玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

アロイジウス・ベルトラン『夜のガスパール』(2)

2015年04月12日 | ゴシック論
『夜のガスパール』の創作意図は巻頭の「夜のガスパール」という第1の序文で、夜のガスパールと名付けられる男が話す内容に尽くされている。「芸術とは何か?――詩人の学である」とガスパールは自問自答し、芸術の中には《感情》があり、それをこそ希求しつつも、しかし同じく芸術の中にある《思想》もなお、ガスパールの探求心を誘うのである。ガスパールは自然を研究し、人間の事績を研究する。
 ガスパールの芸術をめぐる遍歴はそのままベルトランのものだったと言ってもよい。芸術を求めて探求を深め、さまざまな次元で詩作を進めていったそれぞれの段階が、そのまま『夜のガスパール』の中に刻まれている。
 ディジョンの町そのものも詩人の研究の対象となる。今のディジョンと昔のディジョンとがあるが、「今ではこの町は昔のディジョンの影に過ぎないのです」というように、詩人にとって今のディジョンではなく昔の、14・15世紀のディジョンこそが、研究の対象である。中世の、ゴシック建築の時代のディジョンこそが詩人の興味の対象なのである。
詩人は中世のディジョンを掘り起こす。すると、
「私は死骸に電気をかけました。するとこの死体は起き上ったのです」
「ディジョンが起き上るのです。町が立ち上り、歩き、走り出します」
 つまり我々は『夜のガスパール』の中に、詩人によって電気をかけられ、起き上がって走り出すディジョンという町の姿を見ることになるだろう。さらに詩人はノートルダム寺院(パリのではなくディジョンの)の一角に怪物の像を見いだす。次のように、
「ゴシック建築の一角に、中世の彫刻家がカテドラルの雨水を流すため肩の辺りで取り付けた怪物の姿をした像(注)の一つ、責苦にさいなまれ、舌を出し、歯ぎしりをし、腕をねじりあわせ、恐ろしい地獄に落された者の姿をした、そういう一つの像に私は気がつきました」
 それに気づいた詩人は反省する。
「神と愛とが芸術の第一の条件、芸術の中にある《感情》であるならば、――悪魔こそその第二の条件、芸術の中にある《思想》ではないでしょうか」
と。詩人はだから悪魔をこそ求めなければならないのである。ここには《感情》に支配されるロマン主義からの逸脱、《思想》を求めて悪魔の持つ深淵の世界を探索するという、19世紀末の詩人たちの姿勢が先取りされているのだと言わなければならない。

(注)ベルトランはces figures monstrueusesと言っている。怪物などをかたどった彫刻で雨樋の機能をもつ像を「ガーゴイル」(英語。フランス語でgargouille)という(写真1参照)。フランスの銅版画家シャルル・メリヨンが描いたパリのノートルダム寺院の怪物像が有名だが、これは雨樋の機能を持たないので、gargouilleといわず、grotesqueという(写真2参照)。


〈写真1〉


〈写真2〉シャルル・メリヨンの「ノートル・ダム寺院の吸血鬼」

アロイジウス・ベルトラン『夜のガスパール』(1)

2015年04月11日 | ゴシック論
「夜のガスパール」をインターネットで検索すると、フランス20世紀の作曲家モーリス・ラヴェルのピアノ曲のことばかりが出てくる。ラヴェルの「夜のガスパール」は〈オンディーヌ〉Ondine〈絞首台〉Le gibet〈スカルボ〉Scarboの3曲からなるが、もちろんいずれも、アロイジウス・ベルトランの散文詩集『夜のガスパール』に収載された3編の作品(正確には3編とは言えないが)に着想を得て、作曲されたピアノ曲である。
 ベルトラン(1807-1841)はフランス19世紀の小ロマン派に位置づけられる詩人で、前に取り上げたペトリュス・ボレルとは同時代人である。生前この『夜のガスパール』という世界で初めての散文詩集の執筆と推敲に全力を注ぎ、出版のために奔走したが、果たせなかった。死後出版されたこの詩集も、たったの21部しか売れなかったという。ベルトランは悲運の詩人であった。
『夜のガスパール』は巻頭に「夜のガスパール」という一文を置いていて、その署名はルイ・ベルトラン、アロイジウス・ベルトランの本名である。正確にはジャック・ルイ・ナポレオン・ベルトランというが、父親がナポレオン軍の中尉であったとはいえあまりにも凄すぎる名前だ。父は彼を詩人になど育てるつもりはなかったに違いない。
「夜のガスパール」によればこの詩集は、ベルトランがディジョン(ベルトランが居住したフランス中東部の町)の公園で出会った詩人風の男に託された原稿ということになっている。
 こうした設定がゴシック小説の常套的な仕掛けであることは今まで見てきたとおりであり、ベルトランはここでゴシックの伝統に則っているのである。なぜそんなことをする必要があったのか?
 それについては巻頭の「夜のガスパール」を読んでみることによって理解されるだろう。詩人風の男は芸術を極めんがために、感情に身を委ね、思想を探求し、自然と人間の事績を研究し、さらには悪魔の探索さえ行ったのだという。彼は『夜のガスパール』の原稿を残してベルトランのもとを去る。
「夜のガスパール」とは何ものか? 「そうさ…! 悪魔だ!」と人に言われてベルトランは理解する。『夜のガスパール』は悪魔の残した詩集として位置づけられるのであり、そのためにベルトランは著者を「夜のガスパール」とする仕掛けを施すのである。
 ガスパールの名は、聖書にある東方の三賢人の一人カスパールCasper(死の象徴とされている)から採られている。それが“夜の”と形容されるからには、ガスパールは悪魔そのものであるか、少なくとも悪魔を探索する者でなければならない。
アロイジウス・ベルトラン『夜のガスパール』(1983、水声社)及川茂訳



高橋和久『エトリックの羊飼い、或いは、羊飼いのレトリック』(2)

2015年04月10日 | ゴシック論
 高橋和久のレトリックとは何か? デリダやラカン、ド・マンやサイードなどを引用しながら、それらの引用を自らの論理展開のために援用しているのか、それともそうしたいわゆるポストモダンの論理を否定しようとしているのか、よく分からないように書くというレトリックである。
 読んでいる方は煙に巻かれたような気分になる。それが衒学的なポーズにすぎないのか、どうなのかさえよく分からない。しかし『悪の誘惑』再版あとがきの次のような文章を読むと、高橋がポストモダン批評を参照せざるを得なかった事情もよく理解できる。初版刊行後30年間の動きについて述べた部分である。
「実際、この翻訳に悪戦苦闘したときには手に入らなかった注釈つきのテクストが、この間にペンギン・ブックスを含むいくつかの出版社から数種類も出版され、それと呼応するように、この作品をめぐる批評も盛んになった。そして、そうした批評の意匠が主としてポスト構造主義やデコンストラクション(デリダの主要概念)に彩られていたという事実は……」
 フランス本国始め、日本においてもそうだったが、英文学研究においてもポストモダニズムが猖獗を極めていたことが理解されるし、高橋はそのことに対してたぶん皮肉な視線を向けているのである。きっとそうなのだ。至るところにポストモダニズム的言説へのはぐらかしがある。だからこそ最後まで読ませる本にはなっているのだろう。
 そこで、ではホッグのレトリックはどうなのだろう。高橋の興味は『悪の誘惑』における、編者の語りと罪人の語りとの間の二律背反に向けられていて、それがどういったところから生まれてくるのかを執拗に追求するというのが高橋の姿勢に他ならない。
 つまり高橋の探求は、ホッグの伝記的事実を通してその二律背反をレトリックとして解明しようという方向に向かう。ホッグの成功と慢心、自作をさえ標的とするパロディ作家としての姿、合理主義と超自然的要素への関心の背理などが明らかにされていく。
 しかし、高橋の解明が成功したとは思えない。『悪の誘惑』における編者と罪人の言説の価値が両義的なように、ホッグの生き方もまた両義的であるとしか言いようがない。
 高橋が本書のあとがきで「テクスチュアリティの迷宮を体現しているかに見える『罪人の告白』(『悪の誘惑』のこと)において、「編者の話」は「手記と告白」に対してメタの位置を確保できなかった」と言うとき、それはゴシック小説において、超自然的要素を屈服させることはそれを信じていようが信じていまいが可能なことではないということを意味しているのに過ぎない。
 こうしてゴシック小説に対しては、ポストモダニズム的思考が有効であるわけではないということを、本書は明かしたてることになったのであった。
(この項おわり)

高橋和久『エトリックの羊飼い、或いは、羊飼いのレトリック』(1)

2015年04月09日 | ゴシック論
 なんというけったいな題名の本だと思われるかも知れないが、前に取り上げた『悪の誘惑』(The Private Memoirs and Confessions of a Justified Sinner)の作者ジェイムズ・ホッグについての研究書であり、伝記の試みでもある。著者は『悪の誘惑』の訳者高橋和久。
 なんでこんなへんてこな題名なのかというと、ジェイムズ・ホッグのあだ名が〈エトリックの羊飼い〉であったから。それはジェイムズ・ホッグがスコットランドの田舎エトリックの牧羊家に生まれたことによっている。また羊飼いの“レトリック”というのは“エトリック”の駄洒落だが、実はこの本は伝記というよりも“レトリック”の方に重点を置いているのだとも言える。
 とにかく帯には「羊飼いの歌を聴く!」なるコピーも印刷されていて、村上春樹の『風の歌を聴け』と『羊をめぐる冒険』を意識していることを伺わせもするが、決してそのようなことはない。「詩人を諦めて眠れぬ夜に羊を数えるあなたのための一冊」という文句もあるが、むしろ読んでいるうちに羊を数えるまでもなく眠くなること必定である。
 それにしても書く方も書く方だが、買う方も買う方だ。こんなマニアックな本は殆ど読まれないだろうが、私としてはジェイムズ・ホッグについてもう少し知りたかったのと、ゴシック的なものについて考える参考にしたかったので『悪の誘惑』の再版あとがきの誘惑に負けて、買って読んでしまった。
 第一にこの本は18世紀末から19世紀にかけてのスコットランド文学史に興味のない人間にはついて行けないし、少なくともウォルター・スコットやウィリアム・ワーズワースのことを知っていなければ読んでも面白くない。さらには当時のスコットランドの政治状況や宗教事情について知っていなければ、殆ど理解できない。
 とにもかくにもジェイムズ・ホッグがどのような人物だったのかという興味にすがって読んでいったわけだ。本書によるとジェイムズ・ホッグ自身伝記を何回か書いているが、生年月日に偽りがあるという。1772年1月25日生まれだと書いているが、それはスコットランドの国民詩人ロバート・バーンズの誕生日に生まれたことにしたかった虚栄心による経歴詐称だったのだ。真っ正直な人間ではなかったようだ。
 ジェイムズはスコットランドの文豪ウォルター・スコットにその才能を認められ、詩人として出発したが、生涯スコットを敬い続けたかというとそうではない。何度も恩人であるスコットに罵詈雑言を浴びせている。高橋によればそうした態度は誰に対してもそうなのであって、礼儀というものを全くわきまえない人間であったらしい。まさに田舎出の〈羊飼い〉だったのだ。
 この辺まで読んで「どうもゴシックというものを理解するのに役立ちそうもない」と思ったが、高橋自身の“レトリック”に引きずられて、とうとう最後まで読んでしまった。
高橋和久『エトリックの羊飼い、或いは、羊飼いのレトリック』(2004、研究社)

C・R・マチューリン『放浪者メルモス』(12)

2015年04月07日 | ゴシック論
 放浪者メルモスはアイルランドに生まれ、百五十年以上を生きて、アイルランドで死を迎える。その間メルモスは世界中の至るところに出没する。「何の障碍もなく遅れもなく空間を往来」する能力を与えられているからである。だから最後に“旅”について触れておかなければならない。
 放浪者メルモスは「スタントンの物語」ではスペインとロンドンに出現する。「スペイン人の物語」ではマドリッドに、「印度魔島奇譚」ではインドの孤島に、「グスマン一族の物語」ではセビリアに、「恋人の物語」ではイギリスに姿を現す。第三十二章ではオランダにも、ポーランドにも出現したことがほのめかされているし、アロンソの話がメルモス自身によって妨げられることがなければ、さらに多くの場所に出現したことが明らかにされただろう。
 メルモスはなぜ“旅”をするのか? 言うまでもなくそれは残酷な運命に弄ばれ救いを求める者に、メルモス自身の運命との交換を提案するためである。しかしメルモスの立場からでなく、小説の内部の問題としてそれがどうなのか考えてみる必要がある。小説という場にあって“旅”というものがどのように機能しているのかをこそ考えるべきである。
 アロンソが修道院からの脱出を企てる場面で、修道院から抜け出したところでマドリッド全体が修道院化されているので、脱出の意味がないと悩む場面がある。アロンソにとっては修道院だけでなくマドリッド全体がゴシック的空間と認識されているのである。
 ならば、メルモスが“旅”をすれば訪問先の土地は必ずやゴシック的空間と化すだろう。印度の楽園の孤島でさえもが、メルモスの出現によってゴシック化されるように。“旅”はつまり世界をゴシック化するための企てなのである。
 坂本光が『英国ゴシック小説の系譜』で言うような「転地療法」だとか、「己の心情と目に映る景色とを重ね合わせることによって自己確認し、同時にそれによって心情の働きを増幅する」働き、などという規定は完全な的はずれと言わなければならない。メルモスは自身のおぞましい似姿を世界に対して与えるべく世界中至るところを旅するのである。
 第一に、旅するメルモスの原型が“さまよえるユダヤ人”伝説にあるとしても、メルモスは必ずしも一定の地に安住することなく、旅することを宿命づけられているというわけではない。メルモスは「何の障碍もなく遅れもなく空間を往来」する能力を持っている。メルモスは自分自身の判断で、世界中好きなところに出現することができる。がから、インドの孤島にイマリーを尋ねている途中で訪問を切り上げ、ロンドンにいるスタントンのもとに駆けつけることだってできるのだ。
『放浪者メルモス』は“旅”というものを世界のゴシック化の手段として示した、おそらく最初の小説であろう。メアリ・シェリーの『フランケンシュタイン』でも、フランケンシュタインは怪物を追って北極圏まで旅をするが、人間のいない北極圏などゴシック化されてみようがないのであって、メルモスは必ず人間のいる場所(それが孤島であっても)にしか出現しないのであった。ゴシック的空間は人間の認識と分かちがたく結びついているのである。そのことについては他の作品について考察するときに明らかにしてみたい。
(この項おわり)

C・R・マチューリン『放浪者メルモス』(11)

2015年04月06日 | ゴシック論
 イシドーラの物語がついに終わり、アロンソがジョン・メルモスに向かってさらに話を続けようとするとき(この調子でいくと『放浪者メルモス』は決して終わらない小説になってしまう)、放浪者メルモスその人が二人の前に姿を現す。もちろん小説を終結させるためである。
 期限が来たのである。「“魂の大敵”から人間の定めを越えて生き延びる能力を得」「何の障碍もなく遅れもなく空間を往来し」……あらゆる超能力を与えられたメルモスにも期限が迫っている。彼と運命を取り替える人間を見つけて、自由放免となるための期限が。そうでなければメルモスは地獄の劫火に焼かれる身となるのだ。
 しかし、そんな人間は一人もいなかった。メルモスは述懐する。
「放浪者メルモスとその運命を取り替えた者は、絶えてなかった。そんな人間を探してな、世界の隅々までを遍歴したが、誰一人いなかった、この世を我がものとせんがため魂は要らんと言う奴は!」
 この放浪者メルモスの最後の言葉は、メルモス本人にとっては絶望の言葉であるが、むろん人類にとっては希望の言葉なのである。ここで作者マチューリンは新教の牧師としての本性を見せているのだとも言い得る。
 また三巻第十七章で、放浪者メルモスが現実世界への批判を繰り返す場面でも、マチューリンはわざわざ次のような注を付けて弁明を行っている。
「余輩が登場人物中最悪の者共が吐露せる最悪の言辞をば捉えて、これらが余輩自身の意見であると云う不正不実の論難が見られるので、此の場を御借りして一言読者諸兄に申し上げておきたい。この異邦の者が体する意見は吾輩がそれとは全く逆のものであり、従って吾輩は意図的にそれを悪魔の手先をして語らしめたのである」
 本当だろうか。本当にそれだけの意図で放浪者メルモスに語らせているのだとしたら、どうしてボードレールがメルモスへの共感を語るなどということが起こり得たのだろう。どうして今日の我々がメルモスの“人間的な”魅力に惹かれるなどということがあり得るのだろうか。
マチューリンは別の小説の序文で次のようにも書いている。
「……もし私に何らかの才能があるとすれば、それは陰鬱なものをいや増しに暗くし、悲しいものを発展させ、人生をその極限において描き、そして魂が不法かつ涜神的なものの深淵の縁でうちふるえるときの情熱の葛藤を表現する才能である」
 放浪者メルモスが魅力的なのは、まさにマチューリンがここで言っているような才能によって彼が描かれているからなのである。単にメルモスは悪魔の言葉を代弁しているのではない。まさに「魂が不法かつ涜神的なものの深淵の縁でうちふるえる」ようにメルモスは語るのである。メルモスは単なる悪魔の手先ではあり得ない。
 そして、マチユーリンが自らの才能について語っている表現のあり方こそが“ゴシック的心性”と呼ばれるべきものであり、ゴシック的なものを今日まで生き延びさせている、人間にとって固有の心性なのだと言わなければならない。


C・R・マチューリン『放浪者メルモス』(10)

2015年04月05日 | ゴシック論
 イマリーとメルモスの“愛の物語”はインドからスペインのマドリッドへと舞台を移して、なおも続いていく。イマリーは孤島から救出され、父母の元へ帰り、名前もイシドーラと変わっている。
 メルモスとイシドーラの物語は「グスマン一族の物語」と「恋の物語」をはさんで、さらにその帰結は先送りされるのだが、その直前にイシドーラとメルモスの婚礼の夜を描いた部分がある。イシドーラはメルモスに結婚を迫り、メルモスは修道院の廃墟で婚礼の式を挙げるべく、イシドーラを母親の元から拉致し、夜の闇へと進んでいく。
 この“道行き”の場面、メルモスは恐怖のうちにイシドーラを支配しようとし、イシドーラが不安と恐怖に駆られていく場面に、またしても私はある作品のある部分を思い出さずにはいられなかった。
 その作品とは、ロートレアモン(イジドール・デュカス)の散文詩『マルドロールの歌』であり、その部分とは「第六歌」マルドロールが愛するメルヴィンヌ(少年である)を母親の元から誘惑し、拉致する場面である。
 一方は怪人と彼を愛する娘であり、もう一方は同じく怪人(怪物と言った方がいいか)とその同性愛の対象であるメルヴィンヌという違いはあるが、その道行きは恐怖の相貌において共通している。そのことは『ロートレアモン全集』(筑摩書房版)の翻訳者・石井洋二郎もその詳細な注の中で指摘している。
 細かい部分まで状況設定が似ていることも石井は言っているが、今はそれを確かめている余裕はない。いずれ『マルドロールの歌』を取り上げるときに確認することにしよう。
 しかし明らかにここは、デュカスが『放浪者メルモス』の影響を受けていたことを証拠立てる部分であり、もともとマルドロールという怪物の「人物造形」(怪物造形?)自体が、放浪者メルモスを下敷きにしているということを抜きに語れるものではない。
 このようにマチューリンの『放浪者メルモス』は、後の作家・詩人、それも偉大な作家・詩人の作品に大きな影響を与えた作品なのである。
『ロートレアモン(イジドール・デュカス)全集』(2001、筑摩書房)石井洋二郎訳

C・R・マチューリン『放浪者メルモス』(9)

2015年04月03日 | ゴシック論
 それにしても何という“愛の物語”だろう。イマリーはメルモスを、自分に知の世界、考えの世界を教えてくれた師として純粋に愛するが、メルモスの方はそうはいかない。
 メルモスはイマリーに残酷な世界像を、宗教をも含めた残酷な世界認識を提示していくが、そのような認識を持つ者に“愛”など許されてはいないのである。メルモスは「儂を憎め! 儂を呪え!」と言うことによってしか、イマリーに対する“愛”を語ることができない。メルモスは次のように自分自身を描いてみせる。
「憎むがよいぞ、おまえを憎んでいるこの儂だ――生あるものの悉くが憎い、死せるものの悉くがな。己も憎まれてあり、亦憎しみにも満ちたこの儂だ!」
 このようなアンヴィバレントな“愛”の形を、初めて歌ったのは『悪の華』の詩人シャルル・ボードレールである。マチューリンの描く“愛の物語”は『悪の華』におけるボードレール的な主体意識を完全に予告するものである。
『悪の華』には『放浪者メルモス』のイマリーとメルモスの“愛の物語”に、そのまま挿入してもおかしくないような恋愛詩編がたくさんある。たとえば、

 快活さにあふれた天使よ、君は知るか、苦悶を、
 恥辱を、悔恨を、むせび泣きを、倦怠を、
 そして皺くちゃにされた紙のように、心を圧しつける、
 怖気をふるうあの夜々の、漠とした恐怖を、
 快活さにあふれた天使よ、君は知るか、苦悶を?
                            (「恩寵」)

 ボードレールが『放浪者メルモス』を翻訳しようと思っていたことも知られている。ボードレールの詩編にマチューリンの直接的な影響を見ることは正しい見方である。ボードレールは放浪者メルモスの“笑い”についてこう書いている。
「そしてこの笑いは彼の怒りと彼の苦悩との不断の爆発なのだ。それは……人間に比べれば無限に偉大であり、絶対の「真実」または「正義」に比べれば無限に卑劣で低級な彼の矛盾した二重の本性から必然的に生まれる合力なのである。メルモスは生きた矛盾だ」
 ボードレールは“生きた矛盾”としての自分自身の姿を、放浪者メルモスの中に見ていたのである。「我ト我ガ身ヲ罰スル者」という作品は自己懲罰的な姿勢の中に、最も放浪者メルモスにふさわしい肖像を描いていると言ってもよい。

 僕は傷であり同時にナイフ!
 僕は平手打ちであり同時に頬!
 僕は四肢であり同時に刑車である。
 そして犠牲者であり同時に死刑執行人である!
  (「我ト我ガ身ヲ罰スル者」)

C・R・マチューリン『放浪者メルモス』(8)

2015年04月03日 | ゴシック論
 しかし、悪党の議論はそれほど論理的なものでもないし、かなり乱暴な部分もある。本当にドストエフスキーに影響を与えたのだとしたら、それは放浪者メルモスの人物造形と、彼自身が行う議論によってでなければならない。先に進む必要がある。
 放浪者メルモスが真に姿を現すのは小説の後半部分においてであり、「印度魔島奇譚」に始まるイシドーラの物語の中で初めてメルモスは自身を語り始める。スペイン娘イシドーラは最初、インドの孤島に置き去りにされた孤児イマリーとして登場し、放浪者メルモスは彼女の傍らに出現する。
「見知らぬ人影は近寄って来た。美神の方からも近づいて行ったが、ヨーロッパの麗人の如く腰低く雅びの礼をするのでもなく、いわんや印度人の娘の如く額手の低い礼をするのでもなく、ほとんど唯一の仕草の裡に活気と逡巡、自信と怯懦の情を表し、一頭の若い雌鹿の如くであった」
 イマリーは自然児であった。無人島で動植物たちと暮らしてきた彼女は、初めての人間、放浪者メルモスと出会う。そしてメルモスはイマリーに“知”を吹き込んでいく。
「イマリーは少しの間、何の言葉も返さなかったが、何かを考え込むという事を生れて初めて経験しているかの風情であった――ものを考えるという事は(中略)何たる痛苦に満ちた苦役である事か」
 無垢のイマリーはこうして考えることに目覚め、そのことの苦しさを知っていく。放浪者メルモスはここでエデンの園におけるアダムとイヴに対する“知”への誘惑者としての役割を果たすのだが、それはなぜか? 放浪者メルモスこそが考えることの苦痛を体現しているのであり、メルモスは彼女を誘惑することでその苦しさを無垢の乙女とともに分かち合いたいという衝動に駆られているのである。
 しかし、その衝動は矛盾に満ちている。メルモスがイマリーに“知”を吹き込めば吹き込むほど、イマリー自身は無垢のままでいることができないからである。だが考えるということは苦しいことだけなのではない。イマリーはそのことも知っていく。
「あの人が言っていることが分かって来たわ――考えるっていうことは苦しむことなのね――考えの世界ってきっと苦しみの世界なんだわ! でもこの涙、なんて気持がいいのかしら! 今までは泣くのは愉しいからだった。でも今では愉しさよりも甘い苦しみを知っているのだわ」
 イマリーは“甘い苦しみ”のなかでメルモスを愛し始める。イマリーとメルモスの愛の物語の始まりである。