風のたより

つれづれに

                 スロバキアの首都、ブラチスラバの街中には~~

2015-11-16 | 中央ヨーロッパ4か国の旅



チェスキークルムロフ観光後テルチによりチェコの最後の訪問地ブルノで一泊し、翌日バスは
スロバキアの首都のブラチスラバにやってきました。

スロバキア共和国の首都ブラチスラバは、ドナウ川に面した静かな街で、オーストリアのウィーン
から僅か60kmの場所です。

まず最初に訪れたのは、“テーブルをひっくり返したようだ”と例えられるブラチスラバ城へ。





たしかに四隅に塔がそびえるブラチスラバ城の姿は、ひっくり返したらテーブル!!





高台からはドナウ川の流れが見渡せました。
ここから眺める川は、モルダウではなくドナウ川です。

ドナウ川にかかる橋の中央にあるのは展望塔で、展望レストランでのお食事は、びっくりするほど高いとか。





バスで旧市街の方に移動です。

かつて旧市街を囲む城壁の出入口だったミハエル門です。
今はただ一つ残った門とか。





ミハエル門の下にはブラチスラバのゼロ地点があって、ここから世界各地の都市までの距離が表示
されたプレートがはめ込まれていました。

ここスロバキアのブラチスラバから東京までは9142kmとか。
こんな遠くまでよく来たものです。





旧市街の中心地、フラヴネー広場にやってきました。

後ろには今通ってきたミハエル門が見えています。





広場の周りには、どっしりと重厚な建物が並んでいます。





ただそんなに広いということもなく、今まで見てきたプラハ城やチェスキークルムロフで見た広場
に比べると割合こじんまりとまとまった感じです。





この広場の横には日本大使館がありました。

異国で見る日の丸と菊のご紋章にはちょっと感激でした。
やっぱり日本人なんですね。





この街にはおもしろいオブジェがあちこちに~~~~

まずはフラヴネー広場にあるナポレオン像。
銅像前のベンチに座り観光客はみなナポレオンとツーショット!!!

めったにないチャンスですから、、(笑)





広場の門には、こんなおじさんの姿も、、、、

帽子をとってご挨拶?
それとも何かのお誘いでしょうか???
後ろのプレートにはなんて書いてあるのでしょう??





広場からちょっと街歩き~~~~

大通りに面して並ぶ露天の店店。
同じパラソルがおしゃれですね。





街中を走る観光バス。
赤い車体が目立ちます。

でも日本では消防車と間違いそうですね。





そしてここに、いましたいました!!
ブラチスラバの町で一番有名な男性が、、、、、

マンホールの蓋を開けて道行く人々をなぜか下から眺める不思議なこのおじさんは???





この変わったオブジェには、「見つめる君」という名前があるらしいのですが、、、、
一体何を見つめているのでしょう??
変わったオブジェですね。
観光客が触るためか、おじさんのかぶった帽子はもうピカピカです。

その「見つめる君」のマンホールのおじさんを、たくさんの観光客が周りから見つめていました。(笑)


                 チェスキー・クルムロフとおとぎの町テルチ

2015-11-13 | 中央ヨーロッパ4か国の旅



翌朝、フルボカー城から約35キロ、バスで45分の地にある同じ南ボヘミヤの都市チェスキー・
クルムロフにやってきました。

その高台に聳えるのがチェスキー・クルムロフ城で、1992年に、「チェスキークルムロフ歴史地区」
として世界遺産(文化遺産)に登録された中世から抜け出た様な可愛い街です。





高台から眺めると,大きく湾曲した川に沿って街が出来ています。

街の名前のチェスキー・クルムロフのチェスキーとは“チェコの”という意味で、クルムロフは
“川の湾曲部の湿地帯”を意味するのだそうです。

この湾曲して流れている川は、、、プラハ城の前を流れていたあの同じモルダウ川ということでした。





ヨーロッパ内陸の国、チェコの南部(南ボヘミア地方)に位置するチェスキー・クルムロフの高台に
貴族の城が築かれたのは13世紀。

その後多くの領主が代わり、その度に増、改築築が加わり現在の姿になったようです。





その後もこの街や城は幾多の歴史に翻弄され一時は廃墟と化した時期もあったようです。

幾多の経緯を経てこの街が復興したのは、世界遺産に登録されてからで、まだ数十年のことで
そのため奇跡的な復興は、“眠れる森の美女の目ざめ”とも言われたとか。





丸い壁からみえるチェスキー・クルムロフの旧市街。

まるでおとぎの国の入り口のようです。





城内に入ってみると、、、、、ありました!!あのスグラフィット!!

一種のだまし絵的なものです。
一見立派な石積みのように見えて、よくみると描かれたような工法です。





城内の至る所に次々現れるスグラフィット。

色や模様は違っても、そのほとんどがスグラフィットのようです。
一見綺麗ですが、やっぱりちょっと重厚感に欠ける気がしました。(ごめんなさい!!)





城内に聳えるチェスキー・クルムロフのランドマーク的なフラデークの塔も、その下の
お城の部分も皆よく見るとスグラフィット!!!

うーん、やっぱりちょっと、、、、、





自由時間になり、皆それぞれに城内と街を散策しました。
そんなに広い場所ではないので、一回りするには丁度良い散策コースです。

下から見上げるチェスキー・クルムロフ城と、お城に繋がる渡り廊下の様なブラーシュティ橋。





淡いパステルカラーの建物が可愛い中央広場に出ました。

観光客に人気なのは、こんな風景が見られることもあるのでしょうか??





街の店も可愛い造りで、とてもメルヘンチックです。

町並みも整然としていますが、、、、





街の店の壁にもだまし絵が、、、

石畳の道路も良く見ると敷かれた石の大きさもまちまちで向きも不揃い、、、、(笑)
財政的にはやっぱりかなり厳しい時代があったのでしょう。





もう一度高台からチェスキー・クルムロフの街を眺め、バスは“ モラヴィアの真珠”といわれる
テルチへ。

チェスキー・クルムロフからバスで2時間半の移動です。





初めて聞く地名で、チェコの観光の中でもあまりメジャーな場所ではないようですが
行って見ると、なんとここもメルヘンチックなこと!!!

ここも世界遺産なのです。





16世紀、テルチの町は大火災で焼き尽くされました。

その後その時の領主が“広場に面するすべての家の高さをそろえ、ルネサンス様式にするように”
と市民たちに命令を下し、そして生まれたのがこの町テルチということでした。

広場を囲むようにメルヘンチックな色合いの家々が整然と建ち並ぶ様子は、まるで絵本の中の世界で
思わず見回してしまいました。
建物の下はアーケードになっていて色んなみやげ物店が軒を並べていました。

こんな風に思いがけない光景に遭遇する事は、旅のもう一つの大きな楽しみです。

(続)


                 フルボカー城と古城ホテル

2015-11-11 | 中央ヨーロッパ4か国の旅



バスはプラハから150kmほど離れたチェコ南部の都市チェスケー・ブジェヨヴィツェの郊外にある古城
チェコで一番美しいと言われる白亜のフルボカー城にやってきました。





城の前に広がるフランス式庭園。

フルボカー城の森の木々は黄葉していましたが、庭園はまだ緑いっぱいです。





一見新しいように見えますが、フルボカー城が建てられたのは13世紀とか。

このフルボカー城は、代々ボヘミア王の居城でしたが、17世紀に貴族のシュヴァルツェンベルグ家が
城主となり、その後19世紀に、イギリスのウィンザー城をモデルに、チューダー・ゴシック様式に
改装されたのが、今のお城ということでした。

たしかにどこかイギリスで見たウィンザー城に似ています。





広い庭園の奥には小高い丘が広がっていました。
狩りをするためのお城でもあったようです。

この日は、この古城に隣接する古城ホテルに宿泊の日でした。





このホテル自体も1800年代に建てられたもので、まさにお城の雰囲気です。

客室は44室、今回のツアー参加者は18名でしたから大人数のツアーでは宿泊できない
貴重な体験でもあります。





ホテルの入口です。いよいよここから古城ホテルへ~~~

周りを森に囲まれ静寂な雰囲気が漂います。





中央がフロント、右がダイニングルーム、左側がホテルのようです・





お部屋が割り当てられ鍵を頂きお部屋へと進んで行くと、、、、

部屋は204号室、ありました!!
この左のドアの部屋が今夜宿泊するお部屋です。





鍵をあけると、、、、、
なんと豪華な室内が目に入りました!!!

後でわかったのですが、この部屋はデラックスダブルで、各部屋はそれぞれでその中でも
一番豪華な部屋に幸運にもめぐりあったようです。

あのカレル橋の殉教者「聖ヤン・ネポムツキー像」の台座の十字架にさわると幸運が訪れる
というのは、まさにこのことだったのでしょうか。





この日は広い豪華なお部屋を贅沢にも独り占めでした。

並んでいる家具や内装も豪華で、まさに宮殿の中にいるようです





こんな幸運な経験はめったにないことと思い、カメラのタイマー機能を使い豪華なお部屋の中で
あちこち場所をかえていっぱい自撮りしました。(笑)





奥の部屋には広いバスルーム。
ゆったりと大きなバスです。

左手前にはトイレ、そして洗面台はシンクが二つありました。
やっぱりこの部屋は、デラックスダブルルームなのでした。





窓際に置かれた豪華なテーブルと椅子。

外を見ると、、、森と湖に囲まれた南ボヘミヤの大地が広がっていました。





ダイニングルームでのお食事も、まさに晩さん会の様な雰囲気がありました。





夜はライトアップされるというフルボカー城を皆さんと見に行きました。
黄金のように輝くお城は綺麗でした。





チェコのボヘミアはボヘミアングラスで有名なことろです。

お部屋の中央には、この大きなクリスタルのシャンデリアが輝いていました。





地方貴族の夢の様な優雅な生活に思いを馳せたフルボカー城での宿泊は、貴重な思い出多い
旅の一こまになりました。


泊まった部屋まで分かる、このフルボカー城の全体を収めた写真は、ネットよりお借りしました。


(続)



                  プラハ旧市街広場と天文時計

2015-11-08 | 中央ヨーロッパ4か国の旅



カレル橋を渡り旧市街広場と呼ばれる場所にやってきました。

この広場は建築的にも見逃せない場所で、広場の周りには異なる建築様式の建物の全てがある
といわれる場所とか。

又広場の真ん中には、宗教改革でローマカトリックの堕落に異議を唱え火あぶりの刑にあった
チェコの宗教指導者ヤン・フスの像が立っています。





広場の奥には、二つの塔も持つゴシック様式のティーン教会が聳えます。

その前の青銅の像がヤン・フスで、彼の没後500年の1915年に建てられ、今や旧市街広場の
シンボルとなっています。





この広場に入ってきてから、やっと青空がのぞき始めました。
この旅に出てから見る初めての青空です。

周りの建物が一段と綺麗に見えます。





広場をとり囲む様に素晴しい建物の数々が林立しています。

さすがプラハを代表する観光地、「ヨーロッパの建築博物館の街」とも言われているとか。





広場の旧市庁舎の北側の壁には、世界最古級の天文時計が取り付けられていて今も正確な
時を刻んでいます。





この天文時計の中で一番古いパーツが天文図文字盤で、その下の円盤が暦表盤。

文字盤と歴表盤は、時を正確に刻むだけでなく、天文や暦に関する細かな情報も伝えているのだとか。

この天文時計は毎時からくり時計にもなっていて小窓から人形が現れ、それを見ようとたくさんの
観光客で賑わっていました。





天文時計のからくりを見た後は、天文時計が目の前に見えるレストランでのランチになりました。
レストランの窓からは、からくり時計を見上がるたくさんの観光客が見えました。

料理はチェコのグヤーシュと呼ばれる物で、お肉が柔らかく美味しかったです。





自由時間にちょっと街を散策。

ここはマリオネット劇場??
チェコはマリオネット(操り人形)でも有名です。





チェコのお菓子トゥルデルニークを焼く美しい女性。

チェコは美しい女性が多いです。
そういえばオリンピックの体操で有名だったチャフラフスカさんもチェコの女性でした。





バロック様式の聖ミクラーシュ教会 の前を行く白い馬車。
ヨーロッパの街ならではの光景です。





その後バスでカレル橋の北側にあるマーネスーフ橋辺りに移動です。





この下からは多くの観光船が発着しているようです。

この日も多くの観光船が行きかっていました。





マーネスーフ橋から遠くにカレル橋が見えました

ゆったりと流れるブルタブァ川。
日本ではスメタナのモルダウ川として有名です。

バスはこのスメタナのモルダウの曲を聞きながらプラハの街を後にしました。


                      カレル橋での願い

2015-11-06 | 中央ヨーロッパ4か国の旅



ヴルタヴァ川にかかるヨーロッパ最古の橋といわれるカレル橋を渡り始めます。
今やこの橋は王宮の丘から旧市街に通じる歩行者天国の橋になっています。

この日はあいにくの曇り空、ちょっと風景が暗いのですが、、、、
橋の両側には左右それぞれ15体づつの聖人像が並んでいます。





橋の中央辺りには、祐逸ブロンズで出来ていて頭に五つ星が輝く像が現れました。
30体の聖人の像の中で特に有名なプラハの殉教者「聖ヤン・ネポムツキー像」の台座です。

かなりの人だかりです。
そしてみなさんこの台座の一部を触っています。
この部分がピカピカに、、、、

聖ヤン・ネポムツキーは14世紀のボヘミアの司祭でカトリック教会の聖人でしたが、
ヴァーツラフ4世の王妃の懺悔の告白内容を王に厳守して告げなかっ為に王の怒りにふれ
ヴルタヴァ川に突き落とされ非業の死を遂げたと言われています。





そしていつしか、この聖ヤン・ネポムツキーの台座の右側のレリーフに触ると願い事が叶うという
言い伝えがあるとか。
確かに右側のレリーフがピカピカ輝いています。
私もご利益にあずかろうと触らせて頂きました。





さらに進むと、ここが聖ヤン・ネポムツキーがつき落とされた場所といわれる所に綺麗な
モニュメントが出てきました。

鉄で唐草模様を描いたような繊細で優雅な装飾が際立っています。





そしてここでは、なぜか左手で十字架の部分を触れると幸運が訪れるということでした。
私もさっそく左手を添えて幸運を祈りました。

さてその成果は、、、、、あとでご報告です。





さらに進み、橋の中央付近から振り返ると対岸の丘にそびえるプラハ城が望めました。





橋が終盤に差し掛かる辺りには、日本人になじみのある日本にキリスト教を伝えたことで知られる
聖フランシスコ・ザビエルの像が現れます。

聖フランシスコ・ザビエルの像を支える数人の中に、刀を持った東洋人らしき姿がありました。
これは日本人を表しているのではないかといわれているとか。





旧市街地の建物が見えてきました。

川には綺麗なたくさんの白鳥の姿が、、、、





軽やかな音色を奏でているのは、ストリートミュージシャンの面々。

良く見ると、、、、皆さんシニア世代ですね。(笑)





橋の上には、ここにも絵を売る絵描き屋さんんがあちこちに、、、
素敵な絵がたくさん並んでいました。





いよいよこのカレル橋もあの大きな橋塔を目印に終わりとなり、旧市街へと入って行きます。





カレル橋を渡りきり振り返ると、、、、、プラハ城が、、、、

そしてなぜかここでは愛の証の南京錠が並んでいました。
南京錠にかけた鍵は、永遠の愛を誓いこのヴルタヴャ川に投げたのでしょうか???