私が現在住んでいます東京都江戸川区にある「タワーホール船堀」という区の施設で、本日まできりえ展が開かれていました。
江戸川区は、太平洋戦争末期の昭和19年夏から、学童疎開が実施されました。その疎開先が山形県鶴岡市でした。そんなわけで、現在鶴岡市と江戸川区は姉妹都市となっています。
それはともかくといたしまして、学童疎開を体験された方も現在ではだんだん少なくなってきているのではないでしょうか。このきりえ展は、そんな事実の風化するのを少しでも少なくしたい、との作者の考えで作成されています。作者は戦争当時は鶴岡市の住民で、学童疎開を受け入れる立場の方でした。
ご自身の体験、当時の疎開学童との面接などを元に制作されています。当時の悲惨さを、画面で表現するのは難しいと思います。でも、おっしゃりたいことは十分伝わってきます。
展示物を直接撮影はできませんので、ポスターをご覧ください。
江戸川区は、太平洋戦争末期の昭和19年夏から、学童疎開が実施されました。その疎開先が山形県鶴岡市でした。そんなわけで、現在鶴岡市と江戸川区は姉妹都市となっています。
それはともかくといたしまして、学童疎開を体験された方も現在ではだんだん少なくなってきているのではないでしょうか。このきりえ展は、そんな事実の風化するのを少しでも少なくしたい、との作者の考えで作成されています。作者は戦争当時は鶴岡市の住民で、学童疎開を受け入れる立場の方でした。
ご自身の体験、当時の疎開学童との面接などを元に制作されています。当時の悲惨さを、画面で表現するのは難しいと思います。でも、おっしゃりたいことは十分伝わってきます。
展示物を直接撮影はできませんので、ポスターをご覧ください。