GABACHOP〜あがんにゃな日々〜

趣味について、日記がてら。

宮古島の夜

2007年12月12日 | 沖縄旅行

宮古島は夜景や夕日を見るには絶好のスポット。高い建物や山がなく、まぶしいネオンや外灯も中心部だけ。空気を汚す排ガスなんかもほとんど皆無です。さらに、三角形の島形をしているので、それぞれの頂点で、ほぼ360度が水平線な超絶景が楽しめます。

難点として、季節によっては曇天の多い時期があるので、運が悪ければ旅行中一度も夜景&夕日が見れず、なんてことも。が、天候にめぐまれさえすれば、知人(女性)をして「これを見て堕ちない女性はいない」と言わしめた感動もんの絶景に出会えます。

まずは夕日を見るべく、宮古島の南西にある栗間大橋を渡り栗間島に移動し、島の観光スポット、竜宮展望台へとレンタカーを走らせます。展望台(3階建)から見る夕日はやはり抜群!



ただ、若干海まで距離があるため、木々が邪魔で水平線に沈む夕日は見づらく、もう一度車に乗って海辺まで移動。青く白む砂浜には、先客の一人旅独身男性(推定)と、地元の女子中学生(推定)3人。とはいえ、浜は広いので実質貸切状態みたいなもんです。



腰掛けるのに丁度いいブロック型のサンゴに腰掛け、ただひたすらボーッとして眺める日没は、なんとも言えないものがありました。



次いで夜景を見るべく、島の東南端の東平安崎に向かいました。あたりには想像した通りの一面の星空が!感動!・・・どころじゃなかったです。



明かりがないにも程がある、「漆黒」の二文字がふさわしい夜の闇。「静寂」と呼ぶに値する、風と波の音以外全く聞こえない無音状態。あたりには観光客はもちろん地元民の姿もなく、なにか宇宙空間にほっぽり出されたような孤独感。

灯台の明かりがあるのだけど、元来船に自分の居場所を伝えるのが目的なだけの照明のため、逆に物悲しさと寂しさが増幅。

さらには田舎の空気がそうさせるのか、人間が忘れていた「何か」の気配がそこかしこに感じられて、感動と悪寒が同時に走り、それでも我慢して30分くらい粘ったのだけど、結局逃げるように帰宿。



や、1人で見るもんじゃないね、宮古島の夜景は・・・(場所にもよるけど)。霧でもないのに、見えるのは車のライトが届く数メートル先まで。こちらを覆い取り囲むように並んだサトウキビの迷路みたいな道をヒヤヒヤしながら帰りましたとも。



ともあれ。

その広大な水平線に広がる一面の夕焼けは、周囲のカップルに苦虫噛み潰しまくりの三十路独身男子一人旅のみじめさなんか、屁のつっぱりにもならない程のカッチョよさにまみれていました。

でも星空に関しては、1人より2人が良いなー、とちょっとだけ思いましたよ。

次こそは。








ピザ

2007年12月10日 | 日記・コラム

 久々にピザ焼きました。




 以前に作った時と同じ、無印良品のピザ生地用の粉を使いました。

 粉と水とオリーブ油をこねこねしてのばし、フライパンで焼くだけなのです。簡単簡単。

 独身三十路男の料理らしく、トッピングはやたらムダ豪華です。

 バジル、オリーブの瓶詰め、高級国産ベーコン、パルメジャーノレッジャーノ&モッツァレラチーズを使用。

 説明書の指示よりもあえて薄くして、カリカリに仕上げましたよ。

 お酒は飲めないので、ルートビアでひとり乾杯。

 ヤバうまし。

 この冬、プチ肉体改造に成功したのはいいのだけど、代謝が良くなりすぎて、ほっといても痩せていくピンチです。高カロリープリーズ。



旧海軍司令部壕

2007年12月07日 | 沖縄旅行

 沖縄旅行の際には、必ずひとつ沖縄戦関連の史跡をまわることにしています。

 今回は豊見城市にある旧海軍司令部壕に行ってきました。

 ここは、第二次世界大戦での沖縄戦の際に、日本海軍の司令部があった所です。県民の4人に1人が亡くなった沖縄戦。当時の過酷さの爪あとが今でも生々しく残っています。



 階段を降りていくと、内部は迷路みたいに入り組んでいました。通路自体はせまいのですが、距離が長いため、かなりの広さに感じられます。ただ、この壕内でなくなった死者は4000人とも言われていて、それだけの人数がこもっていた事を想像すると、かなり息苦しいものを感じます。実際、待機スペースでは、その狭さのため全員が立ったまま睡眠をとっていたそうです。



 不謹慎を承知で、迷路みたいな内部は、少年心を思い出しワクワク気分になれます。しかしそんな気分も、至る所に残る当時の面影の生々しさに、すぐに散々に打ち砕かれました。





 手榴弾自決の破片のあとや、多くの兵士が息を引き取ったであろう救護スペース、司令官らが自決した司令部跡などなど。

 中でも印象に残ったのが、地上との出入り口。ここから外に向かって、追い詰められた日本兵が最後の突撃をしたそうです。その場面を想像し、自分に重ねあわせると、胸の中がなんだかモヤモヤします。



 日ごろ、沖縄のおもしろおかしい部分を(リスペクトをこめつつ)ネタにさせてもらっている手前、こういう側面もしっかり勉強するのが礼儀だと思うし、こういう悲惨で過酷な爪あとを見たときに得られるモヤモヤした感情は、定期的に補充しないとすぐになくなってしまいます。道義的なことや思想的なことはよくわからないけれど、そのモヤモヤは結構大切なものなのだと思うのですよ。

 戦争の怖さを十分わかった気になっていても結局は他人事にしか感じられていない事への気づきと、今自分が生きている世界観のはかなさが、細胞レベルで体感できる、そんなスポットです。