中国コロナのパンデミックは、現在でも猛威を振るっているものの3年余りも経過・継続している今では、感染状況の数字を見ても何やら過去のパンデミックの歴史を観ているように思える。
これをコロナ疲れというのであろうか、はたまた辛い厄災にも慣れることができるようにヒトを作った摂理によるものだろうか。
コロナワクチン接種開始時には「人口の7割が抗体を持つ集団免疫が達成できればパンデミックは終息する」とされ、事実、爆発的感染に見舞われたインドではワクチン接種前に新規感染者が激減して集団免疫の好例と捉えられていた。
日本のワクチン3回接種者8千2百万人(65.4%)となっている。これに、ワクチン接種者であるかどうかは不明ながら累計で200万人を超えるコロナ感染者、さらには無症状感染者を加えると当初に免疫学者が予想した「70%の集団免疫」は達成しているはずであるが、相次ぐ変異株の出現によってであろうかコロナ禍の終息は依然として先が見えない状況が続いている。
一人でも感染者が出た場合には居住地区一帯を封鎖するという強権的・暴虐的ともいえる「中国のゼロ・コロナ策」を以ってしてもウィルスの根絶が不可能なことを考えれば、今後はインフルエンザと同様に「恐れ・心配しながら付き合っていく」しかないように思える。
コロナに疲れたのは人間だけでなく国家財政も限界であるらしく、相次ぐコロナ関連の給付・支援が縮小・廃止の已む無きに至り、公費によるワクチン接種も5回目は無いのではないだろうかと思っている。
古人(孔子の弟子の『子夏』?)は「死生命有り、富貴天に在り」と思い煩うことの愚を諭している。
富貴を与えられることがなかった貧困層ぎりぎりの自分を顧みれば、死生のみ恩恵を与えられることも無いだろう。国によって中国コロナが2類から5類に格下げされ、医療費の自己負担額が増えた実情を考えれば、運命に従容と身を託さざるを得ないと覚悟を新たにしている。
于武陵の漢詩「酒を勧む」を井伏鱒二は「・・・花に嵐の譬えもあるぞ さよならだけが人生だ」と訳し、名訳とされている。さぁ、今日を・今を大切に生きて行こう。