1月26日(土曜日)
スキマノザラシ
中津川BREATH
競演はM・A・DとWAZGOO。そう言えば。ここBREATHに俺が初めて来たのは、2年前のTHE NO ENDのライブの時。その時も、対バンはこの2バンドだったな。記憶に残ってるという事は、しっかり好みなわけで、案の定楽しくてあっという間のひと時。スキマノザラシとの絡み、またきっと見たい。
そのスキマノザラシ。
こないだの音まかすや、その前の磔磔でのライブと比べても、似たようなセトリに、いつもと同じ、分厚い激しさ。何も変わらない。いつもの調子。
…のはずなのに、放たれるメッセージは、受け取ってみると各所で全く異なる不思議。音楽は時に言葉よりも雄弁に語れる物なのだなと。(そう感じれるバンドにはそうそう出会えないけれど)
で、今回の彼らの音は何を語っていたのかというと…。まだ反芻中に付き詳細は控えるけれど、中津川という場所に全力で向き合って寄り添っていたように、偏屈で妄想癖のある1ファンは受け取ったし、恐らく正解だと思うのです。
その事もあってか、昨夜のFirebirdは、特に『ギターギター』のイントロが、びっくりするくらい「あの音」だった。
あの時と今、こちらのアウトプットは同じ思いを乗せているけど、インプットに関しては違う物だと切り替えているから、むしろ完コピは望んでいないのだけど、それでもね、嬉しいし、自分の体のそこかしこに刻まれている事が再確認できて、誇らしく、幸せな気持ちになれる。
もう一つ感じたのは、中津川という、お世辞にも都会とは言えない、牧歌的にも見える土地に、なぜか違和感なく馴染むロックンロールの親和性。時折、特定の曲が、びっくりするくらい胸に迫って聴こえる事がある。
例えば、前述のTHE NO ENDの『野蛮な空』などは、思い入れとは違う次元で、格別の聴こえ方に驚いた記憶。
そして地元オーディエンスの、ほとばしる「音楽を楽しむぞ!」感。
そんな土地だから、世界に誇るギターメーカーがあったり、四条大宮が誇るロックンローラーが生まれたのか、それともその逆か。卵が先か鶏が先かはわからないのだけど。
…多分それもこれも、偏ったファンの妄想による産物だろけどさあ。
そんな、取り止めと、まとまりが欠如したダラダラ長文。内容はともかく、にじみ出る幸せ感を汲み取っていただけると幸いです。
スキマノザラシ
中津川BREATH
競演はM・A・DとWAZGOO。そう言えば。ここBREATHに俺が初めて来たのは、2年前のTHE NO ENDのライブの時。その時も、対バンはこの2バンドだったな。記憶に残ってるという事は、しっかり好みなわけで、案の定楽しくてあっという間のひと時。スキマノザラシとの絡み、またきっと見たい。
そのスキマノザラシ。
こないだの音まかすや、その前の磔磔でのライブと比べても、似たようなセトリに、いつもと同じ、分厚い激しさ。何も変わらない。いつもの調子。
…のはずなのに、放たれるメッセージは、受け取ってみると各所で全く異なる不思議。音楽は時に言葉よりも雄弁に語れる物なのだなと。(そう感じれるバンドにはそうそう出会えないけれど)
で、今回の彼らの音は何を語っていたのかというと…。まだ反芻中に付き詳細は控えるけれど、中津川という場所に全力で向き合って寄り添っていたように、偏屈で妄想癖のある1ファンは受け取ったし、恐らく正解だと思うのです。
その事もあってか、昨夜のFirebirdは、特に『ギターギター』のイントロが、びっくりするくらい「あの音」だった。
あの時と今、こちらのアウトプットは同じ思いを乗せているけど、インプットに関しては違う物だと切り替えているから、むしろ完コピは望んでいないのだけど、それでもね、嬉しいし、自分の体のそこかしこに刻まれている事が再確認できて、誇らしく、幸せな気持ちになれる。
もう一つ感じたのは、中津川という、お世辞にも都会とは言えない、牧歌的にも見える土地に、なぜか違和感なく馴染むロックンロールの親和性。時折、特定の曲が、びっくりするくらい胸に迫って聴こえる事がある。
例えば、前述のTHE NO ENDの『野蛮な空』などは、思い入れとは違う次元で、格別の聴こえ方に驚いた記憶。
そして地元オーディエンスの、ほとばしる「音楽を楽しむぞ!」感。
そんな土地だから、世界に誇るギターメーカーがあったり、四条大宮が誇るロックンローラーが生まれたのか、それともその逆か。卵が先か鶏が先かはわからないのだけど。
…多分それもこれも、偏ったファンの妄想による産物だろけどさあ。
そんな、取り止めと、まとまりが欠如したダラダラ長文。内容はともかく、にじみ出る幸せ感を汲み取っていただけると幸いです。