透明な気圏の中から

日々の生活の中で感じたこと、好きな作家についての思いなどを書いてみたいと思います。

ウトナイ湖へ

2017-03-26 20:56:08 | 

晴れ。最低気温-6.6℃、最高気温7.3℃。

ウトナイ湖

家人と苫小牧市にあるウトナイ湖へ出かけました。

白鳥を見たいねと出かけたのですが・・・・。

ウトナイ湖のこちら側で見かけたのは2羽ほど。

湖面はさざ波に光が散乱してキラキラ輝き、静かな時間が流れていました。

この湖と周辺は国指定鳥獣保護区であり、ラムサール条約の登録湿地となっています。渡り鳥の中継地点として、早い時刻であれば今日もたくさんの鳥を見ることができたかもしれません。

道の駅の駐車場から徒歩3~5分でこれだけの美しい自然に触れられるのは嬉しく有り難いことだと思いました。

 ハクチョウさんもどことなくのんびりしている風で・・・・。

こういうお方も・・・・

お土産の「白鳥まんじゅう」と清酒「ウトナイ旅情苫小牧」。

「白鳥まんじゅう」はハスカップで味付けした白あん入り。

清酒「ウトナイ旅情苫小牧」はこれから味見する予定です。

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絵本『Liberté 自由 愛と平和を謳う』

2017-03-22 19:55:52 | 

曇り。最低気温0.2 ℃、最高気温3.5 ℃。

 

≪Liberté 自由 愛と平和を謳う

2001年初版発行

詩:ポール・エリュアール

訳:こやま峰子

画:クロード・ゴワラン

朔北社

          🍁     🍁     🍁

ポール・エリュアール

18951214日、パリの北8キロのサン・ドニで生まれ、19521118日、パリのグラヴェル街の家で57歳の生涯を閉じる。1917年、最初の妻ガラと結婚。その後2度結婚を経験する。天才的画家ダリやピカソと交友を持ち、戦火の最中、愛と平和を求め戦った詩人。

第二次大戦中に詩「Liberte(自由)」を発表。他に80冊近くの著作がある。

 

こやま峰子

詩人、童話作家、エッセイスト。第13回赤い靴児童文化賞、第28回日本同様賞特別賞受賞、第4回フランス・エビアン市文化賞受賞。


             🍁     🍁     🍁

≪Liberté 自由 愛と平和を謳う≫    の絵本の全文を

 

ぼくの大切なノートに

机に 木々に 砂に

そして 雪のうえにも

ぼくは きみの名を書く

 

読み終わったページに

真っ白な ページのすべてに

石 血 紙 灰のうえにも

ぼくは きみの名を書く

 

こがね色の イメージに

ナイトたちの よろいに

王さまの かんむりにも

ぼくは きみの名を書く

 

ジャングルと 砂漠に

小鳥の巣と エニシダに

幼いころの こだまにも

ぼくは きみの名を書く

 

夜のファンタジーに

日々の 白いパンに

婚約した 季節にも

ぼくは きみの名を書く

 

コバルトブルーの きれはしに

くすんだ太陽が うつる池に

息づく月が うつる湖にも

ぼくは きみの名を書く

 

地平線までつづく はたけに

小鳥たちの つばさに

木かげの 水車にも

ぼくは きみの名を書く

 

夜明けの 息吹に

海にただよう 船に

とてつもなく 高い山にも

ぼくは きみの名を書く

 

やわらかで 軽やかな雲に

あらしのような 汗に

メランコリーな 雨にも

ぼくは きみの名を書く

 

きらめく すべての物に

色とりどりの 鐘たちに

まことの姿の 肉体にも

ぼくは きみの名を書く

 

めざめたばかりの 小道に

広い広い 道路に

人のあふれる 広場にも

ぼくは きみの名を書く

 

ともされた ランプに

きえてしまった ランプに

占領されてる 秘密の家並みにも

ぼくは きみの名を書く

 

ふたつに切られた果物に

ちいさな部屋の 鏡に

古い貝殻のような ベッドにも

ぼくは きみの名を書く

 

くいしんぼうの 優しい犬に

ぴんと立っている 耳に

ぶっきらぼうな 足にも

ぼくは きみの名を書く

 

扉のそばの トランポリンに

つかい古された 家具に

祝福された 明かりの列にも

ぼくは きみの名を書く

 

調和のとれた 肉体に

友だちの ひたいに

さしだされた 人々の手にも

ぼくは きみの名を書く

 

びっくりした女が写る 窓ガラスに

待ちつづける 女のくちびるに

用心深い 沈黙にも

ぼくは きみの名を書く

 

こわされてしまった 隠れ家に

くずれおちた 明かり台に

けだるさに染められた 壁にも

ぼくは きみの名を書く

 

ねがいがすべて 消えてしまっても

ひとりぼっちで なにもかもなくなってしまっても

死が ちかづいてきても

ぼくは きみの名を書く

 

とりもどせた 健康に

きえてしまった 危険に

さだかでない 希望にも

ぼくは きみの名を書く

 

そして ひとつひとつの言葉の力で

ぼくは もう一度 人生に立ち向かう

ぼくは きみに出会うため うまれてきた

ぼくは きみの名を書くきしるすため

 

自由という名を


          🍁     🍁     🍁

絵本の訳を担当されたこやま峰子さんは絵本のあとがきにかえて、「詩の泉のほとりで」という一文を綴っています。その一部を引用させていただきました。

19995月「ハロー・デイア・エネミー」展が東京でスタートした。この展覧会はドイツのミュンヘン国際青少年図書館が企画した戦争をテーマにした絵本展。世界18ヶ国、83冊のなかにエリュアールの一編の詩が絵本になっていた。

「自由」という詩は第二次世界大戦中、フランスがドイツに占領され、レジスタンス運動のさなかに書かれたもので、『詩と真実、1942年』の中で発表された。

この詩はエリュアールの二番目の妻ヌーシュに捧げた愛の歌。ここでいう「きみ」はアルザス生まれの貧しい踊り子ヌーシュのことだけれど、単なる、愛の歌に終わらせず、彼が求めてやまない自由を全人類的な愛に重ね合わせて思いを綴ったところに、多くの人々の共感と普遍性があるにちがいない。

              🍁     🍁     🍁

この本は、図書館1階の絵本コーナーで見つけました。絵本としてはめずらしい題名に惹かれて何となく手に取ったのです。そして、その場で次々とページを繰って読み終えてしまいました。

初めて耳にした詩人の名前。彼の自由を渇望する気持ちが力強く響いてきました。息苦しさが増してきたと感じることが多くなってきている昨今、自由が奪われそうで不安になっている自分に気づきハッとさせられたのでした。

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まどさんの詩の本・『かんがえる』

2017-03-03 20:42:17 | 

曇り時々晴れ時々雪。最低気温-1.4℃、最高気温2.4℃(江別)。最低気温-4.8℃、最高気温1.0℃(生田原)。

『かんがえる』

著者:まど・みちお

画家:長新太 

理論社

1996年4月第1刷発行

 

「たまごがさきか」   まど・みちお

 

たまごが さきか

ニワトリが さきか

という りくつよりも

はっきりと さきなのは

たまごだ

ニワトリだ

 

ネコだ

ミミズだ

マツノキだ

空だ

じめんだ

にんげんだ

 

ものが さきなのだ

ずうっと せんぱいなのだ

いつだって

ぼくらの りくつよりは

           🍁     🍁     🍁

最近、「たまごがさきか にわとりがさきか」というフレーズを耳にすることが多くなりました。

今日、まど・みちおさんの『かんがえる』という詩集を繰っていると「たまごがさきか」という詩があり、思わず反芻してしまいました。

そして、「ものがさきなのだ▼ずうっとせんぱいなのだいつだって▼ぼくらのりくつよりは」という終章になんだか納得してしまいました。

 

今日は桃の節句ですね。何も飾るものがないなと思っていたら、家人が当地のセイコーマートからひな人形の何か?を買ってきてくれました。

 

写真に撮ってから、お内裏様の方を私たちは食べたのです。ほんのり甘いお餅のようでそうではないウィロウのような舌ざわりでした。今日一日くらいは飾っておくべきだったかもしれませんね。賞味期限は3月4日までだったので・・・。

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『ペコロスの母に会いに行く』

2017-03-02 20:15:40 | 

曇りのち晴れ。最低気温0.6℃、最高気温5.8℃(江別)。最低気温-7.9℃、最高気温7.5℃(生田原)。

『ペコロスの母に会いに行く』

岡野雄一著

西日本新聞社 201277日初版第一刷発行

20121224日 第九刷発行

             🍁    🍁     🍁

読み始めてすぐに、可笑しさと切なさがまじりあい、手離せなくなってしまいました。

今は第三者としてこの本を読んでいるのですが、認知症がいつこの身に訪れるか分からないので、他人事ではないことも頭の隅から離れません。

そういう思いも手伝ってか、ページを繰る手を休めることなく読み終えました。

 

絵も温かで、文も相手を包み込む包容力に満ちていて、読み進めていくほどに癒されるという不思議な感覚を味わいました。日常のきれい事だけを掬っているわけではないのにです。

その辺りが腕の見せ所なのでしょう。深刻な状況を「かろみ」でバランスを取っていることが、本作品の妙味なのかもしれません。

詩人の伊藤比呂美氏が言っているように、作者の母・みつえさん(89歳)はチャーミングに描かれています。読み手の私が救われた大きな要因はこの点にあったのかと思いました。

「ペコロス」とは小たまねぎのことだとか。題名も魅力的だと感じました。

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『この世界の片隅に』その2

2017-02-24 14:53:13 | 

曇りのち雪。最低気温-3.1℃、最高気温-1.2℃(江別)。最高気温-2.6℃、最高気温0.8℃(生田原)。 

 生田原ではゴミの分別が江別よりきめ細かくなっています。プラゴミは資源ごみとなっているので、例えば納豆の外側の発泡スチロールの容器はもちろん、蓋の内側の薄いペラペラしたビニール風のものも洗ってプラゴミに出すことになります。 

 1週間で(圧縮しない状態で)20リットル入りの袋にいっぱいになりました。

 私が子どもの頃には出なかったゴミの一種(ひとくさ)です。こんな風に不要となるパッケージを編み出した私たちっていったい賢いのか、何なのか分からなくなってしまいます。

 燃えるゴミの中の生ごみを減らす方法はただ一つ。食べ尽くす事に尽きます。『この世界の片隅に』を映画や本で見た後でもあり、どこまで食べきることができるのかとの問いが、この頭の片隅にあるようです。

 今日はいったん切り離した人参のへたを捨てようとしてとどまり、直径4cmのものを、約2cmを残して料理に使いました、というより使っちゃいました。 

 そんなことをまじめに試しながら、一方で余計な買い物をしてしまう私なのですが・・・・。 

 

『この世界の片隅に 下巻』の最終章には数ページにまたがって深い意味を感じる言葉が綴られていました。

貴方の背を撫づる太陽のてのひら

貴方を抱く海苔の宵闇

留まっては飛び去る正義

どこにでも宿る愛

そして

いつでも用意さるゝ貴方の居場所

 

すゞめのおしゃべりを聞きそびれ

たんぽぽの綿毛を浴びそびれ

雲間のつくる日だまりに入りそびれ

隣に眠る人の夢の中すら知りそびれ

家の前の道すらすべては踏みそびれ乍ら

ものすごい速さで

次々に記憶となってゆくきらめく日々を

貴方はどうする事も出来ない

 

少しづゝ少しづゝ小さくなり 

だんだんに動かなくなり

歯は欠け 目はうすく 耳は遠く

なのに其れをしあわせだと微笑まれ乍ら

皆が云ふのだから さうなのかも知れない

 

或いは單にヒト事だからかも知れないな

貴方などこの世界のほんの切れっ端にすぎないのだから

しかもその貴方すら

懐かしい切れ切れの誰かや何かの寄せ集めにすぎないのだから

『この世界の片隅に 下巻』より 

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『この世界の片隅に』その1

2017-02-17 21:21:03 | 

曇りのち雨。最低気温-2.5℃、最高気温7.0℃(江別)。最低気温-6.7℃、最高気温5.8℃(生田原)。

昨晩、『この世界の片隅に上・中・下』を一気に読み終えました。感想を書きたいところですが、手に余るので、覚書として気づいたことなどを書いてみたいと思います。

 主人公の浦野すずは絵が得意で少しぼーっとしているところのある、際立った美人というよりはきれいなイメージの人として描かれています。

 終戦の前の年の2月、すずは生まれ育った広島から呉の北條家の長男・周作の妻となり、主婦として一家の台所を預かることになります。

 戦時下で食糧事情が極端に悪くなる中、食べられる雑草を摘んできて調理法を工夫するなどして、健気に食卓を整えるすず。

 持てる力を尽くして日々の暮らしを全うしているすずの姿からは戦争につきまとう悲壮感がなく、むしろ、楽しんでいる風にもみえました。

 

 でも、すずが時限爆弾で右手を失い、託されて一緒にその場にいた義姉の娘が亡くなってしまったあとに自問する場面ではすずの心の叫びが描かれ、それは戦争という理不尽さに対する憤りを口にしたものと思えました。

 皆が右手をなくしても命が助かったすずに「良かった」という言葉をかけてくれるのですが、どこがどう良かったのかさっぱりわからないというのがすずの本音だったのです。

 表面をとりつくろう世の風潮がどこか嘘っぽく思われ、「歪(いが)んどる」と怒りをあらわにするすずは、物事の本質を見抜く確かな目の持ち主だと想起できました。

 

206月、時限爆弾により晴美さん(義姉の娘)が亡くなり、すずさんは右手を失いつつも意識がもどり、回復へ向かう場面での言葉を本から引用。

「良かった 熱が下がって」、

「ともかく不発弾で良かった」、

「しかし、治りが案外早うて」

「あんたが生きとって 」

「良かった、よかった、と言われるが、どこがどう良かったんかうちにはさっぱり判らん」

歪(いが)んどる

こうの史代氏はあとがきに執筆にいたる思いを率直に記しています。

「死が最悪の不幸」かどうか「死んだことがないので」分からないということにもハッとさせられましたし、「戦災もの」を死の数で悲劇の重さを量らねばならないものという捉え方も新鮮でした。

 こうの氏はそれを理解できていないと感じたところから、戦時の生活が「だらだら続く様子」を描き、そこに確かにあったと思われる「誰か」の「生」の悲しみやきらめきを見つけてとことん表現しようと試みられたようです。

 自分につながる人々が呉で何を願い、失い、敗戦を迎えたのかの、これは一つの解釈であるとも書かれていました。

あとがき

 わたしは死んだ事がないので、死が最悪の不幸であるのかどうかわかりません。他者になったこともないから、すべての命の尊さだの素晴らしさだのも、厳密にはわからないままかも知れません。

 そのせいか、時に「誰もかれも」の「死」の数で悲劇の重さを量らねばならぬ「戦災もの」を、どうもうまく理解出来ていない気がします。

 そこで、この作品では、戦時の生活がだらだら続く様子を描くことにしました。そしてまず、そこにだっていくつも転がっていた筈の「誰か」の「生」の悲しみやきらめきを知ろうとしました。

 呉市は今も昔も、勇ましさとたおやかさを併せ持つ不思議な都市です。わたしにとっては母の故郷です。わたしにつながる人々が呉で何を願い、失い、敗戦を迎え、その二三年後にわたしと出会ったのかは、その幾人かが亡くなってしまった今となっては確かめようもありません。だから、この作品は解釈の一つにすぎません。ただ出会えたかれらの朗らかで穏やかな「生」の「記憶」を拠り所に、描き続けました。

 正直、描き終えられるとは思いませんでした。

 いくつもの導いてくれる魂に出会えた事。平成一八年から二二年の「漫画アクション」に、昭和一八年から二二年のちいさな物語の居場所があった事。のうのうと利き手で漫画を描ける平和。そして今、ここまで見届けてくれる貴方が居るという事。

 すべては奇蹟であると思います。

 有難うございました。

二〇〇九年二月 花粉の朝に

 

こうの史代氏について『この世界の片隅に 下』より引用  

1968年9月、広島市生まれ。

1995年、『街角花だより』でデビュー。

主な著作は『夕凪の街 桜の国』、『長い道』、『ぴっぴら帳(全2巻)』、『こっこさん』。

好きな言葉は、「私はいつも真の栄誉をかくし持つ人間を書きたいと思っている」(ジッド)。

 

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『この世界の片隅に』を借りる

2017-02-14 20:51:32 | 

曇り時々晴れ。最低気温-3.4℃、最高気温-0.1℃(江別)。最低気温12.5℃、最高気温-1.9℃(生田原)。

生田原図書館へ本を借りに行ってきました。図書館は駅舎とともに1階に併設され、2階はオホーツク文学館として機能している、お洒落な複合施設の一角にあります。

家人と午後1時半頃から30分ほど滞在したのですが、他に訪れる人もなく、静かな中をじっくり見て回ることができました。

『この世界の片隅に 上・中・下』(こうの史代著)3冊と池井戸潤さんや角田光代さんの本など7冊を借りてきました。全10冊、2週間で読めるかどうか・・・・・・。

『この世界の片隅に』は先週、映画を見たこともあり、原作を読むのが楽しみです。

オホーツク文学館(生田原町)

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『ワルトラワラ・第41号』届く

2017-02-06 19:37:42 | 

曇り。最低気温-7.8℃、最高気温-0.6℃。

今日、『ワルトラワラ』第41号が届きました。賢治研究を続けられている方たちによる宮沢賢治研究誌です。

編集長は松田志郎氏。イーハトーブ撮影行も32年目を迎える。賢治を解く鍵としてゴッホとユングを研究中。『宮澤賢治イーハトーヴ図誌』(平凡社)『宮沢賢治の深層世界』『宮沢賢治 存在の解放へ』(以上洋々社)など。第12回宮沢賢治学会宮沢賢治賞受賞、シリトンの会主宰。大阪国際大学名誉教授。

 

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『空が青いから白をえらんだのです』その2

2017-02-02 17:38:17 | 

晴れ時々雪。最低気温-9.3℃、最高気温-7.1℃。

先日、書ききれなかったことです。このような詩も収録されていました。

「ゆめ」

ぼくのゆめは・・・・・

 

こんな作品、見たことがありません。

「詩」の概念に、揺さぶりをかけられたような気がしました。

「ゆめは・・・」といったまま絶句してしまった彼の心。

表現していないことで、こちらにより強く問いかけてきます。

 

作者のFくんは重い罪を犯して、長い懲役で服役中。

この詩を書いて、教室で朗読をすると、

どうしても書けなかった「・・・・」の部分を、自ら語りだしました。

「ぼく、競艇の選手になりたいんです。

小さいころ、よくおとうさんに連れて行ってもらって、好きになりました。

試験も受けたんですが、落ちてしまいました。出所したら、また受けたいんです。」

世間の風は冷たく、差別もあり、悪い仲間もいます。

どんな未来が、Fくんを待ち受けているのでしょう。

あたたかく受けいれる社会であってほしいと、心から願います。

 

編者の寮美千子氏が奈良少年刑務所の「刑務所の教室」で「社会性涵養プログラム」の一角を担うようになったいきさつは3点あったようです。

1つには、築百年になるレンガ造りの壮麗な建物に惹かれたこと。

2つめには、そこに展示されていた、受刑者の詩や絵に惹かれたこと。哀しみを湛えた端正な句や煉瓦の一つ一つを描いた几帳面な絵に凶悪犯のイメージと異なる生真面目さと繊細さを見て、社会で暮らすのは大変だろうと心配になったから。

3つめには、その場に居合わせた教育専門官の方の説明が、社会の他の場面ではみたことがないほどに真剣に他者の人生を考え、それが驚くほどやさしく純粋だったこと。

 

 

寮さんはなぜ少年たちが変わったと考えているのでしょうか

第一に刑務所の教官の方々の熱心さを挙げています。

月に三回の「社会性涵養プログラム」の時だけではなく、工場で、日常生活で、彼らをよく観察し、さりげなく声を掛け、励まし、信頼関係を築いていること。

さらに彼らの犯罪歴だけではなく、その成育歴まで把握し、常にその背景を考慮しながら対処している。だから受講生は教室で安心して心を開くことができるのだと。

 

この「社会性涵養プログラム」を担当している、竹下教官は「どんな凶悪な犯罪者も、はじめは心に傷一つない赤ちゃんだったはずです。ところが成育していくなかでさまざまな困難に出会い傷ついてゆく。受刑者の多くが、子どものころ、精神的、身体的な傷を受けています。その傷をうまく処理できなかった者が非行に走り、犯罪者になるのかもしれません。更生させ再犯を防ぐためには、元の自分に戻してやることだと思うのです。子どもらしさを素直に出させ、それでも大丈夫だと安心させてやることができれば、立ち直るきっかけになり、非行や犯罪と無縁の生活を送れるようになるのです。」と、受刑者たちへの深い思いを寄せています。

 

第二に挙げているのが、安心して心を開くことができる「場」が保証されたことです。

芸術の力や詩の力が発揮されるのは、上記のような「場」の果たす役割が大きいと感じているのです。

寮さんはこの教室で合評をするときに、誰一人として否定的なことを言わず、なんとかして、相手のいいところを見つけよう、自分が共感できるところを見つけようとして発言する受講生に驚きをもちます。

大学で授業をしても、批評と称して相手の人格さえ否定するような罵詈雑言を吐く学生がいるのに、なぜだろうと。そして、それは、刑務所の先生方が彼らのお手本になっていたのだと気づいたと綴っています。

普段から彼らのありのままを認め、それを受け入れているというメッセージを発信し続けている先生方。そのメッセージを受け取った者は、同じように仲間のありのままを受け入れようとします。こうして、互いに受け入れ高め合おうという前向きの雰囲気が醸されてくるのだろうと寮さんは考えたのです。

この「場」とは、そこに集う人々が醸し出す雰囲気の集合体のようなものです。通常ではない経験を持つ受講者が心を澄ませる場に、卓越した知性と表現力とプラス何かをまとった講師が存在する空間です。

ここでの「場」は日々の生活のなかで培われた心の在り様が反映されるものなので、教育する側の人間力が問われるのだと思いました。

 

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『空が青いから白をえらんだのです』

2017-01-30 22:05:55 | 

曇りのち晴れ。最低気温-7.7 ℃、最高気温-3.3 ℃。

「空が青いから白をえらんだのです―奈良少年刑務所詩集―」 寮美千子・編 新潮文庫

平成二十三年六月一日発行・平成二十八年八月二十日 三刷 

 

「くも」

空が青いから白をえらんだのです

 

Aくんは、普段はあまりものを言わない子でした。そんなAくんが、この詩を朗読したとたん、堰を切ったように語り出したのです。

「今年でおかあさんの七回忌です。おかあさんは病院で

『つらいことがあったら、空を見て。そこにわたしがいるから』

とぼくにいってくれました。それが、最後の言葉でした。

おとうさんは、体の弱いおかあさんをいつも殴っていた。

ぼく、小さかったから、何もできなくて・・・・」

 

Aくんがそう言うと、教室の仲間たちが手を挙げ、次々に語りだしました。

「この詩を書いたことが、Aくんの親孝行やと思いました」

「Aくんのおかあさんは、まっ白でふわふわなんやと思いました」

「ぼくはおかあさんを知りません。でも、この詩を読んで、

空を見たら、ぼくもおかあさんに会えるような気がしました」

と言った子は、そのままおいおい泣きだしました。

自分の詩が、みんなに届き、心を揺さぶったことを感じたAくん。

いつにない、はればれとした表情をしていました。

 

たった一行に込められた思いの深さ。そこからつながる心の輪。

「詩」によって開かれた心の扉に、目を見開かれる思いがしました。

 

こう寮さんは書いています。

 

奈良少年刑務所には、犯罪傾向の進んでいない入所時の年齢が17歳以上26歳未満の若い世代の受刑者約700名が収容されているそうです。(この文庫本が出版された平成23年頃のデーターかと推察)

その中の「社会性涵養プログラム」5期目までの受講者の詩57編がこの本には収められています。


「社会性涵養プログラム」とは受刑者たちの更生を願い、三つの要素から構成されています。

1・SST(ソーシャル・スキル・トレーニング)

2・絵画

3・童話と詩

で、

それぞれ月1回、1時間半の授業があり、月3回の授業を六か月、合計18回の授業を行うものです。受講生は10人前後。

寮美千子氏はこの3つめの授業を担当したのですね。

 

このプログラムを受ける対象となるのは、刑務所の中でも、みんなと歩調を合わせるのがむずかしく、いじめの対象になりかねない人や、極端に内気で自己表現が苦手だったり、動作がゆっくりだったり、虐待された記憶から心を閉ざしがちな人です。

最初、受講予定者に殺人、強盗、レイプなどの重罪を犯した人もいると聞いて、講師を引き受けるべきか迷った寮さん。

その寮さんの気持ちを動かしたのは教育関係を統括する教官が見せた受刑者たちの更生を願う深い愛情でした。

庭では育児放棄され、まわりにお手本になる大人もなく、学校では落ちこぼれの問題児で先生からもまともに相手をしてもらえず、かといって福祉の網の目にもかからなかった。ですから、情緒が耕されていない、荒地のままです。

寮さんの授業を最初は受け入れなかった受講者の皆さんが徐々に心を開いていく過程は、魔法がかけられたのではとさえ思ってしまいます。

内気で自信がなかったEくん、得意の魚釣りから魚に詳しいと知り、その話題を振ると積極的に説明し始め、工場でも見違えるようにしっかりし、みんなとうまくやっていけるようになったそうです。

足を広げてふんぞり返っていたO君。俳句を褒められたことをきっかけに腰掛ける姿勢まで変わっり、授業に興味を持ち、身を乗り出すようになったとか。

自傷傾向にあったKくんは妄想や空想をノートに書きつけ、心から取り出して客観化できるようになりました。すると心が落ち着き、今では仲間から人生相談を受け、答えてあげる立場になったとのことです。


寮さんは「芸術の力」「詩の力」について思いを馳せています。

目に見えて何かが大きく動くのは、彼ら自身に「詩」を書いてもらい、それを合評する段になってからだ。普段語る機会のないことや、めったに見せない心のうちを言葉にし、文字として綴り、それを声に出して、みんなの前で朗読する。

その一連の過程は、どこか神聖なものだ。仲間が朗読する詩を聞くとき、皆耳を澄まし、心を澄ます。たった数行の言葉は、ある時は百万語を費やすよりも強い言葉として、相手の胸に届いていく。届いたという実感を、彼らは合評の中で感じ取っていく。ー中略ー

出来不出来など関係ない。うまいもへたもない。「詩」のつもりで書いた言葉がそこに存在し、それをみんなで共有する「場」を持つだけで、それは本物の「詩」になり、深い交流が生まれるのだ。

大切なのは、そこだと思う。人の言葉の表面ではなく、その芯にある心に、じっと耳を傾けること。

詩が本当の力を発揮できるのは、実は本のなかではなく、そのような「場」にこそあるのではないかとさえ感じた。

 

寮さんは教官の方々の細やかな対応があったからこそ受講生が心を開き、自分の授業が好ましい結果を生んでいるのだろうと語っています。

もちろん、それはそうかもしれないのですが、やはり、寮さん自身が持つ多様な底力が教室に文学的な雰囲気を醸し出し、受講生が前向きに学ぼうとする力を引き出しているのだろうと思います。

すっかり、引用などで長くなってしまいました。最後までお付き合いくださった皆様、ありがとうございます。

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『宮澤賢治 永訣の朝の授業 トシへの約束』

2017-01-22 15:44:00 | 

曇りのち雪。最低気温-18.0℃、最高気温-6.1℃。

宮澤賢治 『永訣の朝』の授業 トシへの約束」

(石黒秀昭著 幻冬舎 2016年11月18日 第1刷発行)

今日は『 宮澤賢治 永訣の朝の授業 トシへの約束』を読んでいます。著者の石黒秀明氏は静岡県立高校の国語教諭。

テキストについて、グループで話し合い、さらにグループ間などで意見交換をし、時に教師の助言や解説を得ながら読み解いていく授業過程が記されています。

 

本の帯にはこう綴られていました。↓

 

 


                🍁

そして、宮沢賢治の『春と修羅』から今日の日付を持つ作品をのぞいてみると・・・・。

コバルト山地

コバルト山地の氷霧(ひょうむ)の中で

あやしい朝の火が燃えてゐます

毛無森(けなしのもり)のきり跡あたりの見当(けんたう)です

たしかにせいしんてきの白い火が

水より強くどしどしどしどし燃えてゐます 


一九二二・一・二二

 

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『賢治先生』

2017-01-19 21:52:01 | 

 雪のち晴れのち曇り。最低気温-6.9℃、最高気温-2.0℃。

少年たちを乗せた汽車は、ひたすら闇の中を疾(はし)ります・・・・・ケンタウリ祭の晩に汽車に乗ったジョヴァンナとカンパネッラ。大切な人を探す旅の途中で二人と同じ席に乗り合わせた賢治。賢治と少年たちの蒼白い銀河交流の行方は?」

との裏表紙のリード文に誘われて読み始めました。

『銀河鉄道』の舞台にはジョヴァンナとカンパネッラの他に賢治も乗り合わせています。なんとも不思議な世界が広がっていくのですが、それは賢治ワールドから長野まゆみワールドになっていく過程のようです。

(長野まゆみ著 河出書房新社 初版印刷2003年12月10日 初版発行2003年12月10日)   

長野まゆみ

東京都生まれ。女子美術大学卒業。デザイナーを経て、『少年アリス』で第25回文藝賞受賞。独自の作風で熱狂的に支持され続けている。主著に『天体議会』『新世界(全5巻)』『若葉のころ』『三日月少年の秘密』『時の旅人』他多数。

同本からの引用です。    

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「平凡な毎日を自分の手で魔法の時間に変えること」(ターシャ・テューダ―)

2016-12-17 18:12:50 | 

曇り時々晴れ。最低気温-16.6℃、最高気温-2.4℃。

午前、氷点下の中を野幌森林公園へ向かいました。

森の中は、青空も垣間見え、大沢口の車両禁止の立て看板は半分以上が雪の中です。大沢口付近の木々は自由に枝を伸ばしていました。以前は大きな木がもっとあったのですが、嵐がやってくるたびに倒れていき、今はその跡がぽっかり空いたままです。

何事もなかったかのような森ですが、微妙に姿を変えていたのです。

何事もないような平凡な流れの中にも微妙な変化はあるのでしょうが、ゆるやかで平凡な流れに溺れそうになる時もありました。そんなときに反芻していた言葉です。

平凡な毎日を自分の手で魔法の時間に変えること」、今は亡きアメリカの絵本作家、ターシャ・テューダーの言葉です。

 

実際のターシャさんは亡くなる92歳まで、本業の絵本作家と庭づくりと彼女が理想とした19世紀の暮らしを丁寧に続けていたので、平凡な生活とはかけ離れていたように思えるのですが。

「ターシャからの贈り物」というターシャさんがアメリカのバーモントで暮らす映像を見たことがありました。また、彼女の暮らしをまとめた本『ターシャ・テューダーの世界』も手元にあります。

森が静かに息をするように、体のリズムに見合った素朴ながら良質の暮らしを淡々と続けられていた姿に気負いは感じられませんでした。心をこめ、手をかけた暮らしの中から生まれた上記の言葉。魔法の時間に変えるのは自分自身なんですね。

 

 

『ターシャ・テューダーの世界』(ターシャ・テューダー&リチャード・ブラウン 相原真理子訳 文藝春秋 1996年11月25日 第1刷 2001年3月1日第12刷)

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『クリスマスの絵本』

2016-12-09 21:24:54 | 

雪のち曇り。最低気温-3.8℃、最高気温-0.1℃。

朝から細かな雪が静かに降っていました。まるで、砂時計ならぬ雪時計です。雪が積もった分だけ、師走の時が蓄積されていくようです。

午後、北海道立図書館からスベン・オットー作の『クリスマスの絵本』を借りてきました。

スベン・オットー作『クリスマスの絵本』(奥田継夫・木村由利子訳 昭和551210日初版発行・評論社)   

表紙を見て、すぐ手にした一冊です。

子どもから大人まで、お金持ち風の人から貧しい人々まで、服装はもちろん表情も一人一人細やかに描き分けられています。広場はこうした大勢の人々でにぎわっています。

背景の建物とその手前の馬車の御者なども丁寧に描かれ、時代の雰囲気が伝わってくるものでした。

  

作者紹介によると、スベン・オットー氏は1916年生まれ。デンマークで最も精力的に仕事をしているイラストレーター。子どもの本の分野では1978年度、国際アンデルセン賞、画家の部で受賞。

 

オットー氏曰く、古き良き時代のクリスマスを貧しい人々の立場から描いたと。当時は外側から傍観することしかできなかった貧しい庶民の視点を意識して描いたということでしょう。

貧富の差や身分の差が対照的に描かれる場面、一方でそれらをすべて包み込むようにクリスマスの自然や時の流れが描かれる場面が用意されています。

貧富の差のリアルな描写に古き良き時代の光と影が浮き彫りにされています。ページを繰るごとに優しさの質が問われ、心が鎮められていく作品でした。

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『モタさんの”言葉”』

2016-11-21 21:14:24 | 

晴れ時々雪。最低気温-2.2℃、最高気温2.3℃。

 『モタさんの”言葉”』P41

「ほめ言葉をもらえば、それだけで二か月間、幸せに生きられる。」(アメリカの作家 マーク・トゥェーン)

この本の第二話「人をほめられる人が賢者」の中にあった言葉です。

あまり褒められる経験がない私はこの言葉を実感したことがありました。たまに褒められたので、効き目が絶大だったのです。約二か月間、モチベーションが上がりどまりでした。褒めてくれた方は「賢者」だったのですね。

モタさん曰く、「ほめ言葉には、相手のやる気を呼び覚ます不思議な力がこめられているもの」で、失敗した時でさえ、人はできるだけ褒めた方がよいと。

モタさんこと斉藤茂太氏は精神科医であり文筆家。父は歌人で精神科医の斉藤茂吉。弟は作家の北杜夫。DNAを感じる家系ですね。

父からはあまり褒められたことがなかったモタ氏ですが、祖父からはことあるごとに手放しで褒められたそうです。たとえ祖父の褒め言葉がその場限りの思いつきとわかっていても悪い気はしなかったとありました。

子育てに責任がある父親と比べれば、祖父という立場は甘くなるものでしょうが、そういうことをさっぴいても、「ほめ言葉」は活力源となったのですから、めでたし・めでたしです。

この本のイラストを担当されている松本春野氏は、画家で絵本作家のいわさきちひろさんのお孫さんです。こちらの関係にもDNAを感じました。

 

15時40分撮影

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