④―1
③はもっと後回しにして、先に④について書いておきたい。
『別荘』は1973年9月11日(チリ人にとっての9・11はこの日)、ピノチェト将軍によってアジェンデ左翼政権が倒される、クーデターに触発されて書かれた。ドノソは1964年にチリを出国して以降、メキシコ、アメリカ、スペイン各地を放浪していたが、1971年にはスペインの小村カラセイラに居を定めている。
たまたまポーランドに滞在していた時にクーデター事件を知り、あわててスペインに戻って情報収集に努めたということが伝えられていて、いかにこの事件がドノソに大きな衝撃を与えたかが分かる。クーデターの一週間後、9月18日にこの小説は着手されている。
もともとドノソは政治にはまったく無関心な作家であり、これまで取り上げてきた作品にも、代表作『夜のみだらな鳥』にも、政治的背景など微塵も感じとることはできない。
『別荘』はその意味で特異な作品であるとも言えるが、ドノソにとってそれだけピノチェトによるクーデターが看過できない事件であり、スペインにいながら故国チリの政情を憂慮する気持が大きかったことの表れであろう。
『別荘』にはいくつかの集団が登場する。ベントゥーラ一族の親達がその一つであり、その子供達35人も集団の一つである。最も重要な役割を演ずる原住民達もそうだし、執事とフアン・ペレスに代表される使用人達の軍団もそうである。さらに小説の後半に登場してくる外国人達も一つの集団を形成している。
それぞれの集団がチリの政変において、どの集団に該当するものとして描かれているかを見て取ることは比較的容易である。まず、使用人達の軍団がピノチェト将軍率いる軍部に該当していることは明白であろう。
名前を持たない軍団のボスである執事と、その参謀役のフアン・ペレスのどちらがピノチェト将軍に見立てられているのかは分かりづらい面があるが、執事は権力の暗部を、フアン・ペレスは権力の実務的な部分を代表していると見ることが出来る。
ピノチェト将軍の軍事独裁政権は、反政府勢力に対する拷問や虐殺、暗殺や国外追放を行い、数千人の共産党員が処刑されたと言われている。ピノチェトのクーデターは中南米における共産主義の進出を食い止めようとする、アメリカ合衆国の支援によっていたことは今日明らかなことで、中南米の多くの国がこのような軍事独裁政治を体験する大きな要因となった。
チリ、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、ブラジル、ボリビア、ペルー、エクアドルなどが挙げられるが、チリのピノチェト政権は特に残虐な行為を行ったため、多くの小説や映画に取り上げられている。アジェンデのいとこの娘イサベル・アジェンデが書いた『精霊たちの家』が代表的なものだが、ドノソの『別荘』もその一つと言えるだろう。
しかし、『別荘』は実際にあったことを、実際にあったこととして書かれているわけではない。伝統的なリアリズムを徹底して嫌ったドノソは象徴的な方法に徹し、極めて抽象性の高い物語を造り上げたと言うべきだろう。
たとえば第10章「執事」で、執事が時間の経過について話題にすることを禁じ、昼と夜の違いすら分からなくすることを命ずる場面、
「屋敷にあるすべての時計、カレンダー、タイマー、振り子、水時計、メトロノーム、日時計、砂時計、年俸、予定表、太陽暦、太陰暦を没収しろ! 以降これらの物は扇動用具とみなし、所有者は集落へ追放のうえ厳罰に処すこととせよ!」
と執事はフアン・ペレスに命令するのであり、さらに「鎧戸をすべて閉め、窓ガラスをすべて黒く塗って」昼と夜の経過すら分からなくするよう命じる。
軍事政権による暗黒政治は、時間の経過への否定、つまりは歴史そのものの否定にまで及ぶのであり、ドノソにあっては軍事政権の暴政はそこまで象徴化されなければ済まないのである。