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上に掲げた系図を見て欲しい。これがちくま文庫版『悪魔の霊酒』の巻頭に掲載されている「登場人物系譜」である。=は婚姻関係、-は婚外関係を示している。訳者が作成したものなのだろう。
(異邦の画家)フランチェスコ~(捨て子)フランチェスコ~パオロ・フランチェスコ~(フランツ)フランチェスコ~メダルドゥスに至る系譜がこの物語の主軸をなしている。しかもこの五世代にわたる悪の主役たちが、すべてフランチェスコという名を与えられている(ドイツ名でフランツであるから、メダルドゥスもまた同じ名ということになる)ことに注目しなければならない。
この読者をわざと混乱させる手法はホフマンのいたずらとも言えるが、あるいはそこに名前と同様に同じ血が流れていることを強調するための仕掛けであるとも言うことができる。これと同じような仕掛けを施しているのが二〇世紀最高の小説といわれるガルシア・マルケスの『百年の孤独』である。
『悪魔の霊酒』の読者はどのフランチェスコがどのフランチェスコなのか分からなくなるし、『百年の孤独』でもホセ・アルカディオとアウレリャノの名前が何世代にもわたって繰り返されるため、どれがどのアルカディオでどれがどのアウレリャノだか分からなくなる。
マルケスの場合は血縁と地縁の強固な連続性を表現するための手法とみることが出来るし、ホフマンの場合も血縁の強固な連続性を強調するための手法とみることが出来る。しかもその殆どが婚外関係による連続性であって、極めてイレギュラーな連続性である。
それは最初の(異邦の画家)フランチェスコと魔女との婚姻関係の中に胚胎されることになる“因縁”に他ならず、この魔女こそが歴代のフランチェスコたちの背徳の人生を決定づけているのである。
またこの凄まじい相関図を見ていると、登場人物の誰もが正常な婚姻関係を全うしていないことに気づくし、その関係の複雑さも尋常なものではない。“相姦図”とでも呼びたくなるような系譜である。
ホフマンは『マンク』に学んだかも知れないが、『マンク』には『悪魔の霊酒』におけるような複雑な相姦関係はない。最後にアンブロシオとアントニアが兄妹であったことが、悪魔によって明かされるのみで、『マンク』における相関図は極めて単純なものである。
ここに血脈の迷路を見るとすれば、ホフマンは『マンク』における地下納骨堂の迷路を、血脈の迷路へと拡大してみせたのである。だからホフマンはゴシック小説に新しい要素を注ぎ込んだのだと言うことができる。
ゴシック小説において旅が空間的な世界のゴシック化の企てであるとすれば、激しい相姦関係は時間的な世界のゴシック化の企てであると言わなければならない。