9月23日、BS-TBSの2時間の特別番組で、没後1年となった昭和歌謡を代表する作詞家のなかにし礼の名曲誕生の秘話をたっぷり紹介してくれた。なかにし礼は、数ある作詞家の中でも最も好きな作詞家のひとりで、20年位前に、渋谷で彼の講演会に行ったこともあり、大変親しみを持っていた。
彼の音楽活動は、シャンソンの訳詞から始まり、菅原洋一が歌った「知りたくないの」という訳詞が大ヒットし、下田への新婚旅行の時に石原裕次郎との偶然の運命的な出会いから、歌謡曲の作詞活動に力を入れるようになったようである。当時売り出そうとしていた黛ジュンをプロデュースするよう裕次郎に頼まれ、様々な作品を多く手掛けるようになったという。「恋のハレルヤ」は彼の戦争体験から来た歌詞で大ヒットし、「天使の誘惑」では、昭和43年にレコード大賞も取っている。アンルイスの「グッバイマイラブ」も彼の手掛けた作品で、それ以降、いろいろな歌手のヒット曲を手掛け、昭和45年のヒット曲100曲の内、22曲がなかにし作品であったというから驚きである。
社会人となった昭和45年前後でまさに青春真っ盛りの頃にヒットした曲ばかりであるので、どの曲を聴いても懐かしく青春プレイバックする。彼が亡くなってもう1年が経つというから、月日が過ぎるのは早いものである。しかし、音楽は、歌い継がれるので、いつでも楽しむことができる。北原ミレイが歌った「石狩挽歌」も印象深い作品で、先の講演会でも作詞の顛末を本人の口から聞いていたので、親しみが深い。
番組の最後にも紹介されていたが、今、個人的に最も好きな作品は、石原裕次郎の「わが人生に悔いなし」である。病床にあった裕次郎が人生の歌を歌いたいということで、なかにし礼に作詞をお願いしたとのことである。なかにし礼の詞は感動そのものであるが、作曲は加藤登紀子に依頼したものである。2時間近くにわたって、懐かしい往年のヒット曲をたっぷり聴かせてもらった。BSの音楽番組バンザイである。
わが人生に悔いなし: https://youtu.be/YnhIDLdxzAE
(なかにし礼の詞)
鏡に映る わが顔に
グラスをあげて 乾杯を
たったひとつの 星をたよりに
はるばる遠くへ来たもんだ
長かろうと 短かろうと
わが人生に 悔いはない
この世に歌が あればこそ
こらえた涙 いくたびか
親にもらった 体ひとつで
戦い続けた 気持ちよさ
右だろうと 左だろうと
わが人生に 悔いはない
桜の花の 下で見る
夢にも似てる 人生さ
純で行こうぜ 愛で行こうぜ
生きてるかぎりは 青春だ
夢だろうと 現実だろうと
わが人生に 悔いはない
わが人生に 悔いはない
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