花浄土鹿児島

鹿児島の花や風景、祭りなどを巡るブログです。
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慈眼寺公園 もみじ谷を歩く 2023/12/02(鹿児島)

2023-12-03 17:19:42 | 史跡巡り
12月2日(土)天候回復、谷山の慈眼寺(じげんじ)公園に出かけました。

11時17分 そうめん流し 今は休業期間中 以下の画像は12月2日に撮影


例年よりも10日ほど早めに訪れました。そうめん流しの営業は3月下旬~10月で、川沿いを散策する人は少なくて静かです。

地元ではジゲンジまたはジガンジとも呼ばれ、そうめん流しの公園として親しまれています。

北側には谷山神社とふるさと考古歴史館 


北側からも川沿いに通じる階段道がありますが、ここは川に近く平坦で車を止めやすいです。

和田川に架かる橋の上


看板中ほどの川沿いにモミジがあり、陽射しの当たる昼前後は特にきれいです。

水面に当たる光がきれい


水の流れの緩やかなところでは日差しが水面に当たり、水鏡がきれいでした。

お大師様


明治初期の廃仏毀釈で殆どの石像や石仏が壊され、現存するのは難を逃れたか、その後再現されたものと思われます。

昔からの道らしい


落葉が散り風情がありますが、雨の日は滑りやすいので足元注意です。

見上げると 川の上に広がる紅葉


植栽されたものと思われますが、自生する他の木々も光を求めて枝を伸ばしているため、違和感がありません。

公園入口(JR線路近く)側の石仏


坂を上がる途中右手にあります。上に休憩所がありますが周囲の木が邪魔して、桜島は良く見えません。

かつては良い展望所だったと思われますが、すぐ近くに交通量の多い陸橋がありかなり騒がしい場所です。

仁王像の頭部 廃仏毀釈で壊されたものでしょうか


慈眼寺について、鹿児島国際化推進協議会KIC (Kagoshima Internationalization Council)の鹿児島ビジターズガイドの慈眼寺公園ページから引用して紹介します。

慈眼寺公園がある場所には、約1,400年前開基されたと言われる天台宗のお寺がありました。

600年ほど前、8代島津久豊公によってお寺が再興され、15代貴久公が造営、福昌寺18世代賢和尚を開山の祖として福昌寺の末寺となり、曹洞宗のお寺として栄えました。

以来、お寺は代々島津氏に篤く信仰されていました。そして、18代家久公の菩提寺となり、「慈眼寺」と改名されました。

実質的な薩摩藩祖の菩提寺となったことで慈眼寺は隆盛を極め、南さつま市の一乗院、志布志市の宝満寺と共に「薩摩三名刹」と言われました。

しかし、明治期の廃仏毀釈の際、完全に破壊されました。

現在では跡地は公園となり、入り口に残る仁王像や公園に点在する石仏からお寺だった当時を偲ぶことができます。

また、伊敷の梅ヶ淵、城山とともに慈眼寺など市内の古刹跡に弘法大師の尊像88体が安置された「西国八十八ヶ所」の石仏群のうち、68番から88番まで(70番と73番は紛失)の19体が現存しています。(引用終わり。感謝、感謝) 

水量わずかな和田川 水流の幅は例年の半分以下


この夏は台風の影響が少なく、少雨傾向が続き水の流れはわずかで川原が現れています。右側はそうめん流しです。

蜘蛛の糸に掛かる落葉


明るい日差しがあることで目に付く光景です。

12時58分 上流側 さくら公園のモミジ


陽射しがあればこその輝きです。曇りや雨の日だと全く見映えがしません。

良い条件に恵まれて幸いでした。天候が良いのでこの後、南にある清泉寺跡まで足を伸ばしました。

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