ふうせんのホームページ

合唱とパソコンを趣味として、つれづれなるままに、書き連ねます。

浄化槽への転落事故

2015-09-08 21:50:08 | ニュース

家庭内での事故や怪我は、結構多いらしい。

 

階段から落ちたとか、つまずいたとか、誤飲とか。

急病や怪我など、は毎日どこかでおきているよう。

 

今日は、こんなニュースがあった。

http://news.goo.ne.jp/topstories/nation/958/919cfb16e8bbd70b282ce69f162dc096.html

 

浄化槽の点検をしていた人が、直径46センチの点検中に頭から転落、救急搬送されたものの溺死したという。

 

30cmあれば溺死するというのを聞いたことはあったが、直径が46センチといえば、はまったら自力で抜け出すのは困難かもしれない。

 

よく、指輪が抜けなくなって・・・というのを聞いたことがあるが、浄化槽に遊びをとは通常考えないことかもしれない。

 

よく狭い所に入り込んで抜けなくなったというのを聞く。

壁に挟まった猫とか、細身の人。

窓から出ようとして挟まった泥棒とか。

 

危険なものはどこにでもある。と言えるかもしれない。

最近は危険予知をまるで気にしない風潮がある。

 

どこに危険があるか、どういう危険が潜んでいるのか、気にしないといけないということへの警鐘なのか。

 


大阪市立少年保養所

2015-09-08 15:29:17 | 日記

大阪市立少年保養所

かつて、大阪府貝塚市に大阪市立少年保養所という名称の建物があった。

そして少年保養所のすぐ近くに、大阪市立貝塚養護学校

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82%E7%AB%8B%E8%B2%9D%E5%A1%9A%E9%A4%8A%E8%AD%B7%E5%AD%A6%E6%A0%A1

があった。

 

少年保養所というのは、結核にかかった小学生、中学生のための保養所で、親元から離れてここで療養しながら病気が軽い子どもは近くの養護学校に通うという生活を送っていた。

保養所には、医師、看護師、寮母、ボイラー係り、薬剤師、調理師などが通いや宿直勤務を行っていた。

初めは結核療養だけの施設だったらしい。

結核児童の減少、ぜんそく児童の増加という背景からか、小児結核療養の施設だったけれど、小児喘息の子どもが半数近くを占めるようになった。

1992年には小児結核、小児喘息の治療法がかわって入所者が減り閉鎖になったそう。

養護学校は閉校されたが、やがて、生まれ変わったらしい。

http://osakawalker.com/Pages/sannojo.html

 

所縁があった、思いでのある少年保養所。

(1974年頃から3年ほど勤務)

 

ここを懐かしむ者、廃墟としての脚光になっているらしいことを最近知った。

 

あの頃の小学生、中学生たち。

今頃は、孫のいる人もいることだろう。

亡くなったという話もあったようだ。

 

自身にいとっては、思い出も、段々遠のいていっている。

 

遠い、記憶の一つです。

 


プロ野球

2015-09-08 08:42:08 | 日記

プロ野球の選手になった知り合いがいた。

はじめプロになった頃、ファンの一人にその選手の話をしたら、「そんな名前の者はしらない」と言われた。

結構、注目(?)されていたと思っていたが、そうでもなかったらしい。

その後その選手は、頭角を現して打者として、プロ野球のファンに知られていった。

 

その後、トレードで別のチームに入り、その後引退。

 

そして、次には監督として、活躍した。

 

もう一人は、戦力外になり、引退。

 

以前、「あぶさん」という漫画に魅せられて、せっせと見たことがあった。

その時に、プロ野球界の事をカイマみた。

 

プロは、プロ。

プロの道は、結果を出すのが当たり前。

結果が出せない者は、戦力外になり、引退に追い込まれる。

スポーツの世界の厳しさの一端を知って、道を究めることの試練をちょっぴり知り、プロ人への敬意さえ抱いた。

 

スポーツ以外でも、プロの道は厳しい。

その厳しさの一端をちょっとかじれるアマチュアは、ある意味、面白さと厳しさを感じられる得な存在カモしれない。

 

プロ野球「戦力外通告」

美山和也

加藤慶

田口元義

洋泉社新書


戯言です。悪しからず。

2015-09-08 00:17:02 | 日記

作り話とわかっていても、気になる。

ウソなんだと分かっていても、涙が出てくる。

そんなドラマがる。

そして、作り物がばればれのドラマもある。

バレバレなのに、惹きつけられて、最後まで見てしまうドラマ。

ばかばかしくて見るのが嫌になってしまうドラマもある。

 

この差ってなんなのだろうか。

 

csやらbsやらが身近な物になって、夢中になってテレビにかじりついた時があった。

ドラマに魅せられて、仕事にとらわれる時間が惜しい気がした。

 

最近は、ドラマの中の遺体が結構作り物とわかるようにはなった。

でも、時折判別のつかない時も。

以前電車や自動車のシーンがあると、画面上でちらちらしている所を見つけて、ああ合成だとがっかりした。

合成でも合成解らないような画面を望んでいた時期があった。

 

合成技術も進化し、ちょっと見には合成とわからない画像が多くなった。

 

それが一時期、人形だなとすぐわかるようなちょっと稚拙なものが増え、ちょっとがっかりもした。

 

不思議なもので、真実とは違うと頭では分かっていても、囚われてしまう画像。

一見、本物らしく見える物の、容易に作り物と判断できるもの。

 

その境目が両極端になっているという気がするようになった。

 

本物としか見えない。

あるいは、作り物とはわかっているけれど、・・・・

のどちらかが良い。

 

視聴者は、わがまま。

でもそれにこたえようとするスペシャリストがいてくれて、満足させてくれると、勝手に期待する。

 

それが、発展につながるのではないかと勝手に思う。

向上心、進歩が上をめざし、それを支える。

 

悲劇になることもあるそう。

でも、やっぱり進歩したい。

 

それは、人にだけにあるのではないか。

 

進歩は欲求の一つ。

欲求を満たす。

あるいは、次につながるから嬉しくて、楽しみなことになる。

人にある特権だろうと思う。

特権だから、そのことを楽しみたい。