ふうせんのホームページ

合唱とパソコンを趣味として、つれづれなるままに、書き連ねます。

無戸籍、即時抗告

2015-09-25 19:52:57 | ニュース

33年無戸籍「過酷さ理解してほしい」 女性が会見

http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2598396.html

 

女性を支援する弁護士は、

「届出できなかったやむを得ない理由があり、過料を科すことは無戸籍問題の解決を遅らせる」

として、横浜地方裁判所に即時抗告したそう。(25日18:14)

裁判は、弱者、正しい者の味方でなければいけない。

 

判例は、正しい者が、良き生活ができることを願う物。

もし、良き人が、裁かれるようなことが生じたなら、判例を正さなければならない。

 

最近、見た海外ドラマに、生きた裁判の話があった。---------------------------------------------

元衛生兵が、怪我を受けた海兵の手当てをし、救急車を呼び、病院まで付き添ったという筋だった。

海兵の元衛生兵は、衛生兵の任が解かれると、医療行為ができなくなることで、医療行為をした元衛生兵は、罪に問われて、拘留される。

手当をしてもらった海兵、手当も虚しく、亡くなった海兵の遺族たちが、元衛生兵を救おうと、立ち上がった。

元衛生兵は、許された。

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裁判は、判例に基づいて判決を下す。

条文に照らして過料を行う。

悪い者には、罰を与える。

正しい行いには、それなりの、判断がなされるものだろう。

 

もし、どうしても矛盾になるのであれば法律を変えて行く必要がある。

よく、何10年も昔から変わっていない現代に合わない条文もいくつもあるはず。

 

そういうのは、少しづつでも現実にあったように変えていって欲しいと思う。

 


18歳の成人

2015-09-25 18:37:55 | ニュース

「『18歳成人』の飲酒・喫煙には反対」が過半数…アンケ結果から

2015年09月24日 11時22分

http://www.yomiuri.co.jp/matome/20150924-OYT8T50027.html?from=ytop_os_abv_p

 

1600件以上の投票結果――――――

「認めるべきではない=反対」が71%

「認めるべき=賛成」の29%(9月24日現在)。

 

<抜粋>

反対派

「選挙権と喫煙、飲酒を同列で扱う必要はない。そもそも次元が違う。健康上の問題である。精神的成熟度と身体への影響度は別である。飲酒はともかく一利もない害だらけの喫煙をわざわざ早める必要などない!」

賛成派

「投票能力ありと判断されるなら、飲酒についてもコントロール能力ありと判断されるべき」

 

絶対反対の自分としては、20歳の成人にも異議ありです。

今は20歳どころか、30代や40代になっても大人になりきれない人が増えている気がします。

いっそもう少し引き上げてみてもとは思います。

しかしながら、そんなことをしても解決策にはならないでしょうから。20歳で、妥協するしかないように

思います。

 

人類は、初めの頃は20歳までも生きられなかったとか。

それが文明の発達や医療の発達などで、どんどん平均寿命が延びてきました。

 

医学的には肉体は80歳あたりが限度と聞いたことがあります。

80年の寿命なら成人は単純に言えば40歳くらいになるのでしょうか。

 

20歳を成人とした歴史は人生60年くらいだったかと。

そこから見れば、80歳の成人は26歳。

ということですか。

 

単純に決められるようには思えません。

 

 

 


パーソナルテリトリー

2015-09-25 09:19:54 | ニュース

 メッカで巡礼者が将棋倒し、700人超が死亡

http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2597542.html

 

画像をみると、沢山の人々が集っていることがわかる。

人の周囲は通常、自分の周囲に、テリトリーを感じているそう。

パーソナルテリトリーというそうです。

それが脅かされると、ストレスになり、不快になったり警戒心がわくそう。

 

密集したところにいると、ストレスが起こって、ちょっとしたことから、沢山の人がいることから

大惨事につながるということのよう。

メッカ近郊で、1990年におよそ1400人が圧死するという事件もあったそう。

 

ライブだとか、花火とか、沢山の人が集まった会場での悲劇は、日本でも時折起きている。

 

集まっても、ストレスが、極端にならないような手段が必要かもしれない。

それが、なされなければ、いつでも起こりうる。