玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

ロベルト・ボラーニョ『2666』(3)

2015年12月28日 | ラテン・アメリカ文学

「批評家たちの部」は、四人の批評家達がアルチンボルディに接近していく過程を描くと同時に、アルチンボルディの謎を一層深めていくために置かれる部分である。
 彼らはアルチンボルディとメキシコで出会ったという人物の情報を求めて、メキシコシティに向かう。情報提供者のエル・セルドという男と出会い、アルチンボルディことハンス・ライターが、メキシコシティのホテルに一泊し、その後サンタテレサへ向かったことを知る。
 なぜ80歳を超えた老アルチンボルディが、これまで一度も訪れたこともないメキシコなんかにやってきたのか、そしてなんのためにサンタテレサに向かったのかということが大きな謎となるが、この謎は第五部「アルチンボルディの部」まで解明されることはない。
 第二部、第三部、四部と、翻訳書で450頁あまりもの間、この最も重要と思われる謎が、放り出されたままにされるのである。読者はその代わりにサンタテレサで起きている連続女性強姦殺人事件の謎の方へと引きずり込まれていく。そこにはしかも、様々な不吉な徴候と、狂気とが附随していく。
 夢の場面が多く描かれる。三人(モリーニは同行していない)がサンタテレサに着いてから、夢はほとんど悪夢と化していくだろう。それはサンタテレサという町そのものと関連している。エル・セルドによって「工場があります。でも厄介な問題もあります。きれいな場所だとは思いませんね」と、アルチンボルディに説明されるサンタテレサの町は、三人に不快で不吉な悪夢を見させることになる。
 ペルチエは浴室に大便が落ちている夢を見る。これはホテルの不潔な環境から来るもので、さほど重要なものではない。エスピノーサは砂漠を描いた絵の夢を見る(サンタテレサは砂漠の中の町)。絵は動いていて声も聞こえる。こんな風に……。
「かろうじて聞こえるその声は、初めは音素だけ、砂漠の上に、そしてホテルの部屋と夢のなかの空間の上に隕石のように放たれた短いうめきだけだった。彼は断片的な言葉をいくつか聞き取ることができた。早さ、緊急、速度、軽快さ」
 彼らの見る夢はもちろん、サンタテレサという町がもたらす彼らの精神に働きかけてくる不吉なイメージに起因するのであろうが、作者の立場からすれば問題は逆である。ボラーニョは三人に恐ろしい夢を見させることで、サンタテレサという町に不吉なイメージを纏わせていくのである。
 リズ・ノートンが見る夢はもっと恐ろしい。彼女は夢の中で、二つの鏡に映った分身の姿を見る。その分身の首の血管は今にも破裂しそうに膨れあがっている。そして……。
「女性は彼女と同じ目をしていた。頬、唇、額、鼻。ノートンは悲しみか恐怖がこみ上げ、泣き出した。あるいは泣いたと思った。わたしと同じだわ、と彼女は思った。でも向こうは死んでいる。女性は微笑みを浮かべ、ほとんど間を置かずに、恐怖に顔を歪めた。ノートンはぎょっとして振り向いたが、後ろには壁があるだけで、誰もいなかった」
 これは連続女性強姦殺人事件の被害者の姿なのだろうか? しかし、まだ三人はその事件のことを知らされていない。ゴシック小説にみられる予兆表現がここにはある。
 ボラーニョは夢だけではなく、現実のエドウィン・ジョーンズの死、あるいは批評家達の死の予感、さらには新たに登場する人物アマルフターノ(アルチンボルディの専門家)の狂気など、あらゆるものを総動員してサンタテレサの町を死の色に染め上げていく。こうしてボラーニョは読者を圧倒的な不安の中に陥れていく。まさにゴシック的な手法である。
 ある時、三人は地元の若者が連続女性殺人事件のことを話すのを聞く。それも「批評家たちの部」も終わり近くになってから。四人の批評家たちはしかし、第一部であっさりと姿を消す。まるで旅人達が去っていくように。アルチンボルディへの接近の役割は、アマルフィターノに引き継がれるだろう。奇妙な形で。