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真宗の極致~自力と他力~

2020年08月12日 09時28分29秒 | 宗教

高森顕徹先生の2日目の講演(8/10)の演題は「真宗の極致とは~自力と他力~」であった。自力も他力も仏教用語であるが、現代では、違った意味で使われている。よく「他力本願」という言葉を、ひと任せ、他人依存という意味合いで使うことがあるが、これは本来の仏教の用語の意味とは全く異なる使い方である。浄土真宗では自力とは人間の力をいい、他力とは阿弥陀仏の力をいう。


今回、覚如上人(親鸞のひ孫)の「改邪鈔」にある下記の言葉から、浄土真宗の極致とは何かについての解説をしてくれた。

「真宗においては、専ら自力をすてて他力に帰するをもって宗の極致とする」

《自力》

・弥陀の本願を疑っている心
・後生暗い心(無明の闇)を破るという本願を疑っている心
・死ねばどうなるか分からぬ心
・旅立つ先がハッキリしない心
・悪い心をなんとかしようする心
・一念で無くなる心

《他力》

・弥陀の不可思議の願力
・自力の心を斬り捨てて極楽往生をハッキリさせてくださる力

即ち、浄土真宗の極致というか人生の目的は、自力を捨てて、他力に帰することに尽きるということであり、これ以上の教えはないという。死んだらどうなるかわからないという無明の闇を破り、阿弥陀仏の本願(約束)により、生きている時に絶対の幸福を得ることができることである。他力本願という言葉は、まさに阿弥陀仏の本願というありがたい言葉であるような気がしてきた。

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