では、エドマンド・バークの『崇高と美の観念の起原』を読んでいくことにしよう。この本はバークの今日でも読まれている二著のうちの一つで、もう一つはフランス革命について批判的に論じた『フランス革命の省察』であるという。『崇高と美の観念の起原』はしかも、あのカントの美学にまで影響を与えたと言われる名著であるから、襟元を正して読まなければならない。
序論として「趣味について」という文章が置かれている。この部分は再版にあたって追加されたもので、美学というものの基本に触れている部分なので、おざなりにすることはできない。
人間の趣味については「蓼食う虫も好きずき」と言われて、趣味に正しいも間違っているもないとされることがあるが、そうした考え方からは“美学”は決して生まれない。バークが美学の基礎に置くものは、人間における感覚の共通性と想像力の共通性である。
感覚についてバークは次のように書いてその共通性に根拠を与える。
「我々すべての人間においてはその器官の構造がほとんど或いは全く同一であるが故に、外界の対象を知覚する仕方も万人において全く同一であるかほとんど差異がないと想定せねばならぬし、現にそのように想定している」
バークは味覚、嗅覚、視覚、聴覚、触覚における快と苦の共通性を例証に、美学の基礎をなす感覚の共通性というものを最初に提示する。まことに用意周到と言わなければならない。
次にバークが提示するのは“想像力”の共通性である。バークはそれを「事物の映像をそれが実際に感覚に受け入れられたままの順序と流儀で任意に再現することも、或いはこれらの映像を新しい流儀で異なった順序に従って結合することも可能である」、さらには「想像力の力能は絶対的に新しい要素を生み出すことはできない」と書いていることから、我々が今日イメージする“想像力”とは若干ニュアンスが異なっていることに気づくだろう。
バークの言う“想像力”は我々が考える“想起・再現力”とでもいうもので、それは記憶に関わる能力であって、存在しないものをも想念の中に生じさせるあの“想像力”とは違っている。
序論として「趣味について」という文章が置かれている。この部分は再版にあたって追加されたもので、美学というものの基本に触れている部分なので、おざなりにすることはできない。
人間の趣味については「蓼食う虫も好きずき」と言われて、趣味に正しいも間違っているもないとされることがあるが、そうした考え方からは“美学”は決して生まれない。バークが美学の基礎に置くものは、人間における感覚の共通性と想像力の共通性である。
感覚についてバークは次のように書いてその共通性に根拠を与える。
「我々すべての人間においてはその器官の構造がほとんど或いは全く同一であるが故に、外界の対象を知覚する仕方も万人において全く同一であるかほとんど差異がないと想定せねばならぬし、現にそのように想定している」
バークは味覚、嗅覚、視覚、聴覚、触覚における快と苦の共通性を例証に、美学の基礎をなす感覚の共通性というものを最初に提示する。まことに用意周到と言わなければならない。
次にバークが提示するのは“想像力”の共通性である。バークはそれを「事物の映像をそれが実際に感覚に受け入れられたままの順序と流儀で任意に再現することも、或いはこれらの映像を新しい流儀で異なった順序に従って結合することも可能である」、さらには「想像力の力能は絶対的に新しい要素を生み出すことはできない」と書いていることから、我々が今日イメージする“想像力”とは若干ニュアンスが異なっていることに気づくだろう。
バークの言う“想像力”は我々が考える“想起・再現力”とでもいうもので、それは記憶に関わる能力であって、存在しないものをも想念の中に生じさせるあの“想像力”とは違っている。