ワクチン接種担当大臣に河野太郎行革大臣が指名された。
担当大臣が指名されたので「スワッ」とばかり、メディアでは接種のタイムスケジュールと順位が取り沙汰されるが、ワクチン自体が国内に無いことから「捕らぬ狸…」の感が強い。
世界各国でワクチン争奪戦が繰り広げている現状から見ればワクチン完成前の譲渡契約が確実に履行されるとは考えられないし、日ソ不可侵条約を信じてソ連に大東亜戦争講和の仲介を依頼して手ひどく裏切られた日本人の「お人好し」が再び繰り返される公算の方が大きいと観ている。
タイムスケジュールはさておき、接種そのものを忌避する人が案外多いようである。巷間伝えられるのは、「ワクチンを信じない」というもので、信じない理由としては、「薬事行政を信じない」「科学技術そのものを信じない」「副作用が怖い」「わけも無く怖い」等が挙げられ、「宗教的理由」とする人もいるらしい。これらの信条は憲法も保証しているので、接種を強制できるものでは無いように思えるが、日本という共同社会内に巣食う「コロナ感染連鎖」の中では?との疑念も拭えないようにも思える。
一方、ワクチン接種の順番であるが、政府の大方針は「医療従事者→高齢者→・・・」とされているが、再考する必要があるように思える。限られた資源であるワクチンを有効かつ効果的に活用するために「医療従事者の安全を確保して当面の感染者治療を最優先」することに異論はないが、次に優先されるべきは「日本の治安・安全を守るための人的資源」である警察官・海上保安官・自衛官であるように思う。対外的には保安庁や自衛隊による警戒監視に穴が開けば、これは中国・韓国の思うつぼである。国内に限れば警察官の感染による警察力の弱体は確実に治安の悪化につながり、市民はコロナの感染からは逃れられたが治安の悪化によって厄災を被るということにも繋がりかねないからである。
3番目に重視すべきは「明日の日本を担う世代」で、現在医療従事者に次いで優先接種するとしている高齢者は最後、それもワクチンに余裕ができた時に接種すれば十分であると思う。コロナ禍を戦争に例えるならば、例え勝ったにしてもコロナ禍で失ったものを取り戻すためには壮年の活躍が不可欠であり、日本再建の戦力とはなり得ない高齢者を後回しにすることは「姥捨て山」理論で致し方のないところと考える。自分の存在は「余人をもって代えられない」と自負する高齢者もいるだろうが、偉大な指導者や学者が死んでも社会は依然として存在し続けることから考えれば、そんなことは幻に過ぎないことは自明で、長嶋・王が現役を去っても、新たな戦力が台頭してプロ野球は勢威を保っている。
大東亜戦争末期の沖縄死守を企図した菊水作戦で大和以下の海上部隊を指揮した伊藤整一中将は、呉軍港出撃前に兵学校や海兵団卒業間もない見習士官や兵を退艦させている。また、日本降伏時に自決した将官の多くは部下に自決や無用の反抗・戦闘を禁じている。このことは、戦後復興ということを念頭に置いたためであり、そのためには若年労働力が不可欠であることを身をもって示したと思っている。沈み行くタイタニックの限られた救命ボート、誰が乗るのが最良であろうか?。