お絵描き教室のために、昨日の国会中継を視聴できなかったが、観なくて幸いであった。
昨夕以降のテレビでは、立民の泉代表と西村幹事長が舌鋒鋭く(口汚く)統一教会・首相秘書官問題を追及する場面が繰り返し放映され、本日の新聞にも恒例である質問要旨が掲載されていないことから、そのこと以外では報道に値しないものであったのだろうか。
改造泉執行部発足時に発足したネクストキャビネットでは自らが総理大臣となったので、今次以降の国会では、さぞや格調高く行政・外交・防衛に関する自党政権の構想と岸田政権の相違を質すかと思いきや、統一教会問題攻撃を軸とする攻撃一辺倒の陳腐なものであった。次いで立った西村幹事長も金太郎飴的内容と手法で、せめてNC総理は行政全般や外交で、西村氏は統一教会問題でという「分に応じたテーマ分担」はできなかったのだろうか。
大方の国民は20名内外の立民議員も統一教会や関連団体との関与があることを知っているし、さらに良識を持つ国民は関与の軽重に応じて道義的責任を免れるべきでなく立民・自民いずれも同等の責任を有していると思っている。
孟子は梁の恵王の問いかけに「戦場で五十歩逃げた者が、百歩逃げた者を臆病者だと嘲笑したらどう思うか」という例えをもって回答したとされる。立民のパフォーマンスは、将に「五十歩百歩」の類で50歩逃げた立民が100歩逃げた自民を嘲笑・攻撃しているに過ぎない、さらに卑近に表現すれば「目糞鼻糞」である。
中国では、違法と犯罪という概念が並立しており、人の物を盗むのは違法であるものの約10万円を超える窃盗のみが犯罪として取り扱われるとされているが、日本では違法は全て犯罪と捉えることを考えれば、現在立民が行っている「百歩叩き」も宗主国の刑法に倣ったものかもしれない(笑)。
老い先短い身であるが、社会の動きから取り残されないためにできるだけ国会中継を見ることにしていたが、昨日来の報道を観る限りここ当分はストレスに繋がるであろう立民の愚行を視聴することは避けた方が良いように思う。
有権者の政治離れを嘆く声は高いが、ある程度関心を持っていると思う自分をも政治報道に背を向けさせる原因は、政治を政局に矮小化し、政権追及しか能の無い立民・共産党の政治姿勢が最大の要因であると思う。
今回の立民の目糞鼻糞行動は、コアな部分を除く良識的立民支持者を維新・国民に向かわせることになるだろうと思っているし、政治が政治であるためにそうあって欲しいと願っている。