萩生田文科相が教員免許更新制度の骨抜きに手を染めるかの行動に出た。
文科相は、諮問機関である中央教育審議会に《令和時代の学校教育を担う質の高い教員を確保するため、教員養成や採用、研修の在り方を検討し、特に学校現場で重荷になっているとの意見がある「教員免許更新制」については、教員の負担を緩和する方向での見直しを他のテーマに先行して結論を出すよう》諮問した。おそらくであるが、中央教育審議会は「渡りに船」とばかりに、講習間隔の延長や講習期間の短縮・最終試験の廃止などを答申することになると思っている。
教員免許更新制の意義について文科省HPは、『教員として必要な資質能力が保持されるよう定期的に最新の知識技能を身に付けることで、教員が自信と誇りを持って教壇に立ち、社会の尊敬と信頼を得ることを目指すもの』としているが、末尾には『※ 不適格教員の排除を目的としたものではありません。』と断り書きを入れて教員に阿っている。
しかしながら国民が求める教員免許更新とは、学歴(知識)のみで与えられた免許が「教育者として相応しい資質や特性」を保証しない現実から、一定期間経過ごとに教育者としての適格性を再評価して不適格教員の排除を求める制度であったと思う。その背景には、国旗・国歌に反対し、勤務時間に組合活動を行い、指導要領から外れた副教材を使用し、中韓のプロパガンダを口伝し、いじめを放置し、桃色行為が蔓延する教育現場を浄化して欲しいとの切実な現実があったと思っている。
残念ながら制度化された免許更新では、講習とペーパー試験のみで合格率も98%(文科省は公表していない)程度で、不合格の理由も、講習を受けずに最終試験のみ受けたが失敗、講義を妨害して周囲に迷惑をかけた、等々であるとされている。文科省のHPに記載されている受講者の意見も、教職の意義や教育手法の再確認ができたと肯定的に捉える意見の他にも、試験も講習内容がそのままに出ていたとも述べられているので「ここは重要」式の講義で「落さないための試験」であるように思える。一方で否定的な意見として「長い時間と高額な受講料を払っているのに不合格があるのは不条理」という何とも低次元の意見が載せられており、長い受験勉強と安くはない授業料で得た既得権維持にのみ執着した教師の存在も窺い知ることができる。
教科書検定委員の選定や検定の不備を看過するのみならず擁護に徹する文科省と萩生田大臣であるが、更に今回の教員免許更新制度の骨抜き発言を見る限り、教育行政に真剣に取り組んでいるとは思えない。労使対立・協調は世の倣いであり、雇用者(文科省)が教育現場の意を受け容れることはあって当然とは思うが、文科相は教育の質的な維持・向上という目的のために施策すべきであり、労働者の労務軽減のために目的とするハードルを下げることはあってはならないと思う。日本国民を育てる教育には、無垢な頭脳に左傾思想を刷り込む不適格教員の排除が絶対要件であり、教員の労務軽減が生み出すものでは無いと考える。