心していたのを忘れていたのか、カタクリの時は、釈迦に説法 をやってしまい、赤面まだ消えません。ほんとうにすみませんでした。知っている人にはすぐやっちゃうんです。堪忍願います。これからも楽しみに、勉強させていただきますのでよろしく。私は写真のときどき絵日記(へたな)と,曼華鏡(もどき)しかやっていませんので、あまり見ないでください???? ではおやすみなさい。