ひょんなことで、立川談慶なる落語家のことを知った。ウィキペディアによると、「落語立川流真打で著述家。本格派(本書く派)落語家」とあり、慶應義塾大学卒初の真打でかの立川談志さんのお弟子の一人である。調べたら、何と書いた本は20冊を超えており、そのいくつかを図書館で借りて読んだ。タイトルを見ただけで読みたくなうような印象。例えば、「老後は非マジメのすすめ」「不器用なまま踊りきれ」「人生、オチがよければすべてよし!」とか。。。
談志さんのお弟子としては、立川志の輔さんや立川志らくさんが有名であるが、談慶さんは、本人曰く、真打になるのに14年もかかった出来の悪い落語家であったという。談志さんとは35年も前のことだが、ドイツにいた時、色々話す機会を得たので、その人となりを実感していて、親しみを覚えていた。
早速、「非マジメのすすめ」をさっと読んでみたが、印象に残った箇所は、「年を取って、目が悪くなるということは、もう細かい字は読まなくてもいいってこと。歯が悪くなるってことは、硬い肉は食うなってこと。耳が悪くなるってことは、雑音は聞かなくてもいいってこと」と談志師匠はよく言っていたという。
列にきちんと並ぶとか日本人は基本マジメで、代々そのDNAが引き継がれている。落語は、そんな生マジメさに好感を持ちながら、どこでクスッと笑うような作りで仕立て上げられている。マジメは美徳だが、基本、他者を許容しない。突き詰めれば戦争へとつながりかねない。生マジメは高く評価すべきだが、マジメ、不マジメの二元論ではなく、非マジメな風情が大切だという。
作者は、前座9年半という長い下積みを食らったのは、談志さんから「おまえはマジメすぎるんだ」というメッセージだったという。「シャレがわかる」という落語家として大切な体質やセンスを身につけるのに手間取ったという。非マジメに生きることは、したたかに生きることと同義語かも知れないという。非マジメ思考は、まず許容が前提となる。「自分もいい加減なんだから、人のいい加減をも認めてあげよう」という了見である。マジメな人は他人もマジメであると思い込みがちである。非マジメになると他者を許せるようになり、結果として笑いのセンスも身につくような気がするという。もうすでに老後になっているが、すすめに従い、マジメを卒業して非マジメの世界に入ることとしたい。