浪漫飛行への誘(いざな)い

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ドイツでの家探し 

2020年10月06日 16時06分49秒 | 住まい

1985年5月にドイツのフランクフルトに赴任したが、日常業務とは別にまずやらなければならないことは、住む家探しである。まずはホテル住まいで、家族が来る約1か月後までに家探しをしなければならない。引継ぎや慣れない業務で忙しい中で、なおかつ土地勘がないので、家探しはなかなか大変である。総務のドイツ人が何軒かの物件を探してくれ、時間の取れる時に、物件を見に行くのである。庭付きの一軒家もあればマンションもあるし、家賃は当然ながら広さや通勤時間や子供の学校のことまで考えると決断はなかなか難しいものがある。

郊外の庭付きの一軒家も見学したが、裏に墓地があるのでやめた。結果的には、街の中心街に近く(オフィスから車でも電車でも10~15分)に新しく建設中のマンション街にある一つの部屋を借りることを決めた。広さは、ドイツにしては狭く、85m2程度であったが、子供がまだ小さかったので、全く問題なく、新築であることを考えると大変いい物件であった。マンションの前は、トラックが土を掘り起こす工事の真最中であったが、大きな公園ができるということも気に入った。マンションは、南向きで、目の前が大きな公園なので、テラスからの眺めもよく、ドアから外に出ると即公園といった恵まれた環境であった。

マンションは、家具付きではなかったので、自分達で一部の家具を購入したが、大きなサイドボードは前任者からもらった。当時買ったダイニングテーブルは、気に入っており、今でも使い続けている。また、冷蔵庫と食器洗い機は大家さんが付けてくれたが、テレビと照明器具は、一定額を賃貸の契約時に明記し、その範囲内でこちらが購入することになった。契約に基づき、好きなテレビを購入することになったが、額が大きかったため、電気屋で、「もっと高いテレビはないか?」という普段ではあり得ない値段交渉を行うほど高性能なステレオタイプのテレビを購入した。

我が家と隣の2軒が同じ大家さんで、初めて賃貸用マンションを購入したとのことで、入居前には、何回か掃除にも来てくれていた。大家さん夫婦は、ともにギムナジウムの先生で、英語は通じるし、まさにいい人達であったこともラッキーであった。彼らは、郊外に住んでいたが、クリスマスには、子供たちにもみの木とクリスマスプレゼントを持ってきてくれたりもした。一度、クリスマスの頃に彼らの家に招待されたこともあった。

当初、隣の家は、イギリス人とフランス人の夫婦が住んでいたが、彼らが出て行った後は、同じ会社の日本人派遣員に入ってほしいとの意向があり、若い実習生が入ることになったほど、日本びいきに対応してくれたことは嬉しい限りである。ドイツを離れて帰国した後も、フランクフルトに立ち寄った時何回かお会いしたこともある。彼らは、賃貸で入居した人達が出て行く時に、お別れの挨拶を書いたノートを大事に保管しており、ある時そのノートを持ってきて見せてくれたが、まさに最初のページが我々が書いた言葉であった。書いたことも忘れていたが、嬉しい思いであった。

マンション前の公園は、入居してほどなくして、整備され、芝生が植えられ、
アスレチックのような遊戯も設置されたので、子供達にとっても最高の環境であった。大きな公園のはずれには、自分の所属したスポーツクラブ(ヤーンフォルク1881)の卓球場があり、最高の立地であった。家から卓球場まで、公園の中を歩いて7~8分というから驚きの好環境であった。

1989年に日本に帰国したが、その後、5回ほど里帰りし、そのたびに自分のマンションを訪問している。見かけは当時のままであるが、前の公園は当時植えられた木々が年月を経て鬱蒼と茂っているのを見ると年月を感じ感動的なものがある。マンションでは、友人もできたし、今でもお付き合いが続いている人達もいる。住環境は素晴らしく、当時の仕事内容も考えると間違いなく人生のピークであったといえる。

写真は、マンションの外観(当時と今)


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