政府が準備中の土地利用規制法案の閣議決定が、公明党の横やりで延期された。
政府案では、規制対象として自衛隊・米軍の防衛施設、海上保安庁施設、原子力発電所などの重要インフラ周辺の概ね1㌔以内と国境離島の土地利用を監視し、国籍などの所有者情報や利用実態について所有者に報告を求めるとともに、特に重要な土地は「特別注視区域」として売買当事者に事前届け出を義務付け、不適切利用が確認されれば土地の利用中止を命令し虚偽申告や命令違反には罰則も設けるという内容と理解している。
当該案には私権制限や自由な経済活動を制限することに対する慎重意見があったために、政府案でも規制する行為を「売買」ではなく「利用」に限定するという及び腰で、更に公明党の強い要請を容れて監視対象を外国資本に限定せずに国内資本も対象に含めることで、対中国に配慮した内容となっていた。
先月までは与党内でも「大きな対立はない」として順調に立法できるとされてきたが、自民党が調査対象に海保施設を入れたことをきっかけに、公明党が「私権制限の行き過ぎ」として見直しを求めたために閣議決定が見送られたものである。
公明党の親中姿勢のルーツを探ろうとしたが、「良く分らない」が正直なところである。
公明党の親中姿勢は、党の第3代代表(当時は中央執行委員長)の竹入義勝氏以降に顕著となったように思われる。竹入氏の略歴を辿ると、1959(昭和34年)に創価学会推薦の文京区議となった。1961年には公明政治連盟の結成に参加したが、自民党本部にあった政治大学校(藤山愛一郎の政治塾)に出入りして田中角栄氏らと個人的な人脈を築くなど、親中の翳りは窺えない。1964年に公明党が結成され党副書記長に就任、1967年に 第3代公明党中央執行委員長に就任し1986年まで20年間公明党を指導した。1972年に当時の社会党の成田知巳・佐々木更三氏らと中国を訪問し、日中国交正常化交渉の地ならしを行い、同年9月の田中角栄総理の訪中・日中国交正常化の一翼を担っているので、中国との人脈や関係は公明党トップ就任後の10年間における数度の訪中で築いたものであろうか。1980年には社会党中央執行委員長に就任した飛鳥田一雄氏との間で連合政権構想に合意し、親中姿勢はさらに強固なものとなったように思える。
一方で中国の公明党援助を考えると、1970年代の最大野党であった社会党は兎も角、国会内で第3・4極の一角でしかない公明党を中国が支援し続けたかは謎であるように思われる。一説には創価学会の池田会長が「中国では布教活動をしない」と確約しているためとされているが、説得力には欠けるように思える。
公明党は1999(平成11)年の小渕第2次改造内閣以降、自民党との連立を維持しているが、この状況になると中国が公明党を政権内の楔と認識・利用していることは十分に理解できるが、連立以前の中国の読みは、「日本では社会党の主張する尖鋭的は社会主義政権は見込みがなく、一見穏健を装う公明党がキャスティングボードを握る」との読みがあったのだろうか。
いまや二階幹事長とタッグを組んで、親中の中核にある公明党であるが、公式には全国で約300件・2500haクタールであるが真相が掴めていない外国人の土地取得使用、誰の目にも明らかな中韓の侵食防止に公然とブレーキを踏んだ背景には、「中国の隠れ蓑を脱ぎ捨てるに十分な力を政治的に獲得した」との分析があるのだろうか。
自分は折に触れて自公の連立解除(政権からの公明党排除)、安定政権が必要な場合には維新との連立を主張しているが、今回の横やりを見る限り賛同される人も増えるのではと考える。