数年前、MONGOL800やORANGE RANGEのブレイクでスタートしたR-POPブームも、ここのところすっかりなりを潜めた感があります。
その理由として考えられるのが、“見る側”と“やる側”の逆転現象が、ひとつの要因なんじゃないかと考えています。
モンパチやかりゆし58、HY、D51など、R-POPブームの牽引となったのは「等身大」を標榜するバンドが中心でした。その飾らないメッセージは、沖縄のみならず、日本全国の若者のハートを鷲掴みにしました。
そして最盛期、その熱にあてられた若者たちは、こぞって楽器を手に取り、憧れのバンドたちを模倣し、目指すこととなります。
ジミヘンやストーンズのような「神格化」されたブームでなく、「等身大」ブームだったため、その数も自然と多くなりました。
その結果、少々大袈裟ではありますが、“見る側”と“やる側”、つまり受容と供給のバランスが崩れたのではないでしょうか。
それは、バンドの増加に伴うシーンのレベル向上と、オーディエンス減少によるパイの縮小化を起こし、つまりはジャンルがマニアックで深い世界になる事を意味します。
沖縄一人旅をすると、必ず寄るのが国際通りOPAのタワレコです。気になるご当地バンドのCDを手当たり次第つまみ買いするためですが、年々カッコいいバンドが増えていて、選ぶのに一苦労しています。
ただ、レベルの高いところながらも、横一線で、頭ひとつ抜きん出た存在が見当たらないようにも(個人的に)感じます。
“見る側”が憧憬を理由に一念発起した分、自分達が体感した感動への拘りが強く、したがって、良くも悪くも、目指すものへは一直線に深化し、その反面視野の狭さは否めなくなり、一般層に訴える個性は希薄になるんじゃないかと。
冒頭から、R-POPを引き合いに出してますが、辺りを見回してみると、隆盛を誇ったジャンルの行く末は、どれも似たような物だと感じています。
ロックしかり、プロレスしかり、漫画しかり、ゲームしかり。
隆盛→憧れを持った世代が成長して主導権を握る→拘りからマニアック化して、深化するが狭くなる。
しかし、どのジャンルも縮小を繰り返しつつも、けして無くなることはなく、アンダーグラウンドで独特の成長を繰り返し、結果熱面積は維持どころか拡大、蓄積し、再び本流に復活した時に再爆発のする例も少なくありません。
時間はかかるかもしれませんが、自分の信じたジャンルが衰退したとしても、恥ずかしがらずに胸を張って、高らかに愛を叫ぶことは、けして無駄にはならないのだと信じたいものです。
その理由として考えられるのが、“見る側”と“やる側”の逆転現象が、ひとつの要因なんじゃないかと考えています。
モンパチやかりゆし58、HY、D51など、R-POPブームの牽引となったのは「等身大」を標榜するバンドが中心でした。その飾らないメッセージは、沖縄のみならず、日本全国の若者のハートを鷲掴みにしました。
そして最盛期、その熱にあてられた若者たちは、こぞって楽器を手に取り、憧れのバンドたちを模倣し、目指すこととなります。
ジミヘンやストーンズのような「神格化」されたブームでなく、「等身大」ブームだったため、その数も自然と多くなりました。
その結果、少々大袈裟ではありますが、“見る側”と“やる側”、つまり受容と供給のバランスが崩れたのではないでしょうか。
それは、バンドの増加に伴うシーンのレベル向上と、オーディエンス減少によるパイの縮小化を起こし、つまりはジャンルがマニアックで深い世界になる事を意味します。
沖縄一人旅をすると、必ず寄るのが国際通りOPAのタワレコです。気になるご当地バンドのCDを手当たり次第つまみ買いするためですが、年々カッコいいバンドが増えていて、選ぶのに一苦労しています。
ただ、レベルの高いところながらも、横一線で、頭ひとつ抜きん出た存在が見当たらないようにも(個人的に)感じます。
“見る側”が憧憬を理由に一念発起した分、自分達が体感した感動への拘りが強く、したがって、良くも悪くも、目指すものへは一直線に深化し、その反面視野の狭さは否めなくなり、一般層に訴える個性は希薄になるんじゃないかと。
冒頭から、R-POPを引き合いに出してますが、辺りを見回してみると、隆盛を誇ったジャンルの行く末は、どれも似たような物だと感じています。
ロックしかり、プロレスしかり、漫画しかり、ゲームしかり。
隆盛→憧れを持った世代が成長して主導権を握る→拘りからマニアック化して、深化するが狭くなる。
しかし、どのジャンルも縮小を繰り返しつつも、けして無くなることはなく、アンダーグラウンドで独特の成長を繰り返し、結果熱面積は維持どころか拡大、蓄積し、再び本流に復活した時に再爆発のする例も少なくありません。
時間はかかるかもしれませんが、自分の信じたジャンルが衰退したとしても、恥ずかしがらずに胸を張って、高らかに愛を叫ぶことは、けして無駄にはならないのだと信じたいものです。