遅いことは猫でもやる

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南米旅行ーカルジャフのワイナリー

2017-08-17 10:06:01 | 行ってきました

ワイナリーに続く並木道

シーズンオフのぶどう畑

ワインメーカー・ピアッテリー

中庭

フロント・売店

ワイン醸造室

案内人と遼馬

カルジャフは小さな町だ。あとで少し触れるが日本の田舎によくある、落ち着いた地方都市である。本日の観光の目的地ピアッテリーというワイナリーは丘の上に立つ、新しい、近代的な建物だ。でてきた案内人も若く、ちょっと上から目線の青年だった。ここでは手作業で枝の剪定を行い、3Fで醸造を行う。それがワインの醸造には適していると自慢していたが、、何故そうなのかよくわからない。

見学コースは屋上のぶどうの受け入れ口から始まったが、設備は近代的なステンレス製のものが多かった。さすがに貯蔵は木製の樽だったがそこまでの設備はいずれもステンレスでできていた。アルゼンチン・ワインと言えばここの近くのメンドーサが有名だが、ここの創業者=米建築家は白ワインの原料となるぶどう品種はメンドーサよりここカワジャテのほうが適しているとして、09~12年こちらで栽培開始、13年ワイナリー開設の若い醸造所だ。

有料試飲室では、白2種、ロゼ、赤新・旧2種の計5種を試飲したが、どれも美味しく、ただただ「美味しい」「イケる」と唸っているだけだった。


試飲室で

エンパナーダ

白ワイン

メインの肉

デザートのアイスクリーム

さらばピアッテリー

昼食は付属のレストランで。期待に違わず美味しかった。ワインに花豆とパンがまず出てきて、続いて牛肉のエンパナーダとベーグルサンド、タロイモのハッシュドポテトと豚肉の塊の煮込み、勿論赤ワインも出てくる。
やはり量は半端ない。どの料理も半分ほどで満足し、売店に立ち寄りお土産ワインを購入し、満足してレストランを後にする。

ワイナリーの付属レストランは今まで経験したところは、どこも美味しい。ワインは料理によって変化させているのだろうか。料理自体が美味なのは勿論だが、出て来るワインもまた美味しい。


カルジャフの街角

大聖堂
満足してワイナリーを後にし、もう一度街に戻った。1860年にできた街。カレチャフという先住民が住んでいたという。1895年カテドラル創建。大聖堂前のクリスマスツリー(生木にいまだにデコレーションの名残が残っている)をみて、近くの小さな教会に立ち寄り、一路ホテルへの帰路につく。3時発6時30到着。


近くの可愛い教会

大聖堂前のツリー

カルジャフのの街角

さらばカルジャフ

南米旅行ーカワジャテ渓谷

2017-08-16 08:18:03 | 行ってきました

傾いている地層

休憩地点で

幹でも炭酸同化作用をする樹々

南米旅行も終盤に近づいてきた。本日はサルタから南のカファジャテ渓谷方面の観光だ。朝7:30まだ薄暗い中出発。まだ街は眠っている。車は少ない。

やがて道から見える赤茶けた山や丘は、傾いた地層がくっきりとしている。この辺りは峰の上の方は湿度があるが谷の方は少ない。そこで下のほうの木は幹でも炭酸同化作用をするようになった。珍しく幹まで緑色の木が道脇に生えている。

「悪魔の喉元」と呼ばれる地点に到着。奇妙な褶曲した岩がくぼんでいる。イグアスの滝では悪魔の喉笛と言われる滝があったが、ここらの人々は悪魔に畏敬の念を抱いているのだろうか。

続いては「円形広場」と言われる切り立った崖に囲まれた地点。自然の造形の不思議さの極みだ。切り立った崖に囲まれた地点は昔滝が落ちていた跡のようだ。三方が岩に囲まれ、歌を歌うと声が反響するところから劇場と呼ばれたのだろう。

前の場所でもそうだったが、この観光地点に来る人を目当てに、物を並べて売る人がいる。楽器を奏でCDを売る人もいる。彼は数ヶ月前遼馬君が買ったのを覚えていて何やら話しかけていた。反対側の稜線にある岩がイグアナの形にそっくりだ。


悪魔の喉元


円形劇場

イグアナと呼ばれる岩

音楽を奏でたり、土産物を売る人達

傾いた地層の地帯を抜け、少し峠を登って見晴らしの良い地帯に差し掛かる。白い十字架が土の上に差してあるところが、昔旅をしていた三人のキリスト教徒が一休みしたところだ、という伝説の地点だ。道脇に車を止め、50m程登ると広々とした河原が開ける。左手はゴツゴツとした崖。

天気がよく、雲もかかってないので見通しは良い。yが手水が流れる川端を通り、岩の塊の下を通ったりしてカルジャフの町に入っていった。


三つの十字架の丘からのカワジャテ渓谷

赤茶けた崖

沿道の景色(1)

沿道の景色(2)

街に入ってきたなと感じるのは、建物がある前に畑が柵で、区切られていたり、農機具小屋が点在するようになってきてである。山岳地帯を抜けて平原に入り、やがて耕作地に差し掛かると街に近づいてきたと実感する。


街が近づく

南米旅行ーサルタの街

2017-08-15 09:58:06 | 行ってきました

丘の上からサルタの町並みを見る

ウエメスの銅像

三軍記念碑

サルタに着いたときは曇り空。ガイド兼運転手はフェデリコさん。この町はサルタ州の州都で人口30万くらい。気温は18度前後で快適。昼食後丘の上にある展望台に登る。車道の他、ケーブル、階段、遊歩道があり、市民の憩いの場みたいで、エキササイズのメッカらしく大勢の人がウオーキングやランニングで昇り降りしていた。勤勉とはいい難いアルゼンチンの人達がこんなにも沢山健康づくりに励んでいるとは驚きである。

丘を降りて麓の公園で2/20記念碑(アルゼンチンがスペインと独立を守るため1824年戦ったときの勝利記念碑)のウエメス将軍の銅像、陸・海・空3軍記念公園、サルタ最大の病院、大聖堂、サン・フランシスコ教会、などを一通り見学した。公園にオレンジが鈴なりになっていたが誰も見向きもしない。苦くて食用には適さないそうだ。


公園

公園になっているオレンジ

大聖堂

街角風景

サン・フランシスコ教会

最大の修道院跡病院

街見物を終え、一旦ホテルに入り出直すことにした。旧市街にあるこのホテルは清潔な中規模ホテルで、中々感じが良い。街へ出ることにしたが、下校時とあって学校に迎えに来る父兄が校門前(ひょっとしたら塾前?)に大勢かたまっているところを通り過ぎた。教育熱心はどこも同じだ。

夕暮れの街は火曜日というのに人通りが結構ある。公園、大聖堂はこの街の中心部なのだろうか。サン・フランシスコ教会はライトアップされていてきれいだった。


ホテル・プリメイラ

ホテルのフロント

夕暮れの大聖堂

ライトアップされたサン・フランシスコ教会

街へ出たのは夕食のためであるが、もう一つは現地通貨の両替をするためでもある。街角に立つ両替屋を掴まえてするのだが、非合法らしくコソコソとしかできない。それでも無事両替が終わって、公園の角にあるレストランへ入った。

昼間あれだけ食べたので皆食用はあんまりなく、ワインも進まなかった。美味しそうなレストランだったが全員シェアーした皿を一口ずつ食べたぐらいで席を離れた。まあこんな時もある。明日は早立ちなのでそこそこにして切り上げホテルに戻った。



街角の売店の陳列

角のレストラン

ピザ

パスタ

パン

深層心理も応用

2017-08-13 08:07:04 | 


伊坂幸太郎「SOSの猿」中央公論新社 2009年刊

不思議な小説である。この作品は漫画家・五十嵐大介との共同構想で制作され、競作されたものだという。人気作家だけあり、語り口は興味を引っ張ってゆくのは流石であるが、そのテクニックだけではなく、援用する知識に深みがある。

話は青年期憧れていた友人のお姉さんが自分の息子の引きこもりの相談をするところから始まる。そこから色んな人間が登場し、複合的になってゆく。ところどころ幻覚みたいな回想や登場人物が現れ、キリスト教の悪魔祓い迄登場する。これは何なんかと思うが、フロイトやユングの深層心理学も登場し、人間の行動についての因果関係などの追求が行われる。

小説としてはストーリーの面白さではなく、人間心理と行動の相関関係を俯瞰している点で面白い。ただ個人的には、時折深層心理の表層として現れてくる西遊記の孫悟空みたいなキャラクターはあんまり必要はないのではないかと思うのだが、では代わりに何を登場させればいいのか、と問われると答えに窮す。

あっと驚く謎解きはないが、深層心理と行動の関連に踏み込んだ考察は興味深い。

南米旅行ーサルタの昼食

2017-08-11 01:33:38 | グルメ

ホテルの朝食

空港内ロビー

ブエノスアイレス空港出発

サルタ空港

サルタの街角

6月27日(火)曇り。緯度が高いこの地では8時過ぎてもまだ薄暗い。昨夜泊まったLHホテルは中心街フロリダ通りの空港よりにたつ。本日は国内発着空港へ。1月のイグアスの滝行きの折に見た行列はまったくなく、直ちにチェックインできた。

8時10分ホテル発で9:00にはチェックイン、手荷物検査も済ませていた。サルタも曇、出迎えたガイド兼運転手はフェデリコというおじさん。サルタはアルゼンチン北部の人口50万弱のサルタ州の州都。結構きれいな街である。標高4220mの地点を越える「雲の列車」でも名高い。

とりあえず昼食レストランへ向かう。小綺麗な入口を潜ると瀟洒なレストラン。テーブルの上のグラスが光る。軽く地元ブランドのビールで喉を潤し、ワインへと移る。

パン、サラダ、前菜(エンパナーダ)、フライドポテト、ステーキ、デザートときちんとしたメニューだ。ただ量が多い。パン、フライドポテト、ステーキはとても食べきれない。ステーキは優に500ḡはあった。遼馬もフェデリコも見事に平らげたが、我々は半分食べた私が多い方だった。

しかし、アルゼンチンの肉は美味しい。焼き加減もいいが、適度に油気もあり赤身の味も美味しい。付いてきたワインも美味しくついつい満腹になるくらい食べてしまった。夜はとても食事を摂る気になれないだろう。


昼食レストラン

店内の雰囲気

パンとサルタブランドのビール

ワインとエンパナーダ

ステーキとサラダ

フライドポテト

デザート

南米旅行ー空港内爆走

2017-08-10 00:40:56 | 行ってきました

空港近くのバイクタクシー営業所

夕暮れのサンルイス空港

清潔な空港内

チェックイン・カウンター前で

サンルイスの観光を終え空港へ向かう。空港近くにはバイクタクシーの営業所が立ち、オートバイのタクシーのお客が結構いるようだ。ブラジルはオリンピック以降不景気の真っ只中である。貧民層が殆どの国で安いバイクタクシーは必需交通手段だ。雇用にも貢献しているのではないか。水牛祭りの飾り付けのついた空港車寄せで車を降り、リオデジャネイロ経由でブエノスアイレスに向かう。

リオの乗り継ぎでも手荷物検査、パスポートコントロールも大して時間はかからず、係員が片言の日本語を話すなどサービス精神を感じたが、この空港は広く1時間の乗り継ぎ時間はあっという間に過ぎ、離陸時間が迫ってきた。入国手続が終わったところで、遼馬が「私が先に行って飛行機を止めておくから、皆も付いてきてください」と言って乗り継ぎゲートC-44に向けて走り出した。

我々も走り出すが流石に彼は若い。すぐ姿が見えなくなるが後を追ってとにかく走った。デューティ・フリーの店が立ち並ぶ通路を4人が全力で走り抜け、8分弱ほど息が切れるほど駆けて、ゲートに着いた。搭乗客がいなくなったゲートの、係員2名のほかは遼馬だけが立つ受付カウンターで「ナイスラン」と掛け声を駆けてくれ、最後の乗客となって滑り込んだ。

これだけの距離を走ったのは何時以来だろうか。機中に入ってからでも暫く動悸が収まらなかった。この旅行中のもっとも激しいアクティビティだったような気がする。24:30ブエノスアイレス着。空港は人が多いが道路は閑散。6ヶ月ぶりのブエノスアイレスだ。


搭乗ゲートを過ぎて搭乗口へ(リオ空港)

ブエノスアイレス・ホテル到着

南米旅行ー中世名残の街サンルイス

2017-08-09 00:51:20 | 行ってきました

空港近くのオートバイタクシー営業所

州都丁

旧ポルトガル提督府

マディラ湾?

歴史地区

大聖堂

ベネディクト・レイチェル知事の銅像

サンルイスはマラニョン州の州都で、フランス人が1612年に建設した街である。聖ルイとルイ13世に因んで付けられた名前であるが、1615年ポルトガル人ジェロニモ・デ・アルブケルケが侵略し以降ポルトガルの植民地となった。1641年オランダが進出したが、支配をしただけで文化的なものは残さなかったので、ここは今もポルトガル時代の風情が色濃い。建物の壁がポルトガル時代のタイル張りになっているのが多いのもそのせいだ。

歴史地区(我々が先日泊まったホテル付近)には、市役所、州政府(昔の総督府)、海洋警察、裁判所などが、海岸近くに並び、大聖堂の横の公園には初代州知事レイチェル知事の銅像が立つ。銅像には右手首から先がないのだが、公約で中高教育体制の充実を掲げ、実行しなかったら自分の右手首を切り落とす、とした。実際には公約を実現し手首を切り落とすことはなかったが、銅像にはそのことを強く残すため手首の無い像になったそうだ。

現代の日本にこれほどの覚悟を示す政治家がいるだろうか?


サンルイスの街角

靴磨きも営業中

街を案内する遼馬君

歴史地区を抜け、タイル張りの外壁で飾られた建物のサンルイスの街角を歩き、水牛際(ミニカーニバル)の準備が進んでいる街並みを遼馬君が案内して先導する。街中には小旗の飾りが飾られ、ミニステージが用意されている。ただタイル張りの外壁は所々ヒビが入っていたり、剥げ落ちており、400年の歴史を感じさせる。

街の中心部にはいたるところに5色の小旗がかざられており、教会前の広場や、街角にミニステージが設けられ、街を挙げて水牛祭に力を入れていることがわかる。

石畳の敷き詰められた歴史地区をあるきながら、中央部のマーケットを覗いてみる。薄暗い中でナッツやスパイスの専門店、小エビなどの乾物を扱う店、フルーツ店などもあった。木綿袋に詰められたペスタチオを試食してみたが、なかなか美味しい。確かにこの中世にできた街は、時間の歩みがゆっくりしているように思える。一通り街を散策して、空港に向かったが、空港も小旗で埋まり水牛祭をアピールしていた。


祭りのステージ

水牛祭の小旗で飾られた街角

市場入口

乾物店の店先

市場の通路

空港の車寄せ 

南米旅行ー昼食レストラン

2017-08-08 02:13:21 | 行ってきました

昼食レストラン

清潔そうだが虫は飛んでいた

品数も豊富、ソースも豊富だ

肉はシュラスコ、言っただけ切り分けてくれる

勘定は重量で

レンソイスから再びサンルイスに戻るべくバヘリーニャスのホテルグラン・ソアレを出発。舗装の行き届いていない道をガタゴトと走り、道端のレストランで昼食を摂った。

看板といい、中の置物といい、このレストランが客寄せに熱心なことは分かるが、あんまり趣味の良いとは言えない店である。中は案外清潔そうで、バヘリーニャスと同様バッフェ形式である。サラダ、スープも含め品数は豊富である。肉はブラジル特有のシュラスコで、牛肉、豚肉、鶏肉が串刺しで焼かれたものを、希望量だけ切り分けてくれる。

会計はめいめいが取り分けたものをカウンターにもってゆくと秤で重量を確かめ勘定が出る。肉も野菜も同じ単価だ。日本では考えられない。私は昨日の事(軽い下痢)があったので、ビールも料理も少し控えめにした。


私のプレート

サンルイスの街に戻ってきた

真夏の代表

2017-08-07 11:23:19 | 雑感





本日から始まる高校野球のことではない。真夏の花の代表はなんといっても向日葵(ひまわり)だ。勢力が大きく、足取りの遅い台風が西日本にあるおかげで、このところ空が不安定である。梅雨明け宣言を聞いてからカラッと晴れた日は一日もないように思う。

そうこうするうちに立秋を迎えた。蝉の声が少しやわらかになったぐらいで秋の気配は一向に感じない。けれど真夏のカッと照りつける太陽にマッチするのは何と言っても向日葵である。その花の世界、植物の世界は確実に季節の移ろいを見せる。

近くの自由農園の横にある向日葵畑は観賞用である。此処に入るとまだ盛夏の気分満載である。よく見るとすこし勢いをなくしてきてはいるが、相変わらず元気がいい。向日葵は太陽を追って一日中頭を動かすように思われているがそんなことはない。その動きは花が咲く前のことで、成長してからはほぼ東向きで固定される。花は皆同じ方向を向いているのでそう誤解されたのだろう。まるで安倍一強時代の高級官僚のようだ。

隣町の富士見町の花に選ばれているし、その隣の山梨県北杜市も市の花に向日葵を選んでいる。3歳の頃のかすかな記憶であるが、満州にいた頃ひまわりの種をおやつとして噛っていたようなきがする。

エンターテイメント乱読

2017-08-05 17:00:17 | 


 米澤穂信「リカーシブル」新潮文庫 H25年刊
 矢月秀作「リンクスⅡ」中公文庫 2015年刊
 佐伯泰英「新古着屋総兵衛11『八州探訪』」新潮文庫 H27年刊

暑い日が続きます。たまに刈谷に帰っても外に出歩くことは極力避けエアコンの聞いた室内に逃げ込んでいる毎日です。やはり緑豊かな涼しい蓼科高原が快適です。

そんなわけで散歩もろくすっぽせずに室内にいるので、畏友が貸してくれた本を相手に読書三昧です。手当たり次第に読むのですが、ハードボイルドアクションの矢作秀作のもの、シリーズが続く佐伯泰英の時代小説は、どちらも頭を休めるには絶好の読み物である。

米澤穂信のリカーシブルと言うのは「繰り返される」という意味らしいが、日常の中に潜むミステリーをきめ細かく描き出す技術はピカイチである。何気ない毎日の生活の中に展開する悪意や作為をそれとなく淡々と語る。

大仕掛けな展開や、あっと驚く仕掛けなどはないのだけれど、妙に納得できる謎解きが面白い。3冊がそれぞれ酷暑の中でのエンターテイメントになった。